2009年06月26日

Never can say good bye




































This is our achievement, the network.
see you next planet, RIP










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2009年06月18日

私信・美しき霊能者へ

君のいうように、エネルギーの交換という概念は非常に広い領域に渡って、それこそ人類の認識が及ぶ限りの宇宙の果てまでも通底するような、熱力学的な普遍の真理(にかなり近いもの)であって、してみれば物質的な対価や貨幣の移動なんてのはそのごくごく局所で起きる些細なことに過ぎない。

そして霊的リソース、霊的資産と仮にいってみるとすれば、それは地球上の有限の金属資源である金を基準とした貨幣経済とは、全く原資も流通経路も異なるものとしてしか捉えられない筈なんだよ。いつか将来、他の惑星の文明と出会ったとき、その星の経済で地球における金に該当するような資源、たとえばルーゴドとかいう名前の資源を介して貿易しようとする時に、1ルーゴドが何ドルかなんて、最初は誰にも決められない。ふたつの文明が出会って貿易が始まる時には、必ずその断絶が露になる。そして誰にも決められないそのレートが決定される瞬間は、多くの場合それは戦争、純粋な欲望と無慈悲な戦略が解放される祭り、隷属と支配の力学を決定する「最初のじゃんけん」という儀礼によってもたらされるんだよ。

ある種の霊的技術を用いたサービスに、物質ベースの価格を決定するということは、構造としてその戦争状態、隷属と支配の権力ゲームを自ら引き受ける、ということでもある。それがよく見える戦争か見えにくい戦争か、その時のレートが自分にとって有利か不利か、を問わずにね。

その権力ゲームからあらゆる位相において身を引くために、そもそも物質次元のことを物質次元内でカタをつけられないうちは、霊的修行に手を出してはいけない、という厳しい戒律を守っている流派も存在する。その総本山のようなサロンは、意外と君の近くにもあったりもするかもよ。それは市場経済を否定するのではなく、強引な市場の統合、そしてそこに不可避的に付きまとう戦争状態から出来うる限り距離を置く、一種の美学なんだね。灰は灰に、肉は肉に、霊は霊に、というわけさ。

いやそんな戦争なんてとっくの昔に終わってる、ここには霊とモノを媒介する統合された市場が既に確立されている、私はプレイヤーの一人に過ぎない、と割り切れるなら、存分に経営手腕を発揮するがよろしい。地球をひとつの閉鎖系とみたてて、ひとつの市場原理のもとに統合して覇を競うのが、グローバリズムというやつだ。まだ誰も手をつけていない天国あるいは地獄の鉱山をぶち抜きで発見できたら、ビッグサクセスが待っている。

ぐっと自分のスケールに話を引き戻してみると、霊的資本主義経済のスタープレイヤーならまだしも、霊的労働者階級なんてのはおれは不真面目だから到底できないね。物質次元でも、労働者に向いてない、なれないってことに昔から気付いてたから、おれは早々に会社やってるわけだしね。

さらに突き詰めていくと、喰わねば死ぬ、死んだら霊性もなにもない!と叫ぶことも勿論できる。でも、あれ? スピリチュアリズム的には、死んだら霊になるんだっけ?どうだったっけ?

子ども生む女性の感覚からすれば、生きる肉体と霊のあいだの線引きはあいまいだよね。あの世とこの世が曖昧に混じりあっている。でも肉体を生かすのはやっぱり物質であって、Moneyでお腹は膨れない。君を生かす物質の糧が、Moneyが展開する市場に厳密にコントロールされていて、そこから逃れるすべはないと観念するなら、優しい子羊としてドルの草を食むがよい。おいしい。けど、無尽蔵の、アナーキーな、既存の市場を大混乱させてひっくりかえす、本当の外部のリソース、外宇宙の未知の資源を夢見ることは、断念しなければならない。そういうのは、海賊どもがごっそりかっさらう。世の常さ。

スピリチュアリストにもいろいろいる。実業家もいれば高給取りもいる。労働者もいれば海賊もいる。鳩もいれば蛇もいる。君がなりたいものになろうとする時、ふと気がつけば君のまわりは宇宙人だらけだ。その時、君は定石やマニュアルやセミナーはどこにも見つけられない。それらはみな市場を巡る商材であって、市場は宇宙人が嫌いだからね。そしておれは地球の女の子が大好き!





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2009年05月30日

からだの星座

ここしばらく、鍼に通っている。
すこぶる調子はいい。

要は経絡、情報神経系のターミナルに刺激を加えてシステム全体の再調整、時にハッキングを行うもの、というのがおれの現時点での鍼の理解だ。おれは鍼を打たれている時に、フィジカルな身体とはまた別レイヤーの、脳内に結像する神経映像としての身体を強く感じる。

西洋医学が発見してきた「神の機械」としての身体と、東洋医学が追求してきた「映像としての身体」に、微妙なズレがあるのは何故だろうか。おれの仮説は、チャクラ、経絡といった「映像としての身体」とは、原初のバクテリアから現在の霊長類まで連なる永い時間のなかでかつて体験した様々な身体の「残像」なのではないか、というものだ。

昆虫、は虫類、無脊椎動物、もしかしたら植物や鉱物までぼんやりと内包する「身体の残像」の担い手は、もちろんDNAだ。そして我々のタンパク質/炭素ハードウェアを「利己的な遺伝子」のヴィークル、その戦略的な一過性の表象として捉えれば、身体の「残像」は、過去の記憶のみならず未来の予感をも内包する、といえるだろう。

背骨の基底部に竜の生命力を格納し、膨張する脳神経系によって霊界=情報空間を拡大する人間の身体は、両生類のまどろみと天使の官能の間で振動する。そこには過去と未来のゆくたてが織り成す無数のひだ、紋、レイラインが緻密に刻まれていることだろう。経絡、チャクラ、スシュムナーといった様々な身体映像システムは、タンパク質/カーボンハードウェアとDNAの情報戦略地図に刻まれた情報単位(bit)を解読・更新するサイバネティックスとして位置づけられるのではないか。

ここまで書いたところで、妻がおもむろに服を脱ぎ落とし、恍惚とした表情で歩み寄ってきた。おれはしっぽりと濡れそぼる秘密のチャクラに向かって、マントラを吹き入れる。母音と子音の絶え間ない律動が、光の粒の大いなる流れとなって、彼女のガンジス、ナイルを氾濫させる。再び昇る、シリウス。

古代の東西の神秘家たちは、ヨガ的、シャーマン的、魔術的な心身の行により、身体と霊性のサイバネティクスを拡張しながら、個体の身体を超え出た地平に「未来の身体」を幻視した。それは時に神やデーモン、天使、大いなるもの、アダム・カドモンとして時空の外殻へ投影され、それへの回帰、または合一の熱望へとタンパク質/カーボンハードウェアを駆り立てるDNAの進化戦略的映像だ。その映像は芸術と神学、宗教を生み出し、人類の群生形態を社会組織化してきた一方、ヨガやMAGICK、そしてSCIENCEといったテクネーの拡張を推し進め、ついに近現代の心理学、脳神経学、量子物理学、電子メディアの到達による位相転移をもたらそうとしている。

行がもたらす身体変容による霊界への参入、拡張という「上昇」のベクトルから、知覚そのもの、映像そのもののデザインから身体生理・政治を変容・拡張せしめる「下降」のベクトルへの、霊性のポリティクスの反転。かつてみたものの全て、かつてみなかったものの全てを神経系に直接点描する電子メディアテクノロジーによって、生命にとって、DNAにとっての「経験」、そしてその触媒としての「時間」が意味するもの、担うものが、劇的に再解釈、再編成される。タイムマシン、アセンション、スパイラルゼロ点、なんと呼ぼうとそのオメガポイントは目前に予感され、芳醇な香薫を漂わせているが、その到達はまた石油燃料枯渇や環境汚染といった物理的エントロピー飽和速度とのチキンレースにかかってもいる。

なんてことを考えながら、治療院のベッド上で身体中に打ち込まれる鍼が描き出す自身の身体映像にアストラルトリップしていると、なるほど経絡というのは身体に浮かび上がる星座のようにも感得される。特に、お気に入りの火鍼(針先を火で焼いてチクジュ!とやるやつ)は、ハイファイに色鮮やかな花火を星座を構成するひとつひとつの星に狙いを定めて打ち込んでくような、まこと映像的な美しさを我が身体インターフェイスに描画するのである。おれのなかのトカゲや魚や鳥や花が、この炸裂する星座の光を仰ぎ見ながらびっくりしたりハッとなにかに気付いたりなにとはなしになにとはない方向へのそりと移動したりしているかと思うと、なかなか愉快な気分である。


星と花火と意識の寓話


ちょっといい感じに仕上がりつつあるLuciferian最新作



インタビュー 笠井叡
http://www.pan-kyoto.com/data/interview/Vol-40_i.html

立体音響・ホロフォニクス「花火」
http://www.youtube.com/watch?v=bAQVx8DqHNA&fmt=18


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2009年05月28日

イネナリRISING

田植ワークショップにいってきた。

稲荷(=イネナリ)系にはなにかとお世話になっているので、稲くらい植えとかないとまずいだろうってことで知人の誘いにこれ幸いと乗ったのだが、大変楽しかった。

早苗というのは本当に愛らしい。はじめてやった気がしない。裸足で田んぼのあぜを裸足で歩けば砂のひと粒も無意味に蹴散らす必要はないことに気付く。おにぎりうまい。田植えは日本人はもう是非一度体験して損はない。もう、是非。

ラジカセのマーラーで田開きの舞を踊ったフリーの巫女は、見事としかいいようがない無意識過剰派。ニューエイジな表層を透かしみれば、深層からつきあげるイネナリの衝動に完全に踊らされている、理想的な、本物の巫女。春の田園、マーラー、巫女舞、早苗。あんな幸せで貴重な光景はもう滅多にみることはできないだろうが、それでいてやはりある必然に導かれた、5万年の約束が粛々と成就したような、GROK感。得難いものを得た。

夜はヨガの先生とひさびさにやらかしてしまった宗門論難。
イネナリのカミがバリバリ現役な榛名の地では、無意識過剰な女性に挑んでも分が悪い。
そんなことわかりきっているのにね。楽しんでくれたならせめてものなんとやら。

朝ヨガの後はひたすらバーベキュー。もう食えねー!

■Misa Joey, Almoa, Minakumari

新作がいよいよ大詰めのMisa Joey、某標高高いところで公開録音を目論むAlmoa、田んぼで出会ったMinakumari。なにこのディーバフェスティバル。
事の発端がGORUGOTHだというのが今期のNOW HEREな感じか。

http://www.misajoey.com/
http://www.almoa.info/
http://www.minakumari.net/









 


紅茶ブレンダーでシタール奏者Minakumariがヒンディ語でちびっこささやくアンビエント/エレクトロニカ経由ホームミュージック。ロリータつーかクマリ、そういうPurenessが追求されるまでもなく噴出する活仏トイポップ。とても切実な音楽だと思います。Tr8 "Sapna"が秀逸。




■パーティ
6/5(金)の夜は都内某所でパーティ。ピンときたらご連絡を。タダ酒祭りだ!




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2009年05月21日

送った

「大地震の時のお礼にマスク」台湾から兵庫・大阪へ
http://www.asahi.com/national/update/0521/OSK200905200151.html

台湾から200万枚のマスクが届けられるとのこと。

おれは台湾が大好きだ。タクシーの運転手も立派なレストランの主人も、皆一様に洗練され、シャイで、優しかった。暖かい気候が育んだ柔らかな精神文化が息づいていた。
夕暮れの国道を疾走するスクーターの若者たちもマスクをしていた。台湾は日本と同じく、マスクを日常的に使用する。

NHKでは取材した台湾のおじいさんの発言を恣意的に編集し、本人から抗議を受ける。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-716.html

日台中関係の微妙な政治力学にここで深入りするつもりはないが、指差しておくべき事象として、国営放送に対するカウンタージャーナリズムがネットによって成立する時代になった、ということ。


ビビアン・スー最高


シンディー・ワン 軍服でダンス


ともかく、おれは台北駐日経済文化代表何路からマスクのお礼のメールを送った。
http://www.taiwanembassy.org/JP/

送信ボタンを押した後、サーバが返してくるアラートメッセージに微笑。
send.png

台湾最高

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2009年05月19日

不思議ソング

これもの凄い影響受けたと思う。


そしてなんか思いっきり考えさせられたなー
「え!不思議ソングで盆踊り?」てRaveのことだよねw
posted by bangi at 22:49| Comment(5) | TrackBack(0) | 詩と芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

My life with spirit

湯煙夫妻のお誘いでハーレーとイリュージョンのイベントにいってきた。
http://www.harley-davidson.co.jp/event/bluesky/2009bsh.html?id=4888

いまいちキレのない男たちのどうでもいい前戯ショーに続いて姫君登場、さすがプリンセステンコーは子供だか大人だかわからない体躯と動きでMagical feelingを盛り上げる。
ネタ的には「小営業」的なパッケージであったが、姫のまさに魔術的な存在感とパフォーマスに大満足。姫に憧れて未来の魔法少女へと人生の舵を切るちびっこは一定数いるだろう。




かくいうおれも、実は6歳から10歳くらいまで、いわゆる舞台魔術Stage magicを習っていた。最初のお師匠はパピヨン大西氏。うわ、HPができてる!師匠変わってねー!
http://www.papiyon-ohnishi.com/

名古屋に住んでいた頃、毎週木曜日の師のレッスンに足繁く通い、ちょっとした舞台の助手も務めた。後に徳島に移住した後も地元サークルに所属し、日本奇術連盟主催(?)の発表会で何度か舞台を体験した。そのとき、おれはおそらく初代、そして2代目引田天功両氏とお会いしたことがある。

初代はおぼろな記憶だが、2代目すなわち未来のプリンセステンコー女史とは確かにジュースで乾杯をした。他にはマギー史郎師匠、ゼンジー北京師匠、松旭斎すみえ師匠とも、直々にお目にかかり「頑張りなさいよ」とお声をかけていただいた。奇術の世界は狭く、大きな大会ではそういったビッグネームが割と気楽に応援にかけつけていたのだ。

当時のおれのスーパースターであった引田天功、そしていつか自分も入門したいと真剣に考えていた松旭斎一門と、直に出会い同じ舞台に飛び乗ったおれの子供時代は、思えば幸福、幸運であった。誰であろうが「とにかく会いにいく」というおれの基本方針は、この頃に育まれたのだろう。おれにとって、魔法使いは雲の上の存在ではなく、舞台と楽屋、虚構と現実の危うい境界線をともに闊歩する引率者、同伴者であった。

おれが奇術を習いたい、将来はプロの奇術師になりたい、と堅く心に誓ったきっかけは、6歳だか5歳の誕生日に母親が演じてみせた「離れる親指」であった。衝撃が走った。世界はそれまでの世界ではなくなった。真実はどこにもなく、全ては許されている、故に、汝の意志を為せ、それこそ法の一切とならん。そんな魔術的啓示が、その瞬間におれの幼形の背骨をサハスハーラからクンダリーニまで、ケテルからマルクトまで突き通したのだ。全ては母のせいなのだ。母方はそういうことをしがちな家系なのだ。

それ以降、おれの主な関心ごとは奇術であり、母親が探してくれたパピヨン大西師匠のスクールに毎週通った。名古屋市の松坂屋本店カルチャースペース、あるいは名古屋国際ホテルの会議室に、6才から8才くらいまで一人で通った。シルクのハンカチ、リング、紐をおあつらえ向きのトランクケースに詰めて。その時すでに、おれはおれを子供だとは思っていなかった。これからどれほどの年月を重ねるのかは検討もつかなかったが、確かにおれはその大きな、既に決定された計画の、必要なプロセスを一歩づつ歩んでいるという自覚のもと、自らの小さな歩幅にギラつくフラストレーションを感じていた。

徳島に移住してから所属したサークルでは、大掛かりな舞台装置が必要な舞台奇術は遠ざかり、トランプや手技によるテーブルマジックが主となり、次第に熱意も失せていった。最終的にサークルの会合に顔をださなくなった時、後のGORUGOTHとともに「悪魔の音楽」ヘヴィメタルとハードコアパンクに出会った。

Magicにはじまり、何かを勘違いしてMagickへと巻き込まれていくおれの人生は、それでもやはり、なにか強く太い一本の紐に導かれているように思う。少なくとも、矛盾はないようだ。

GORUGOTHから某大なCDRとともにある秘密の企てが記された手紙を受け取った矢先、おれはハーレーダビッドソンの群れのなかで引田天功と再会した。なにかが再び、動き始めているようだ。次なるステップとして、おそらくおれはハーレーに乗るべきなのだろう。

これがいい!
http://www.harley-davidson.co.jp/lineup/vrsc/vrscaw.html

そんでふたたびStage Magicに回帰したりして。

話は前後するが姫のステージが終わって早々に、坂田金時、いわゆる金太郎が眼病を癒したという婆子温泉へ。熱めの湯に沈むと、正面にはしめ縄で区切られた聖域に巨岩。夢と判別がつかない時間をいとも容易く生成する装置。誰もいない湯屋で、おれが全裸でなにを行い誰と語らったかは、もちろん秘密である。

友よ、君はいつでも、おれが最も必要としているものをもたらす。
ほんとにありがとう。




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2009年05月14日

仮説:SEX MAGIC

なんかInter FMで"SEX MAGIC!"て連呼されてる気がして、探してみたらやっぱり流行ってた。

CIARA feat. Justin Timberlake - Love Sex Magic


歌詞検索をすると、曲名はいくつかの表記がある。
LOVE SEX MAGIC
とか
LOVE, SEX AND MAGIC
とか。

しかし何度聴いても

LOVE AND SEX MAGIC

といっている。LOVEの後ろに明らかにANDと聴こえるのだから、アーティストの意図としてはこれが正しいはず。そんな気分でプロモを眺めると、様々なポーズ、シルエットでアルファベットのMと同時に、Kが繰り返し強調されている。Kのほうなのよ!という強い主張が感じられる。注意深く分析すれば他にもみつかるかもしれない。

WikiでCiaraのプロフィールを見る。
「アメリカ合衆国テキサス州オースティン生まれ」
「父親がアメリカ陸軍に勤務していた関係からドイツ、ニューヨーク、カリフォルニア州、アリゾナ州、ネバダ州で育った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/Ciara

絶対OTOwww 父親がThelemiteで小さい頃からSex magicという言葉、概念に馴染んでいたのではないか。そしてそれが遂にポップな表現として成立したのではないか。まさにAEON OF CHILD。

そんな仮説。

まーとにかく、SEX MAGICはすでにCOOLなんですよ、奥さん!

[蜂関係]
WAXWEB --David Blair
http://www2.iath.virginia.edu/wax/japaneseStart.html
なぜか執拗に日本語をサポートしているブレア先生。
制作中の最新作はThe Telepathic Motion Picture of "THE LOST TRIBES"だそうですよ奥さん!この人は映像よりもタイトルがカッコいい。もっとタイトルを!

まーなんつーか、昔インターネットてのはこういうもの、だったよね。
今はサイバーエージェントとかいってこんなだけど。

男の子牧場
http://otoboku.jp/







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2009年05月03日

自由

忌野清志郎、死去


すべてのやつらに自由を
R.I.P.




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2009年05月02日

ASCENSIoooooooooN!!!!

Perfume武道館2DAYSのDVDが届いたので、まー観るわけさ。

amazonのレビューで「日本のポップ・カルチュアの極点」というのがあったが、完全に同意。 コレオグラファーMikiko女史の振り付けはLaLaLa Human stepsのサイバネティックなスピード感やピナ・バウシュの象徴舞踏言語と呼応する真にContemporaryと呼べる水準での挑戦と示唆に溢れつつ、それを「あいどる」(c)William Gibsonの文脈とシームレスに接続している。

また音響、照明、映像がPerfumeというエクリチュールの意志に貫かれて同期生成する祝祭空間は、まさにElectronic Environment. もう完全にあの世、霊界。盆とRaptureとAscensionが一度にやってきたような祝祭体験をポップアートの次元で達成してしまった日本では、もはや既存の宗教ビジネスモデルは成立しにくくなるだろう。

J. Daniel Gunther "Initiation in the Aeon of the Child: The Inward Journey "
の序章で論じられる"Paradigm shift of Initiation"は、ここ3,000年ほど地球を席巻してきた「死にゆく神Dying God」の秘儀がCrowleyによってAbrogate(無効)とされたゆくたてに、おそらくはCrowley本人以上に冷徹で明快なScientific scopeを提供する。

Initiationとは、既知の世界で惰眠をむさぼる精神に衝撃を与え、より高次の世界認識へと拡張するショック療法のようなものであり、当然、天動説の世界における「衝撃」と地動説の世界における「衝撃」は同じ内容、意匠では有り得ない。もっといえば「衝撃」それ自体が目的であり、開示される秘密とは常に無限の未知の方向に開かれた解放系そのものの空虚がまとう意匠でしかない。秘儀結社のInitiationが階層構造になっていることは、その階層の上方が無限へと開かれていなければならないことからくる、組織論的必然なのである。さもなくば、その秘儀結社は自らを時間的・空間的なパースペクティブの限界の内に留めることになる。

アダム・ヴァイスハウプトの言葉として伝えられる「イルミナティの究極の秘密とは、秘密などなにも存在しないことである」というテーゼは、モダニズムを一足飛びに追い越して数百年後のポストモダニズムを先取りした構造主義的秘密結社観の表明として理解されねばならない。このテーゼをもってイルミナティ主義を「霊性の破壊を企てる物質主義的テロリズム」と位置づける言説が一部古典的な神智学系統に見受けられるが、見当違いも甚だしい。Illuminismとは、常により醒めより明晰なまなざしによって霊性を無限の解放系の彼方に希求する力動と戦略であり、それがなにかを破壊するとすればそれはせいぜいが「霊」や「自然」に対する怠惰が生み出す暗い幻覚なのである。

天動説の時代、朝生まれ夜死ぬと信じられた太陽神が、地動説の時代においてその生も死も地球の自転運動が生み出す幻覚に過ぎないことが判明した時、死せるオシリスの神話に基づくInitiationは無効化Abrogateされたのである。そして、生と死の幻覚を超えて結像する「とりあえずの」新たな意識様態,
Visionが「子供」であり、現代を生きる人間の精神医療とInitiation Designingの悉くはここに立脚しないことにはもはやたちゆかない。Scientific Illuminismとは、醒めわたった科学的視力によって、もはや疎外要因でしかなくなった古い幻覚、残像をAbrogateする力動そのものであり、それはある面ではダライラマ14世の「やさしさの宗教」とベクトルを同じくするものですらある。

とまーThelema主義、Scientific Illuminismの最も単純にしてPrincipalな要点をさくっと乱暴にまとめるとだいたい上述のような感じだと思うが、Perfumeが現前させてしまった「電子意識」 -我々は今日、電子的・情報的・すなわち霊的存在である、という感覚、肉体を焦点とした「人間」観の解体- の覚醒が、日いづる国で、宗像三女神の意匠をともなって進行中であり、このことはいずれ日本を特異点とした世界政治経済構造の再編成、神も経済も超えた「すっごくイルミナティ」な日本の国家観、民族感、人類観の噴出へと連なっていくかも知れないという照明(Illumination)が、イティハーサ読了直後のおれ的にはますます趣き深い、のであった、という話。

ディスコ!

http://www.amazon.co.jp/dp/B001TITK8A
http://www.amazon.co.jp/dp/0892541458


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