2016年07月30日

シン・ゴジラ

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映画的に官能的だったのは第4形態と伊福部の数秒間だけ。あとは内省的な皮肉に付き合わされる。傑作だの声もわからんでもなし、いやわからんが、右的高揚感を警戒する声もまぁわかる、しかし自分で観た感想としてはどちらの意見も観念的に過ぎる。目の前の画面にエロスと高揚が圧倒的に不足していた。

既視感の記号的コラージュ。それがオタク美学だ、といわれればそうですな、としか言えない。そしてそこにそれなりの批評性をもたせる、まぁそういうこともやってるだろう。

しかしだね、庵野秀明がやったことは結局のところ、子供たちから夏休みのゴジラを取り上げて、難解な政治言語で埋め尽くし、お手盛りのオタク記号を適当に配置して、悲しい顔をしてほい、と置いて見せた、そういうことではないか。大人の事情や実存的葛藤を織り込んで、おとなこどもの怪獣映画で街をぶっ壊すのは、いい。いいから、なんかもっとこう、小学生をウォーと興奮させる、ゾゾーと脅かす、反抗的な大人に対しては晦渋な暗号作法に則りかすかな勃起と潤滑液分泌をトリガーする抵抗不可能な記号を意表をついて忍ばせる、それを最低限のお約束として、満足いく分量を確保して、その上で、どうぞやりたいようにやって欲しかった。

おれは今日、なんか間違えて2,500円払ってグランシネマだかなんだか、なんか偉そうな劇場のチケットを買ってしまった。普通のスクリーンに隣接してるのだが、大人なラウンジでワンドリンクがついて、ワインとか頼むと番号札と引き換えにテーブルまで持ってきてくれるのだ。シートはフルリクライング可能で、スリッパも備えてあった。よく調べずにいって一番近い上映を選んだらそれだったのでやや面食らったが、一体だれがこのグランシネマ体験を求め、またこれに満足しているのか、疑問を感じた。なんか静かげなラウンジはしかしメニューは同じなので、そこで食すのはホットドッグとかなんか過剰に高級感を謳った500円のソフトクリームであり、大人ラウンジといってもハリボテ感が半端ない。だったら普通にしてて欲しい。あちらのほうで老夫婦が店員に横柄な態度でなにかいっている。上映直前に買ったチケットなので一番前の席だった。フルリクラインングできてよかった。一番前を舐めてた。

そして「シン・ゴジラ」を観た。
おっさん、おっさん、おっさん。しょっぱなからおっさんの洪水だ。画面の空間的・時間的比率はともにおっさん率90%だろう。あとは若いおっさん。政治的にぎりぎり正しくいえばアスペルガー的知性を代表する各界の変わり者たち。数十分のおっさんと若いおっさんと変わり者が早口で政治言語をまくしたて、そのどうしようもなさを諧謔的に演じてみせる。ちょっともうお腹いっぱい、と思った頃合いにはじめて登場する、生き生きとした生物的な魅力を放つのがバイリンガルのカヨコ・パターソン。対比。うん。
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けどあの人も悪くなかった。あの不機嫌そうな女の人。アニポールきょうこ氏を不機嫌にして賢くした感じで、親近感が持てたからかも知れない。そこも対比だ。うん。市川実和子だったのか!(後日註:市川実日子さんでした)

自衛隊の号令とか公共のアナウンスとかはリアリティがあっていいんだけど、役者の喋りになると途端にそのリアリティがなくなる。役者も全部ああいう普通の喋りにすればいいのに、と日本映画を観るといつも思うが、なんかそうもいかない事情があるのだろう。あの白髪のよく見る人はよかった。あと総理代理。若いおっさんはかっこいいのか悪いのかよくわからない振る舞いで、あれ役者養成所で徹底的にああいう風に演じる訓練をしてるんだとしたら、なんでだろう。まぁなんかいいんだろう。リアリティがないならないで魅力的であればいいんだが、まぁそんなに魅力的でもない。お金を払ってでもうっとりと見惚れたくなるような魅力を放ってるわけではない。カヨコさんが魅力的なのは、まわりをおっさんで固めてるからというのもある。片桐はいりもよかった。ああいう状況で、なんかふと欲情するとしたら、ああだと思った。そこは庵野わかってると思った。

背びれ。背中を向けた時に最強の最終兵器。ゴジラは安産型の自閉症。最初でてきたときすごい可愛い。太くて大きいゴジラを、細くてもじゃもじゃしたもので絡め取る。男根兵器は一切効かないゴジラだが触手には弱い。ぶっ壊しながら東京観光。新幹線と山手線。恵比寿のトンネル。鉄ちゃんの東京ノスタルジー。わかる。むかし高橋幸宏が「好きだけど嫌いな街」と表現した東京への郷愁。

「ガッチャマン」みたいに狂ってないけど、じゃ冷静だったらいいか、というとなんかそうでもなかったなあ、という感。
ゴジラ以外はおっさんと電車と自衛隊しか写ってない。まぁ映画ってそういうもんだったかも知れない。わからない。

まぁなんかいろいろあるけど、ゴジラをこどもに返してあげて欲しい。大人げないと思います。

http://shin-godzilla.jp




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2016年06月30日

OCCULTURE : Youtube is Psychic TV

dengerousmind.comにポストされたリチャード・メッツガーによる初期Psychic TVの記憶と発掘ライブ映像に唐突にも高揚したので、ここにYoutubeで観れる・聴けるマイベストPTVフッテージをまとめる。

東京リチュアルウフィカ、おれや谷崎榴美のツイッターなどを通して「現代魔術」「魔女」などのキーワードに出会い、魔術?魔女?オカルチャー?と謎めきつつ、はてさてどこから手をつけたものやらとりつくしまがないと感じられている人もいるだろうと思い、高揚ついでにyoutube上のフッテージをかいつまんでPsychic TV とそのOcculture Currentを紹介する。つまりこういうことである。


引用元:http://dangerousminds.net/comments/live_evil_psychic_tv_raising_demons_live_in_concert_19842

上のお宝発掘ライブ映像を見て「なんじゃこれは!?」と思ったら"DREAM LESS SWEET"を。
Youtubeで聴けるけど、お布施に1枚買っとこう。金が動かんと文化は回らんし、ヘッドフォンでぐるんぐるんに回るホロフォニック立体音響で土葬されたり軍用犬に威嚇されたりできるのは安い買い物だ。


初期PTVはポップでサイケデリックなロックチューンも魅力。


これは娘カレッセちゃん。当時8歳。






PTV率いるジェネシスPオリッジはセカンドサマーオブラブ仕掛人の中でもいろんな意味で大ボス中の大ボスである。アシッドテクノ期にもダンサブルなロックチューンやオールドヒッピーライクなアコースティック曲を織り交ぜつつ、サマーオブラブの文脈を強靭に表明し続けた。"JOY"と"BLACK"はVHSで死ぬほど観た。今見てもかっこいい。

裸のおじさんをものともせず太鼓叩いて踊り狂うカレッセちゃん






アシッドサマー期PTVはThee Infinite Beatだけ聴いとけばよい。膨大な数のリリースがあるが、どれもまぁ同じだ。
https://youtu.be/VYBu6DKF0XU
それのREMIX盤。聴くとかじゃない感じるもの。熱い時代のドキュメント。


中でもUNITEDアンディウェザオールREMIXのエイリアンサイケ魂が胸熱


そんなライブでも皆座らせてルーリード演ったり、この人はサマーオブラブの中核メッセージを意識的に保持し続けてるのがカッコよくて辛抱たまらん。


PTVはその後活動休止・再始動を繰り返し、現在はPTV3。
亡き妻レディ・ブライヤー・オリッジとのPandrogyneプロジェクトによって生き写しの姿になったジェネシスはPTV3でプリミティブな8ビートロックに回帰。

引用元:https://www.nowness.com/story/twins-entwined-bight-of-the-twin-hazel-hill-mccarthy?utm_source=tw&utm_medium=SM&utm_campaign=tw270616





合間にはメンバーと壮絶モメつつもThrobbing Gristle再結成。ライブめちゃかっこいいじゃんかよ!


半ば伝説だった初期PTVのスキャンダラスな儀式映像もYoutubeに。いい時代だ。


PTVファンクラブから本格魔術結社に発展したThee Temple Ov Psychic Youth (T.O.P.Y.)は、ティモシー・リアリーやウィリアム・バロウズも参入した新世代魔術結社Illuminati Of Thanateros(IOT)と双璧をなすケイオスマジックネットワークとしてシーンを牽引。後に「くれくれ君の集いになってやんなった」とジェネシス自ら引導を渡し、現在ジェネシスはOne True Topi TribeなるnEttworkを展開中。
https://twitter.com/truetopitribe
http://otttdocuments.blogspot.jp
http://ottt.bandcamp.com

初期Thee Temple Ov Psychic Youthの雰囲気はドイツの問題カルトムービー"DECODER"で垣間見られる。


この時代の雰囲気はDavid Keenan"England's Hidden Reverse"にバッチリ記録されている。新版もKindle版も出てるが、初版ハードカバーには主題であるCOIL "Constant shallowness"CDがついていた。これがかなりいいのだがまぁネットで聴けるのだ。
http://space.me/musicat/?r=track/view&Tr=1687287&link_id=709121&sid=2912923489715285

上掲書で描かれる英国サマーオブデス当時のPTV, COIL, CURRENT93周囲Occulture人脈には、ガールフレンド、ルームメイトとしてストロベリー・スィッチブレイドのローズ・マクドウェルや、ネオナチ騒動に巻き込まれつつケイオス経由新世代ルーンカルトを率いたフレア・アズウィンなどが登場する。こういう場所にはそういう女がいつもいるものだ。







あとは汝のGooglenicityに導かれるままに。
ついでにイベント告知。

あなたの聴かない世界vol.10
New Age or New Edge Returns!!!!!
日本ニューエイジ秘史


日時:2016年7月2日(Sat)18:30 Open / 19:00 Start
場所:神保町視聴室 東京都千代田区西神田3-8-5 ビル西神田1F(MAP)
料金:予約2500円(1drink+スナック付) / 当日2800円(1drink+スナック付)
トーク:永田希(Book News主催)/持田保(「INDUSTRIAL MUSIC FOR INDUSTRIAL PEOPLE!!!」著者)/マガリ(magarisugi.net)/バンギ・アブドゥル
ライブ:バンギ・アブドゥル(ピアノ)/ マガリ(クリスタルボウル)
タロット:婀聞マリ (Ecstasy Tarotblade)

詳細:http://tokyo-ritual.jp/event.html
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2014年10月15日

バンギ公式サイト

つくりました。
http://bangivanzabdul.net/

まーなんとなく業務上の都合でさくっとつくったのですが、コンテンツはまだまだこれからです。ブックレビューをちくちく充実させていこうかなと思ってます。なんとなく。

とりま、ここ15年程の間にあちこちで書いた原稿をえいや、と発掘して収録してみました。これが結構読み応えある感じですので、どうぞお茶のおともにひとつ。
http://bangivanzabdul.net/archive.html

あと東リチュでやってたSkype鑑定はこちらに移動しました。ご縁の向くまま、気の向くままに、生涯これ修行の意気込みで、のんびり続けようと思います。こちらもどうぞお気軽に。
http://bangivanzabdul.net/skype.html


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2014年10月02日

「スロー・ポリティクス: 危機の時代の力と創造性に関する国際会議 」覚え書き

 札幌メディアアーツ・ラボとベルリンBerlinergazetteの共催による国際会議「Slow Politics」から昨日、帰岡しました。
http://www.smal.jp/projects/page.php?id=132

 ベルリン、トロント、ニューヨーク、東京、札幌から集まったジャーナリスト、アクティヴィスト、アーティスト、エンジニア、ハッカー、社会学者たちとのテーマ別のディスカッションに「魔女、魔術師」つまり「オカルティスト」として参加した訳です。この並びは、実際やってる本人としては至極真っ当に思えるものですが(笑)驚かれる方も少なくないでしょう。

 ビッグデータ、プライバシーとセキュリティ、コピーライトとコモンズ、創造的都市、余剰と蕩尽の文化経済的ダイナミズムについてディスカッション、プレゼンテーションを交換してきました。

 私と谷崎が参加した「余剰のチカラ」というディスカッションは、札幌でアーティストインレジデンスをオーガナイズしている橘匡子さん(http://www.s-air.org)、ヴォーカロイド「初音ミク」を創造したクリプトンフューチャーメディアの伊東博之さん(http://www.crypton.co.jp)、ベルリンと東京のテクノシーンを繋ぐ「テクノ外交官」の異名を持つDJ TOBYさん、札幌メディアアーツ・ラボの特別研究員・光野有美さん、そしてモデレータの札幌市立大学教授・武邑光裕さんと円卓を囲んで3日間に亘って議論を行い、最終日パブリックトークで「グループウェアとしての“魔女” 魔女の方法論を創造的共同体運営に応用する "Witch" as groupware - Adaptating witch's methodology for organizing creative community」というプレゼンテーションにまとめました。

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 各国から集ったスペシャリストたちから多大な刺激を受けたのですが、なかでもベルリン・パブリックアートラボのスーザ・ボップ氏のプレゼンテーション、世界主要都市をボトムアップ型のメディアアートプロジェクトで有機的に接続していくCONNECTING CITIESというプロジェクトが素晴しく、またそこに官民ともにすんなりと馴染んでいく今の札幌という都市のポテンシャルに軽く戦慄を覚えました。

CONNECTING CITIES http://www.connectingcities.net


 私自身、岡山で生産者と販売・飲食店、消費者を新たな回路で接続するマーケット「いち」の立ち上げに参画し、ボトムアップでGlocalなアクションを創発させるモデルを模索する中で、様々な可能性、困難、見通しと課題を発見しました。その問題意識に示唆をもたらすものとして、都市のハード面でのインフラ以外に、ソフト面のインフラ、精神的なリソースが、開拓都市札幌には深く重層的に形成されているのを実感しました。

いち@岡山 http://www.ichi-jp.org


 私が岡山に移住した時に、岡山は災害が少なく、日本一の晴天率を誇り、果実が豊かに実ることから「放っておいても誰も死なない」場である、という物言いをよくきき、また私自身強く実感しました。翻って豪雪と寄り添う札幌は「放っておくとすぐに死ぬ」ので、誰もがギリギリのところでは助け合うという「原理」が、決して相対化されない前提としてあります。そしてその深層での相互接続関係は、それ故に、個々の自律性を信頼し、いい意味で「放っておく」開放的な心象風土を形成しています。各地から参入してきた開拓民たちは、丁度移民国家アメリカのように、地縁や血縁を超えた新たな「つながり」を必然的に要請し、それをアプリオリに受容するのでではなく、Proactiveな意志のもとにデザインしてきたので、過度な干渉や癒着に対する実践的な処方箋、ノウハウが豊かに蓄積されているのだと思います。互いに「いまここ」を共有する異者として、葛藤を超え、均質化の幻想を超え、小権力への誘惑を振り切り、創造的なエナジーフロウへとダイナミックに自ら投企していく、アフターインターネット的な個人、都市、文化共同体のアイデンティティ形成、その作法について、札幌の風景から学べるものが多くあります。

 「放っておいても死なない街」岡山と、「放っておくと死ぬ街」札幌は丁度鏡像のように対照的であり、都市規模の違いを超えて相互に適用 Adaptation 可能な精神的リソース、ヒントを共有し得ると感じました。今回の会議と旅で得た私自身のインサイトを、岡山で共有・実践する次の機会が楽しみです。

札幌メディアアーツ・ラボ http://www.smal.jp
CONNECTING CITIES http://www.connectingcities.net
東京リチュアル http://tokyo-ritual.jp/event.html
いち@岡山 http://www.ichi-jp.org

私がクリエイティブディレクションを担当した関東大震災一周年イベント「いち@311」(2011)
http://eugenius.jp/ichi311/
この時の関連記事:
月刊23曜日blog: わたしのアセンション・2012を振り返るhttp://23youbi.seesaa.net/article/311845485.html




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2014年03月30日

春のテキスト

人間は表現欲求を持っている。
他の動物も持っているかも知れない。イルカとか。知らないけど。
けど人間の表現欲求は群を抜いているように感じられる。
なんかとにかく何でも書き残すし、喋ってる。伝達してる。
「それおれの餌だからとるな」とか生存に関わることだけじゃなく、
むしろそんな重大なことを伝達する機会は稀で、殆どの時間は他愛もないことを伝達してる。
伝達しあってる。

頭の中になにかが閃く。「こんなに表現とか伝達とかしてるの人間くらいかな?」とか。
そしたらそれを書く。例えば今おれは書いている訳だが、これはさっき台所で煙草を吸っている時に思いついて、10分くらいはそのことを考えていた。仮説とか反証とか展開しながら。

書いてはいるが、これは別に誰に向けて書いている訳でもない。ざっくりと「読む誰か」を想定はしているが(これを書き終わったらブログに載せようか、どうか、とか今は考えているから)、この仮定の伝達対象は伝達を開始した後に登場したもので、いざ伝達が始まった瞬間には、タッチの差とは思うけど、やっぱり居なかったと思う。つまり文章として書き残してはいるけども、記録として外部化されているけども、誰のためかというとおそらくそういうことではない。後で、数年後に偶然みつけて自分読み返すと、それはまぁある程度は楽しい気分を味わうだろうが、多分数年後にこの文章をみつけてもたぶん「これブログに載せようか」と思うだけだろう。そして載せたり載せなかったりは、その時次第だ。世界にはそのようなテキスト(エクリチュール?)が情報量にして何ギガバイトくらいあるのだろうか。

PCのフォルダ奥深いところに、こういうテキストが埋もれていることがよくある。昔はよくあった。記録媒体(わざわざ記録媒体、と書くのは、ハードディスクと書いても、このテキストが読まれる時にはもうハードディスクなんて使ってないかも知れなくて、なんとなく古ぼけた感を感じさせるかも知れないからだ。それでも別にいいのだが、今は別にその古ぼけた感を特に伝達したい訳ではないので)がクラッシュ(今の時代にはクラッシュという現象があります)して、定期的にそういったテキストは失われる。ある頃から、おれは思いつきをテキストファイルにして保存することをしなくなった。10年くらいしてない気がする。なぜしなくなったかというと、思いついたことはツイッター(未来の皆さんがこれを読んでいるのなら、西暦2014年くらいに流行したテキストメディアです)などですぐに「伝達」してしまうように、いつの間にかなったからだ。ひょいひょいと外に溢れ出すから、PCの奥深くに蓄積しない。以前、フォルダの整理をしていると「春の馬鹿野郎.txt」というファイルがあって、開くと中に何が書かれていたかはもう忘れたのだが、まぁ春の気分について非常に瞬間的なことがらが一言二言書かれていた。ファイル名は重要だ。そこに「なぬ?」という疑問があると、中を確認したくなる。「名称未設定.txt」とかのファイルが未来に内容を確認される可能性はぐっと下がるだろう。

そういえば今、これを書いているのは2014年3月30日。午前3:56分。春だ。おれは春になると筆が進むのだろう。うろ覚えだが、上記ファイルを見つけた時にも、他にも数年分、春のメモを発見した記憶がある。それらは全部HDクラッシュで失われた。儚いものだ。

今年の春は「伝達」についてだ。なんでヒトはこんなにも過剰に、無意味に伝達するのか。
承認欲求もあるだろう。だが誰に承認してもらいたいかというと、こうしてまた数年後の春にこの文章をみつける自分自身に、だろうか。ほんとかな? 今これを書いているおれも、その時の今これを読んでいるおれも、お互いにそれほど興味関心を持っていないだろう。不慮の事故でおれが死んだとする。遺品の整理としてPCの中身も確認し、このテキストが発見される。おれが文豪とかそういうのなら、その時の新聞に「発見!」とかなるかも知れない。それは楽しそうだ。だからといってその読者を意識しては書かない。想像つかないからだ。たぶんそういう文豪とか新聞とかそういう感じでは今回の人生はないので、家族とか、妻とか、親しい友人が、このテキストを今読んでいるかも知れない。結構長そうで、ちょっとうぇ、てなっている人もいるだろう。しかも読んでも読んでも、大したことが書いてない。けども、まぁ家族や、いや家族はないかな、妻とか、かつての恋人とか、そういう人なら、保存しておいて、ときどき夜中にブランデーなどちびちびとやりながら、少しづつ読んだりするだろうか。それくらいの量があればいいが、それを意識して書き続けることもまぁ今はしない。おれは今、「伝達」について思いついたことを、誰にともなく伝達しようとしているのだ。

ヒトの伝達は、この惑星では類をみない程、個性的だ。ヒトとしての限られた視点からの意見ではあるが。
たとえばハチが「あっちにお花があるよ、蜜があるよ」ということを伝達するダンス言語を持っているらしいが、それは先述した、重要なこと、あるいは、本能的な、生という業務的なことであって、この春のテキストのような無意味、無目的なものではない。ハチが「ねーちょっときいてよ、あのさー」てみたいなダンシングコミュニケーションを行っている、とは、おれはこれまで聞いたことがない。今は春なので、ここ数日ネコがなうなういっている。あれなんかちょっと近い気がするけど、けどいいっぱなしだし、それほど長く持続しない。ネコはNOWと言っているだけなのだろう。上手いこというだろうとかじゃなく、本当にそう思う。

トリなんかはしょっちゅうピーチクしてる。しかも相互に、四六時中やっているので、例えば熱帯のトリたちはもしかしたら「あんなー」「なにー」みたいなやりとりをしているのかも知れない。しかし、トリは書かない。トリやネコも、なにかが閃くこともあるだろう。サカナ。オヒサマ。そうしたら、「サカナ!サカナ!」とか「オヒサマ!オヒサマ!」とかいってるかも知れない。で、「ン?モシカシテ…」となにか思いつくかも知れない。「デンタツ!デンタツ!」くらいはあるかもね。さらに「ん?おれってめっちゃ伝達してね?」とか「それってもしかしたらこういうこと?」とか、脳の中で、あるいは言語それ自体が自らを編んでいくように、思考が展開するかも知れない。それを「ピーチク」とか「NOW」など、彼らの持っている言語能力で伝えるのは、多分難しいのではないだろうか。中には試みた個体もいたかも知れない。けど、多分途中で止めただろう。ヒトは、というかおれは、例えば食事中にこういうことを思いつくと、割と気軽に喋る。今は夜中なので、喋る相手がいないから、書いている。書いて、「ン?モシカシテ…」を深めたり拡張したりをしている。こんなことしてるのは、少なくともこの惑星では、ヒトくらいだと思う。いやヒトとしての限定された視野からみると、そうだというだけだが。ネコがこういうことを書いているのをみたことも聞いたこともない。植物なんかは結構あやしい。そういうことしてそうだが、まぁわからない。石もヤバい。石は存在自体が記録だ。やつらは記録として、結果として存在し、しかも育ったりしてる。けどそれもまぁ石の気持ちはヒトのおれにはわからない。ヒトは記録を石に刻む。シリコンだってまー石だ。石と記録にはなにかある。

ハチやネコと、ヒトの違いは、脳の大きさとかいわれるけども、ここではシンプルに「言語」といっておこう。言語が、この惑星の他の種族に比べて、ずばぬけて複雑なのだ。複雑すぎて、もはや言語が言語それ自身を生み出し、展開し、編み上げていっているようにも思える。誰に伝達しようというつもりもなく、どんどん自己増殖し、いや増殖どころか、自己組織化している。この文章も、書かれれば書かれる程、その思考は拡張され、蓄積し、情報量が増え続け居てる。にもかかわらず、途中で意味が不明になるとか、文字化けして読めなくなるとか、そういうことがない。バロウズという作家が「言語は外宇宙から飛来してヒトに寄生したウィルスだ」といってカッコいいが、まぁなんらかの閃きとして、的を得ている気がする。みんなもこのことをもっと真面目に考えたほうがいい。

このテキストは「春のテキスト」フォルダに保存しようかと思ったが、ブログに載せることにした。もはやどちらも大差はないような気がするからだ。


追記0330
もしかして、と思って前回「春のテキスト」を発見した時のポストがあるかも、と思って検索したらあった。2007年だった。
http://23youbi.seesaa.net/article/35514180.html

posted by bangi at 04:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月15日

WILD SIDE MEETING

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「友よ、答えは風に吹かれている」ーフォークシンガー

「いうまでもなく、我々はバーチャルスペースからの逃走を試みているのだ」ー1996年ハッカー会議録

「そりゃあんた、99年にもなれば世紀末なんてとっくに終っているわよ」ー友人の母

「グッモーニン、エブリワン!」ー英語教師

祭は終り、星の下荒野に火が灯る
砂、石、枯木で天幕が張られ
様々な不思議な旗章が交換される
それは野蛮で快活な市場のはじまり
旅人、商人、詩人たち
星を読み、体に荷を括り付けて運ぶ彼らは
まどろむ子供たちにいつ終わるともないおとぎ話を囁き
日の出を待ちながら綿密な旅の計画を立てている

悉くが「情報」にすり替えられた風景の中で
「情報」を集め、分配し、また回収する元締めたち
私たちが眠り、食べ、歩き、笑うことに
彼らはどんな代価を要求できるというのか
だけど、私たちは決してすり替えられることのない
私たち自身の生を生きていることを知っている
もし、あなたがあなたの悉くを「情報化」あるいは
「消費」してしまったと嘆いているとしても
大丈夫、あなたの奥底に手付かずの荒野は広がっている
陽が上り、星が巡るその大地は心の中、最奥の秘密の場所
私たちはある月と星と風の夜
そこで落ち逢おう、というのだ
そして互いの微笑みと合図を持ち帰り
私たちの街に素敵な公園と花壇とモニュメントを
何食わぬ顔で造営しようという訳だ

この私たちの場所を、隙間と呼ばせてはいけない
そこは私たちを媒介する隙間を知覚することによって
私たち自身に出会う場所なのだ、逆ではない
また、この場所を辺境と呼ばせてもいけない
そこは私たち自身が経験し、紡ぎ出す人生そのものの風景なのだから
そして重要なことだが、この場所であまり騒ぎたて、はしゃいではいけない
私たちは祭りの後の日常をこそ、確かめようとしているのだから
早すぎる、なんて心配は無用
私たちは皆、一瞬一瞬、今ここに生きている存在であり
どこか遠くに浮かぶ陽炎では決してない
何が起ころうと、それはいつも「今、ここで」起きる
さて、そろそろ、私たちのミーティングを持とうではないか
私たち自身が、生きていくこの街で
星降る夜に、お茶とお酒と歌と微笑みで
お互いのプランを吟味しようではないか
WILD SIDEは私たちを包み、広がっている

text by Bangi Vanz Abdul (KAUNTAR)
(1999/02/28渋谷SPACE EDGEにて雑誌『A』主催イベントWILD SIDE MEETING VOL1に寄せた一文)
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2014年02月05日

無題

滑車が澄んだ高い音をたてて周り、稲荷の白い尻がちょうど私の顔の高さにまで吊り上げられた時に、その入れ墨に気付きました。
左の尻に、IN。右の尻に、RI。

「Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum。ユダヤ人の王、ナザレのイエス」

リリスが今にも寝入ってしまいそうな微かな声で呟いて、目を閉じました。
枷で固定された稲荷の両足が、高く掲げられた尻を頂点とした美しい三角形を描いています。その頂点には金箔で装飾されたアヌス。ルシファーはそれを「全てを見通す目」と呼んでいました。そのピラミッドの冠石、黄金の一つ目を挟むように、その聖4文字が入れ墨されています。

「おかしいかい?私たちの言葉は、すべて謎掛けになっているのだよ。」

ルシファーは大きな一枚ガラスがはめられたテーブルに顔を近づけ、そこに白い砂漠のように敷き詰められた粉に顔を埋め、すん、と鋭く吸い込んでから、白い粉まみれの鼻の頭を拭こうともせずにこちらに振り向いて、にやりと笑いました。彼の大きく膨張したペニスの先端から細い銀色の糸が垂れ、床で眠りかけているリリスの乳房に落ちました。

「イエスは一つ目だ。いや、狐といったほうがいいかな。彼は春になると里に降り、赤い鳥居の下で踊る。」
「この子は諏訪の大鳥居の下で泣いていたんだ。お腹が空いているのだと思って、私たちが持ってきた稲荷寿司を食べさせた。もっとも、東京に連れ帰ってすぐに、私たちがこの子のお稲荷さんを頂くことになるのだが」

そういってルシファーは赤い蝋燭を稲荷の尻に近づけ、陰嚢の真下にかざし、聖4文字にわざとらしく接吻をしました。チリチリ、という音と毛の焼ける匂いがして、稲荷はビクっと動きましたが、また動かなくなりました。金箔で固められたアヌスがすこし収縮しました。

「三重県では稲荷寿司を炙るそうだよ。おあげの油分を適度に飛ばして、香ばしさを増すんだ。私はまだ食べたことがない。」

私は随分前からぼうっとなって、全てが夢をみているように曖昧で捉えどころがなく、寝入ってしまわないように体を起こしておくので精一杯で、それでも裸の体を包む黒い毛皮が催眠術のように肌を愛撫する感触を楽しんでいました。ふと稲荷寿司が食べたい、と思いました。

「イナンナ」いつのまにかリリスの顔がすぐ側にあり、強いアニマルノートと微かな口臭が混じった息が私の顔にかかります。

「ナンナ、イナンナ、稲荷寿司。酢飯のスメル、スメラミコト。」

リリスは舌でリズムをとりながら私の耳に呪文を吹き込み、それとは関係ない様子で気まぐれに耳たぶや耳の穴を弄びました。稲荷の金のアヌスから涙が溢れたように見えました。私は全てがデタラメに滑稽に思え、吹き出すかわりに、クリトリスを少し刺激してだらしない甘美さに沈んでいきました。もっと何か言って欲しい。もっと私の耳の穴の奥底に、巫山戯た呪文を吹き込んで欲しい。瞼が痙攣し、蝋燭の光は堪え難いまでに眩しく黒目に差し込んできます。ルシファーが自分の手でペニスをしごき、稲荷の入れ墨の上に精を放つのが見えました。そうして彼は私のほうに振返り、リリスとは反対側の耳にゆっくりと唇を近づけます。葉巻の匂い。

「太陽をあまりみつめてはいけない」
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2014年01月19日

ポーの洗礼式 (Principia Discordia)

ポーの洗礼式
POEE Baptismal Rite

司 祭:汝、まさしく人なりて、キャベツかなにかにあらずや?
参入者:はい。
司 祭:最悪や。汝、より善きものにならんと欲すや?
参入者:はい。
司 祭:アホか。汝、哲学の光もて照明されんと欲すや?
参入者:はい。
司 祭:じぶんおもろいな。汝、聖なるエリスの軍勢に加わらんと欲すや?
参入者:たぶん。

参入者:女神エリスの御前にありて、我(名前)、轟く不和の軍勢に加わり、神秘なるエリスのパラセオアナメタミスティック団の兄弟となれり。
ヘイルヘイルヘイルヘイルヘイルエリスエリスエリスエリスエリスオールヘイルディスコーディア!

全員:オールヘイルディスコーディア!

※ポー POEE = PARATHEO-ANAMETAMYSTIKFOOD OF ERIS ESOTERIC
敢えて訳せば「神秘エリスの分裂神智無政府高次ひみつ団」

From PRINCIPIA DISCORDIA
http://principiadiscordia.com
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2013年11月10日

グレイフェイスの呪い(Principia Discordia)


混乱伝統

(折り曲げ禁止)

「グレイフェイス」
BC1166年、グレイフェイスと呼ばれる不満たらたらのドタマひんまがり野郎が、宇宙は彼同様にユーモアに欠けていると考え、戯れは世界のシリアスな秩序を害するが故に罪深きものなりと教えを説いた。「汝の周りの秩序をみよ」と彼は言った。リアリティとは即ち囚人用の拘束服であり、人々がかつて信じていたような幸せなロマンスなどではない、と信じさせ、正直な人々を惑わした。

今日まで、なぜ当時の人々がそれほどまでに騙されやすかったのかが、理解されることはなかった。何故なら、誰もそこに混乱を認めず、真逆の結論に至ったからである。ともかく、グレイフェイスと彼の追随者たちは、人生ゲームの戯れを彼らの生そのものよりもシリアスに捉え、彼らとは異なる生き方をする他の生命を破壊さえもした。

その不幸な結果として、人類は心理的・霊的アンバランスに苦しむことになった。アンバランスはフラストレーションを生み、フラストレーションは恐怖を生む。そして恐怖はバッドトリップをもたらす。人類は現在に至るまでの永きに渡り、バッドトリップの最中にある。

これが「グレイフェイスの呪い」と呼ばれるものである。

-牛糞花を育てそは美しき-

From Principia Discordia
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2013年10月14日

メルマガ「月刊23曜日」と「ケイオスマジックワールドミーティング2004荻窪」


運営していたドメインの整理などで閲覧できなくなっていた過去のコンテンツを整理して再アップしてみた。

このブログ「月刊23曜日blog」は本来、2002〜06年の間配信されたメールマガジン「月刊23曜日」の「編集部だより」として開始されたものであった。メルマガ配信停止から既に7年が経過しているので最近ツイッター東京リチュアル関連からこのブログにたどり着いた人にはご存じない方も多いだろう。今回再アップしたのはこの本家「月刊23曜日」全バックナンバーである。再アップにあたりツイートボタンなどを追加した。


pagelogo.gif
リンク:月刊23曜日 http://tokyo-ritual.jp/23/


振り返るに2002年に「月刊23曜日」が開始されたのは、2001年中央アフリカ・ザンビアでの日蝕パーティへの旅から帰還して間もなくのことだ。南アフリカからザンビアまでおよそ1ヶ月をかけて旅した経験から受けたものがアウトプットされているのだが、当初はディスコーディアンやサブジニアスといったアメリカ西海岸メタ宗教カルチャーの影響が最も強く、初期の号のイメージはそのままPrincipia Discordiaだ。2007年に邦訳されるR.A.ウィルソン「イルミナティ」3部作からの引用も見受けられる。

編集者としてクレジットされているシェークスピアボーイズは自分含むライターチームで、TOKIONとか他のもう忘れた種々の雑誌に宗教法人アレフインタビューや温泉ルポなどを寄稿していた。ALAR MATARは当時我々がアラーと呼んで崇拝していた荒俣宏氏へのオマージュを込めたペンネームで、当然荒俣宏氏ご本人ではない。

諸々のリスペクト、引用、連想のモアレのような「月刊23曜日」だが、ディスコーディアンからケイオスマジック、ニューエッジに至る70-90年代西海岸カルチャーとの関連を指摘する声は全くといっていい程なく、端からみれば「何をどうしたいのだろう?」といった訳の分からないメールマガジンであっただろう。

しかし何でもやっておくといいもので、後に2007年にジョエル・シューマッカー監督・ジム・キャリー主演作品「ナンバー23」が公開されると、文化的背景を絡めて作品解説を執筆して欲しいとの依頼が来た。

リンク:ナンバー23解説原稿 http://23youbi.seesaa.net/article/138229267.html

ほぼ時を同じくして先述「イルミナティ」3部作が邦訳され、「遂に“23曜日”がやってきたのか…!」と小躍りしたものだが、映画は特に話題になることもなく街にコード23が溢れることもなく今にいたる。




もうひとつ、資料的な価値を鑑みて再アップしたのが、2004年東京・荻窪で開催したイベント「CHAOS MAGIC WORLD MEATING」の告知ページだ。

index_03.gif
リンク:CHAOS MAGIC WORLD MEATING http://tokyo-ritual.jp/cm/index.html


当時のIOT JAPANを率いていたDead Jellyfishと二人で、アメリカ・カナダ・オーストラリアから現役のケイオスソーサラー達を招き、3夜に亘ってレクチャーと儀式、ダンスフロア(これは集客が少なく中止された)が催されるというチャレンジングなイベントだ。外人勢がAnton Channing, Jaq D Hawkins, Sean Scullion, Dead Jellyfish、日本人勢としてOTOのHieros Phoenix氏、不肖バンギと蒼々たる面子と豪華内容、そこに込められた時代の熱を上記サイトから感じ取って欲しい。しかしながら、会場に足を運んでくれた知人以外の純粋なお客さんは僅かに数人であった。当時はツイッターも東リチュもなかったのが悔やまれる。

中日の深夜の儀式ではたまたま通りがかって入場してきた酔っぱらい外人も含めてアポロン召喚儀式を行った。輪になって全力疾走し、最終日の客入りを太陽神アポロンのご加護でなんとか盛り上げよう、という意図を込めた儀式であったが、客足は変わらず、一人か二人。DJと「儀式は効かなかったかな?」とうなだれながら朝の中央線で帰路につこうとすると、連日小雨だった天気が唐突に快晴で、はっと目が覚めるような美しい早朝の空に二人して心奪われた。そしてお互いに顔を見合わせ「アポロンな」「そうなんよな」「こういうもんなんだよな」「いつもな」と、力なく、しかし大変壮快な気分でいつまでも笑った。人生でみた最も美しい東京の朝のひとつだった。

「魔術系のイベントは客がこない」は当時から定説であった。複数組織をまたがるフラタニティの絆を持ってしても、である。しかしながら、おれもDJもくじけずイベントを開催し、公開儀式を催してきた。この時の経験がなければ現在の東京リチュアルは存在しなかっただろう。なんでもやってみること、やっておくことが大切なのである。付記すると、このイベントの頃が東京のポストケイオス的魔術人脈は最も充実していた気がする。Illuminati Of Thanateros, Temple Of Set、その他様々な文脈のケイオス的グループ(ほぼ外国人であったが)が関東に存在し、充実した交流、議論、友情が交わされた。この辺りの東京ケイオス人脈とシーンがレビューされることはおそらく未来永劫ないだろうが(*)、現在の西洋魔術シーンの状況しか知らない人には「本当にそれがあったのだよ、かつて、ほんのひと時ね」と証言しておくとともに「ともかくも何かやっておけば、後でなにかになる」とアドバイスさせていただく。

魔術理論的には、熱力学第二法則に支配されたこの物質宇宙では、何かを行って何も起きないということはあり得ないのである。

*IOT Japan周辺で騒動が巻き起こり消滅するまでの間の雰囲気は、事後的ながらこのログに種々のエピソードが記録されている。ログが残るということが重要だ。
リンク:混沌ログ:http://kontonlog.blog105.fc2.com


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