2012年08月08日

【タロットワークブック講座】タロットプロフィール&イヤーカードグラフを作成してみる

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メアリー・K・グリーア著/鏡リュウジ監訳「タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法」7月の発売以来各方面からご好評いただけているようで、訳者の一人として大変にありがたく喜ばしい次第である。ありがとうございます。

(こちらもご参考あれ:過去ログ「「タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法」メアリーKグリーア著/鏡リュウジ監訳/現代タロット研究会訳」

さてそんな本書のオモシロどころはなんといっても「タロットプロフィール」の作成だろう。数秘術的・占星術的照応から、自身の生年月日に応じた様々なキーカードを割り出していく訳だが、これははじめてタロットを手にとった人でもすんなり深く楽しめる、とてもキャッチーな技法である。

また、こうして得られたタロットプロフィールからは、続く「イヤーカードグラフ」の作成でさらなる妙味が引き出される。手順は極めて簡単なのだが、ずらずらっと並ぶナンバーチャートと空欄グラフ用紙にやや尻込みする、という声がちらほらあったので、以下に実際にやってみて手順を紹介する。カンタン楽しく深みのあるエクセサイズであることがお判りいただければ幸いだ。



■■■パーソナリティカードとソウルカード

おれは1973年3月26日生まれ。足すと2002で、一桁になるまで足すと4となる。
すなわちおれのパーソナリティカードは4、「皇帝」である。
4桁からいきなり一桁になったので、ソウルカードも同じく4、「皇帝」となる。
ちなみに3/26は牡羊座、「皇帝」のカードの占星術上の対応も牡羊座である。(『ツァダイは星にあらず』はとりあえず無視ね)すっげー皇帝。濃い皇帝。

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短気で飽きっぽい理想家。暫定的で圧倒的な支配権をふるい、仕事が片付く前に飽きる。ええもうそのとおりでございます。本書附録Aの「カードの解釈」で「皇帝」を引くと、【アファメーション】の項に

「私は最も高い望みを達成する力と克己心を持っています」

とある。いやーそうだといいよねほんと。けどおいらもうくたびれちゃったよ。



■■■ヒドゥン・ファクター・カード

とまーこんな序盤でくたびれててもアレなので、サクサクとP26の表からパーソナリティ/ソウルカードともに4となる欄を引き、ヒドゥンファクターカード(隠れた要素、影のカード)を得る。どれどれえーと13「死」と22「愚者」ね。

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ここまでの3枚が、自分の意識的・無意識的な人格を統合して表す「タロットの星座」となる。しばし瞑想。むーん

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■イヤーカード
さて、イヤーカードいきますよ。まずは今年2012年のイヤーカードを算出してみる。

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7「戦車」ね。一見派手そうだが質実剛健、慎重に一歩一歩進む感じね。まーそうかもね。
今年は家に籠ってることが多かったし、仕事上では新分野開拓に明け暮れた。また家族が入院したりしたこともあり、人生史上初の勢いで「家族」と関わった1年だ。これはなるほど「戦車」のイメージにしっくりくる。



■■■その他のカードを算出し、タロットプロフィール完成!

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ほいほいほい、と書き込んでいって、タロットプロフィールが完成!
ちなみにタロットをメモに記す時には、例えば「ワンドの2」なら「2/W」、「ペンタクルのクイーン」なら「Q/P」とか略記するのが便利。自分にわかればいいわけで。



■■■イヤーカードグラフ

さてびよーんと間をすっとばして「イヤーカードグラフ」をつくってみる。
P61の表から、先ほど生年月日から算出した「1973年3月26日=2002」のカード4をみつけ、そこから一連の連なりを次ページの空白チャートに点を打っていく訳だが、最初に「年齢/0才」のところに生まれた年73と書き込み、そこからずらずらずらーと西暦を埋めておこう。おれはなんとなく75才以上まで生きる気がしないので、切りのいいところで西暦2050年まで埋めてみた。

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で、0才の時には「4」、そこから表に従って毎年のイヤーカードの印を打っていき、分かり易いように直線で結んだ上で、ぐわーと過去を思い出していろんな人生上のタイミングを書き込んでみる。特に思い出すトピックがなくても、直線の始点と終点の年を思い返してみると「なるほどねー」という出来事がスポスポ当て嵌まっていくのではないだろうか。

■73年「皇帝」で誕生したおれは、80年「欲望」で終る最初の10年周期の節目に、大阪から名古屋に転居。

■再び「欲望」が現れる89年から次の10年周期開始にあたっては、ドロップアウトした高校を通信制に切り替え、老人病院リハビリ室に就職。これが人生初の職業だ。生命力を持て余し生き急いでいたこの頃の雰囲気はなるほど「欲望」ですかそうですか。

■さらに次の10年周期の開始の年01年(カード:司祭)には人生初の海外旅行で中央アフリカ・ザンビアへ。中古ベンツでの中央アフリカ放浪、日蝕&トランスパーティの洗礼を受けた。街での試みに一区切りをつけ、太陽と月が重なる一点を目指して地球の表面をぐるっと移動してみたこの経験は、現在のスピリチュアリティ探求(司祭)の方向性を決定づけたものだ。

■次の10年周期開始、つまり2011年(カード:恋人)は広告代理店を退職。震災をきっかけに「散都」のイメージに導かれて岡山移住を決めたのだが、前回93年に「恋人」が現れた時も、このまま病院で看護士を目指すか、全く別の人生を模索するか、二つに一つの決断を迫られたタイミングであった。「恋人」とはまさにそのような決断、二者択一を象徴するカード。



やるじゃんメアリー。総じて、グラフに現れた10年周期の終了/開始は「移動/旅」で彩られている。他にも要所要所でのイベントが、同じカードの年に共鳴するように起きていたりして、感慨深い。

■最初の自分の会社を設立した年と、二つ目の会社を設立した年は、ともに「隠者」のカードの年。

■現在の妻と同棲を開始した年と、正式に結婚した年はともに「死」のカードの年。「死」はおれのヒドゥンファクターカードでもある。

■はじめて「業(ART)」が現れる10年は、初の広告賞受賞作品を制作していた最中。(受賞は翌年度)

へー面白いねーいやーなんなんだろうね人生て。いやはや。とまー一通りグラフを作ってみるとこんな感じに過去の人生史に象徴的なレイヤーを透かしてみる面白さを味わえるのだが、このグラフのオモシロは過去方向だけで味わうものでは勿論ない。



■■■未来はどうなるの?

グラフは未来方向に、自分の気の済む先までタロットを当てはめていくことができる。過去の出来事とそこに現れているカードを手掛かりに、今後の人生にどのようなタイミングがあり得るのかを予測できる訳ですね。予測ていうか、なんか今後の行動に「あ、次にあのカードが出るの○○年か」という風に、行動のガイドリズムにする、てイメージかな。

例えばおれの場合、どうも「死」が現れる年が重要な節目となっているようなので、今後「死」が現れる年を貫く横線を引いてみた。すると18年、27年、36年、45年が「死」の年になることが一目瞭然となる。最後の「死」の年に死ねば享年72才、タロット72枚の旅が切りよく終る訳だが(※1)、先述のとおり、なんとなく75才くらいじゃね?と思っているのでその年、48年をみるとカードは「塔」。うん、これも確かに死にそうだ。

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しかし、ここまでの人生でまだ登場していない、つまり体験していないカードが幾つかある。77才まで生きれば、この人生ではじめて「月」のカードが現れるのだ。せっかくだから「月」も体験してみたいので、おれは自分の寿命イメージを2年延長し、「月」がもたらす「魂の暗い夜」「黄泉の旅路」の体験をもって人生の晩年を飾ろうではないか、と心がけるようにした。

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■■■イヤーカードグラフの意義

こうして人生の過去と未来にタロットの象徴性をマッピングしていくことは、単に占い的な楽しみにとどまらない意義を持っている。タロット1枚1枚の象徴性は、究極のところ個別のカードとの1対1の瞑想によって関係性(ラポール)を築いていく他ないのだが、イヤーカードグラフを作ってみることで、実際の人生での体験とカードが結びつき、瞑想の「お題かつ解答」として、ぽんと目の前に提示される訳だ。それは、自分にとって「皇帝」が、「司祭」が、「恋人」が「死」が、どのような意義を持っているのか、どんなメッセージを含んでいるのかを、自身の人生をガイドブックとして探求することに等しい。イヤーカードグラフをつくり、人生のイベントを書き込み、初恋の甘美や別離の痛みを再体験しながらカードのメッセージを読み取ろうとするプロセスは、そのまま非常に強力なタロット瞑想であると言えるだろう。

グリーア女史のタロット文化への貢献の最たるもののひとつが、このメソッドであるとおれは思う。78枚全部、瞑想してパスワークして、マスターしていきたいですよそりゃ。けどさー1日1枚とか、1枚1週間とか、そういうカリキュラムを自分に課してやるのって大変じゃん。やってらんないって。忙しいし。そこで「ほら、あんたの人生に大アルカナをマッピングしてみれ。あんたの体験とカードの関係、興味あるっしょ?」という導入は、教育法として極めてエレガントで強力だ。一枚一枚のカードを、自分ごととして、体験として、知らずのうちに内化していく。この大アルカナマスター法を思いついた時の、希代のタロット教師グリーア女史のにんまり笑顔は想像に難くない。

グリーア女史は、伝統やオカルティックな秘密教義よりも、まずリーダー(読者)自身のひらめきと、その人生のシンクロニシティを信頼し、委ねる。タロットについて、難しいことなんか何も知らなくていい、ただ人とカードが出会えば、そこには意味のある語らいが必然的に生まれるのだ、そのピュアな出会いこそが重要なのだ、という信念が本書を通底しているように思える。

興味を持たれた方は是非、ご自身のイヤーカードグラフをつくって見て欲しい。そこで得られた何らかの発見や、新たに生まれた謎など、ツイッターなどでシェアしていただければこれまた幸いの極みである。本書の他のエクセサイズについても、ご質問やご要望などがあればこのブログで実技解説の機会を持つ所存である。

※1
(9/4付記)「タロット78枚の旅」の誤記である。タロット72枚の旅?何書いてんだおれ、と思ったらソロモン72柱の悪魔ですねそれ。GD体系ではホロスコープの10度区分(decan)にエースを除く小アルカナ2-10の36枚を対応させ、そこに2柱ずつ悪魔を配置している。つまりタロット72枚の旅とは1年間昼と夜のGoetic Travelとなる訳だ。やだなーw
「タロット78枚の旅」の完遂を目指すならおれの寿命イメージも当然78才まで延長するべきだろう。翌年をみるとなんと!新たな10年周期の開始にあたり「運命の輪」が! というわけでボーナス10年を追加し、おれの寿命イメージは10年周期の最後87才まで延長されたのであった。そこには「太陽」が。うん、死にそうだ。




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2012年08月01日

お蔵出し原稿シリーズ:「変なおじさんの追儺儀式」BANISHING RITUAL OF THE STRANGE UNCLE

FAOKAOs
HARDKAO SORCERY

2-1
BANISHING RITUAL OF THE STRANGE UNCLE

Sorceress:
COME NO ORGY SUN HEMP NONE DEATH! *1

Kaoist:
NONE DAD KIM ME WAR!

Sorcerer:
NONE DAD CHIM ME WAR!

Kaoist:
NONE DAD KIM ME WAR!

Sorcerer:
NONE DAD CHIM ME WAR TW0 TAR? (Repeat 2 or 3 TIMES) *2
SO DEATH,WHAT I SEE GOT HEMP NO ORGY SUN DEATH!

All :
HEMP NO ORGY SUN! HEMP NO ORGY SUN! *3

Sorcerer:
(HEMP NO ORGY SUN...HEMP NO ORGY SUN...) *4
(Quietness) *5
Sorcerer:

DAD PHONE DAD! *6

*1 and point sorcerer.
*2 Like echos in a long cave,repeat lower and lower and finally disappear.
*3 This sentense has particular melody.Reffer "HAISAI OJISAN" by Shokichi Kina,Okinawan musician,or sing any rythmical melody as you like.And this has also particular movement such as:

1."HEMP NONE" ("ORGY" ):Clap hands 2 times in front.
2."SUN!": Left palm in front of left eye,Right hand is straightened to the front with apply palm to the front too.
3."HEMP NONE" ("ORGY" ):Clap hands 2 times in front again.
4. "SUN!":Then reverse of 2. Right palm in front of right eye,Left hand and palm are straightened to the front.
*4 Repeat and disappear.Sorcerer should do particular movement such as:

1.Set both left and right hand parallel in front,bent elbows,clench fists,and roll them as drawing circle around same center.It's like "Elbow walking" or "String winder" .

*5 This Quietness is very important to ready for the following CRY and STORM!
*6 CRY in the highest tention,then every one get start spinning and fall down to the ground,or just fall down quickly.(see TECHNICAL NOTE)

TECHNICAL NOTE

This ritual requires 3 actors,Sorceress,Sorcerer and Kaoist.But only 1 Kaoist can acts with visualising other 2. In this case,the last declaration of closing ritual "DAD PHONE DAD!" must be cried by Kaoist himself.

3 stand forming triangle. (or visualise so.) If you visualise the entity you want to banish,it should be set on center of triangle. in the case of banishing a room or any place (ex.temple), act ritual in center of the room.If you want,Kaosphere or other symbol can be visualised above center of triangle.

Sorcerer wears visualised image of "Strange uncle" like as GOD-FORM of GD technics.In synbolic structure of ritual,he is a stranger,also a passenger that no one can expect his behavior,brings chaos in to the order of significance,and disappear in the KAOSTORM then take existing serious meanings away with him.

All the sentenses should not be pronunced too slowly (like vibrating of God's name in LBRP).Each terms have no meaning,only have sounds and rythme as effective elements.so they should be pronunced as normal speach or little faster to be more rythmical.

The core of this ritual is the last declaretion "DAD PHONE DAD!" and "KAOSTORM" the declaretion brings in.Imagine KAOSTORM as sudden collapse of "Consensus reality" or disorder of any kind of meaning,significance,context and belief.The wild storm of unchained meanings solves and washes out the twisted significance and nothing left after.This proccess is expressed in acter's behavior such as confused and conflicted spin (like "sufi dance" but more wild and disorderd)and get fall down to the ground quickly,then keep perfect quietness both inner/outer mind and body.Feeling sufficient tranquility for a while.

APPENDIX

The sentenses of ritual are picked up from Japanese and exchanged to English terms which have simmiler pronunciations without meaning.here is the important notice that only Kaoist should understand the original meanings of each sentenses if he want,but Sorceress and sorcerer should not.these sentenses are metamorphosed to "Barbarous Name of KAO" far out from original meanings,and this is why this ritual effectivly sounds strange and kaotic to human's mind (especially not-Japanese people).This strange and kaotic sound's vibration immediately brings KAOSTORM to anywhere this ritual enforced and the KAOSTORM also quickly disappare in following silence. after this,the place will treated as "comfortable blank" that good for any magical,sorcery and healing works.

The "Strange uncle" is the man of chaos,like "Green man of spring",but more meaningless and chaotic.He doesn't have any relations to seasons,Myths,folk lores and "Angelic/Demonish" value,JUST strange.One of the good refference to help visualising him is Kenneth Anger's film"INAUGURATION OF THE PLEASURE DOME",you can see a face painted man as the BEAST and other strange characters in this strange film.

"Uncle" means that he is the blood family,but who's? Why is he such strange and non-sense? Where does he come from and go to? Why does he have no relations to any myths or folk lores? these are suggestive questions for every KAOIST.

(The Final Abyss of Omoshiro KAOS / 2002)
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お蔵出し原稿シリーズ:できる!チャネリング講座

2000年

■■■特別寄稿■■■
できる!チャネリング講座  TEXT=合コンの夜明け団

◇できるぞ!チャネリング
 チャネリングとは、人格の着せ替えとコミュニケーションのゲーム、「霊的ごっこ遊び」である。ここでは、個人の人格というものはそれほど確かな基盤によっているものではなく、外的刺激に機械的に反応して一瞬毎に現れては消えていくかげろうのようなものであるという認識が前提となる。実際のところ、職場での自分、友人といるときの自分、親に借金するときの自分、朝までエロチャットしてしまうときの自分は、それぞれ独自の人格として輝きを放っているはずだ。行動心理学のセオリーが示唆するように、人格というものが周囲の環境に反応して働く半自動的な応対システムであるとすれば、それを意識的にコントロールしたり解放したりすることでより自由なマインドセッティングと心のエクセサイズを楽しむこともできるのだ。

人格というものが我々の精神において、いかに軽やかに現れ交換され得るかについて、こんな例を考えてみよう。
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職場の上司から「おう、今夜飲みいくぞ!」と強引に誘われる
 →「すいません、今夜はまだ仕事が片付かないので」
悪友から「今下北で飲んでるんらけろさー、はやく来いつーの2000!」と呼びだしが
かかる
 →「ざけんなよ金返せ」
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 このように、インプットされた情報に対応して半ば自動的にアウトプットを選択するシステムこそが「人格」であり、それは「ああいえばこういう」式の情報ルーチンそのものといえるのだ。我々は結構容易に人格を着替えることができるし、事実、意識的であれ無意識的にであれそうしているのである。

 さて、演技術において劇中の登場人物は「このキャラクターはああいえばこういう」式情報ルーチンの複合体、アプリケーションとして設定され、役者はこのアプリケーションを自身にインストールすることによって、まさにその人格に「なる」。この「なる」ということができてはじめて役者として一人前なのであり、不意のアドリブを迫られた時にも自分がアンドリューなり五衛門なりの「そのもの」であればセリフはまさに必然に導かれて溢れ出す。この状態はチャネリングそのものであり、優れた役者はアンドリューや五衛門といったそれぞれの役柄に自由自在にチャネルするチャネラーなのだといえる。

 チャネリングと演技術の比喩を持ち出すことを不快に感じるニューエイジャーもいるだろうが、ここで私はチャネリングを「猿芝居だ!」とけなしているのではない。そのベースとなる共通の心理的テクニックを考察することから、演技術を入り口として誰でも習得できるチャネリング術の体系を汲み上げることがねらいだ。以下に、その骨格となる概念を足速ながらまとめてみるので、興味を持った読者諸氏は各々工夫してトライしてみて欲しい。

◇早口で一気に喋ろう!
 チャネリングセッションに台本はない。すれっからしのチャネラーなら場数、経験から積み上げられたある種の不文律や定石進行を持っているかもしれないが、アドリブ空間、偶然の間に満ちた場にこそ真にピュアな霊的情報が紛れ込むのであり、したがってチャネラーの力量は臨機応変なアドリブ力にこそ問われるべきだ。徹夜明けのファミレスなどで、思考は停止しているのに喋りは止まらないといった状況を思い出して欲しい。またプレゼンテーションの名手とされる人物は、思考のスピードを追い越して口から溢れる言葉のリズムにのって喋りまくり、聴く人を魅了する。

 このように、発話のスピードをあげて情報の不断の流れを形成すると、そこにある心理的・霊的な「隙間」が生まれ、通常の意識が捉えることのない微妙な情報が発話者に流入する。密教などで使われるマントラ(真言、呪文)も、早口で途切れることなく繰り返し唱えることで変性意識状態に誘導するという、同様のテクニックを用いているのだ。チャネラーは精神の窓にうつるどんな微妙な印象もすかさず捕え、思考の網にからめとられるよりも素早く発話することによって、絶え間ない情報の渦とその中心の心理的真空状態を生み出す。素早く朗々と、淀みなく長いアドリブセンテンスを発話するために、腹式呼吸や早口言葉など、基本的な演技術の訓練が役にたつだろう。

◇いろんなキャラを楽しもう!
 一定以上の発話スピード、情報の速度を維持することで、さながら高速で回転する独楽のような安定性と自在性の場がチャネラーの精神に形成できれば、次にそこに流れ込む情報にある規範、「ああいえばこういう」ルーチンを用いて情報の交通整理=チャネル対象のキャラづけを行う訳だが、チャネルする対象もまた一個の人格というアプリケーションとして扱われる以上、どうしても固有のクセができてしまい、情報の自在な流れと速度を損なう要因となりがちだ。プレアデス星人にはプレアデスっぽいクセ、シリウス人にはそこはかとないシリウス臭さというものがあり、そのメッセージも初期のインパクトを超えてアクセスを続けると次第に固定化と沈着が起きて、大筋ではあまり変化のない、妙に説教臭いものになってしまうものなのだ。そこで、複数のチャネル対象を次々にスイッチしていくというテクニックを用いて、うかつに安定しがちなセッション展開にダイナミックな跳躍力を導入することができる。

 チャネル対象のメッセージはチャネラーのボキャブラリー、知的情報量にある程度制限され、翻訳されたかたちで表現される。あるチャネル対象(銀河連合の人らしい)がチャネラーの口を借りていみじくも語ったように、「R(チャネラーのこと)はあまり知識がないしボキャブラリーも少ないので、その媒体を通じて発信するわたし(チャネル対象のこと)のメッセージもまたそれに制限される」、つまり心でキャッチしろ、ということなのだが、要するにメッセージを組み立てる材料、情報はチャネラーというメモリーに格納されていて、外部から無尽蔵に供給される訳ではないということだ。ならば、その限られたリソースを最大限に活用するために、アウトプットの経路に多様性を持たせることが重要となる。ウェブなどに活用されるMIDIプラグインをイメージしてもらえれば分かりやすいだろう。音源は各端末に装備された限定的なものだが、演奏データによって様々な表情を演出することができる。一人のチャネラーという媒体を共鳴装置として使い回しながら、演奏者、コンダクターを次々にスイッチすることで思いがけない深みと拡がりをセッションにもたらすことができるのだ。

 K氏も書いているように、我々が同席したあるチャネラーのセッションでは優等生的な好青年、ブッとんでるけど根はいい奴、爺、お色気女神さま、といった個性豊かな面々が唐突にスイッチしてチャネラーのなかに現れた。そのスイッチングには何ら話の流れ的な文脈はなく、まぁ場の流れを邪魔しない程度の唐突さで突然「わしゃー爺じゃー」「女神よウフン」とめまぐるしく入れ替わるのだからたまらない。厳粛な場でうっかり霊的爆笑地雷を踏みそうになるが、実はこの爆笑すれすれの危ういインパクトこそが、セッション参加者の固定しがちなマインドセッティングを揺さぶり、さらなる霊的深層領域への扉を解放する秘訣でもある。

 ある問題を様々な視点から捉えること、これはあらゆるカウンセリングの基本ルールだ。セッション参加者の抱える問題に、優等生なりの、爺なりの、お姉さまなりの視点で向かい合うことで、問題の深層に無理なく立ち入っていくことが可能となり、またチャネラー自身、アクセスする霊的存在と公平な関係性を維持し、自身の資質を最大限に発揮できるという恩恵を被る。せっかくチャネリングを嗜むのなら、チャネル対象は可能なかぎり多岐に渡っているほうがいい。プレアデス人もシリウス人もジャイアント馬場もと、あらゆる個性と交流できるほうが楽しいし、心身の風通しをよく保つという意味でも、固定されたひとつのキャラクターに執着するよりも幅広いスペクトルの情報と広く浅く戯れるほうが得るものが大きいのだ。

◇参加者との対話でグルーブを生め!
 セッション参加者とのインタラクティヴな対話も重要だ。先に人格の機能を「インプットに対しアウトプットを選択する自動応答アプリケーション」と捉えたことを踏まえれば、プレアデス人とてチャネラーやセッション参加者との交流によってその個性は刻一刻と変化していくのであり、決めセリフや定石パターンというかたちでチャネラーに沈着しがちな「クセ」を常に回避しながら、その存在の自由さ、軽やかさを確保しなければならない。セッションが参加者全員の充分な交流、対話によってバランスよく進行していれば、参加者とのインタラクティブな関係性が「審神」の役割を果たし、チャネラーとチャネル対象を常にいい方向へナビゲートしていくのだ。

 一方通行的なメッセージの垂れ流しはチャネラー、チャネル対象、セッション参加者の関係を不自由にし、神秘化のプロセスを加速してしまうし、チャネラーというメモリーに格納された限定された情報だけでメッセージを組み立てていけばものの数分でネタ切れ状態となり、あいまいで退屈な宇宙論や高慢なご神託に埋没してしまうだろう。常に動いていく関係のなかで、一瞬一瞬の機微に折り込まれた情報に軽やかにアクセスし、開かれた情報の流れとフィードバックを確保することが重要だ。台本のない即興劇に偶然というエネルギーを供給するのはインタラクティヴィティであり、まさにこの点において、参加者、チャネラー、そしてチャネル対象をも含めた「グループセラピー」としてセッションが機能するのである。

◇さいごに
 チャネリングセッションは、「はじまり」と「おわり」の節目をきちっとつけることが大切だ。「こっくりさん」のような、特別なお出迎え・お見送りの儀式などは必要ないが、チャネラーとセッション参加者の意識の同期をとる程度の簡単な、はっきりとした合図をもってチャネリング空間と日常空間の区切りをつけることは、セッションのクオリティと日常生活の健やかさの双方にとって必要なことだ。軽く手を打って「はい、プレアデス人でーす!」と勢い良くはじめ、「んじゃ、バイバイキーン!」と元気に言い放って再びパン!と手を打ち、小気味良くセッションを閉じるなど、各自工夫して気持ちいいテンポをつかんで欲しい。この「開始と終了」のステップさえはっきりと行えば、セッション自体はいついかなる場でも可能だ。合コンの席の余興として、じゃんけんでチャネラーを決めて行う即席セッションなども楽しいだろう。

 チャネルする対象は、自由に設定してかまわない。チャネラーがアクセスする情報は死者の霊などとは異なるフェイズの「サイバーインフォメーション」なので、いま生きている友人や家族でも必要な礼儀さえわきまえれば充分に可能だ。まずは個性的な友達やテレビタレントなどからはじめて、次第に宇宙人などの込み入った設定を試していけばいいだろう。チャネル対象の設定は基本的にインスピレーションと創作で構
わない。その設定から生まれるメッセージのクオリティこそが重要なのであり、どんなに偉そうなキャラを扱っても、なんか不穏なことをいってきたり高飛車な態度をとるようであれば、躊躇せずに拍手一発でチャネルを遮断するよう心がけておくことも大切だ。あらゆる設定から常にコンディションのよい情報を引き出せるまで熟達してしまえば、その対象が実在するか否かはさして重要ではなくなる。

 チャネリングに限らずあらゆる霊的メソッドが陥りやすい罠は、うかつな神秘化だ。チャネル対象があるひとつの支配的な人格に固定されたり、チャネラー、チャネル対象、セッション参加者相互のインタラクティヴィティが充分に機能していないと、遅かれ早かれこの神秘化というプロセスが起こり、チャネラーとチャネル対象の風通しのいい関係が損なわれてしまう。神秘化されたチャネリングは次第に風変わりな新興宗教と大差ないものとなるし、神秘化されないにしても相互の関係が「なじみ」となってなぁなぁの関係が続くことで、チャネル対象はチャネラーの意識と同化してしまい、なんら霊的インパクトのない「退屈なやつ」へと退化してしまうだろう。

 チャネリングとは、いうなればゴッドサーフィンの技術なのだ。ハイアーセルフ、銀河連合、ジャイアント馬場等々、あらゆる精妙なバイブレーション、意識の上位スペクトルに自由自在にチューニングし、アクロバティックな技を連発しながら波から波へと跳躍していくこと、その軽やかさがチャネリングの魅力だ。この奇妙で楽しい「コミュニケーションゲーム」を存分に楽しむために、まずは自身の波乗り感覚、様々な霊的重力場に足をとられることなく泳ぎ切るしなやかな筋力とセンスを磨いておこう。

(2000年)
posted by bangi at 01:24| Comment(0) | 詩と芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする