2009年01月21日

シューベルト「魔王」

Invocation、召喚という訳語があてられる魔術技法は、意図的・一時的に多重人格状態をつくりだし、内なる異者=神の口によって予言や魔術的誓言を行う、西洋版神降ろしの技術。ちなみに術者の「体内」に降ろすのがInvocation,「対外」に投射するのがEvocation。この術語の差異において天使や悪魔といった上下関係は関係ない。悪魔をInvocationするのは初学者にはお奨めできない、なぜなら気持ち悪いからさ!というだけ。技術的には、悪魔をInvokeすることも神をEvokeすることも可能だし、実際そういうケースはままある。

早い話が、優れた役者が深い集中によって役に没頭、役そのものに「なっている」状態のことであり、実際、フォーマルな魔術儀式におけるInvocationのパートにも台本がある。その場合術者は台本の台詞を丸暗記し、次第に熱狂を高めるよう巧みにデザインされた台詞回しによって自我から神(悪魔)へと意識の諧調を駆け昇る。

役者の訓練でも、役と状況設定のみを与えられ即興で劇空間を進行するものがあるが、Invocationに続いてある種の託宣、お告げを得るDivinationにおいても、それと全く同じことが術者の精神において生起しているのだ。

いわゆる霊媒、トランス型のシャーマン、依童の憑依と西洋魔術師のInvocationの差異は、それが行われる場の背景となる文化的・社会的コンテクストの違いでしかない。よく言われるような「霊媒、シャーマンは完全に自我を投げ出し憑依する神霊に全権を委ねるが、MagickianはInvocationの只中でも特殊な明晰のなかに冷徹な自我のまなざしを保ち、状況のコントロールを決して失わない/失ってはならない」というのは、諸説あろうが個人的には的を得ないように思う。

完全にトランスするタイプのシャーマンも熟達者なら必ずその「まなざし」と安全弁のコントロールを保っているだろうし、またMagickianがいかに壮大な台詞を絶叫しようとも、冷めたまなざしが常に次の台詞を記憶のプロンプターのなかに追うだけなら、それはInvocationとはほど遠い状態となる。恐山のイタコは陶酔のさなかに顧客のテンションと来月の見込み収支を計算し、Magickianの自我は演技の強度によって意識の白熱状態White Light / White Heatへと消失していく。

大役に長期的に没頭し精神に変調をきたす役者もいるように、Magickianの精神もまたInvocationに伴う手順と戒めを守らない場合は危機に晒される。人格を分裂させたり対話したりまたくっつけたりするのだから、危なっかしいことこの上ない。しかし、バレエダンサーや熟練ヨギがみせる驚異的なストレッチと同様、生兵法で無茶をせず、体系的に習熟していけば驚異のサイケデリックアクロバットもまた可能となる。生命は本質的に柔らかい。

関節可動域の広さと柔軟な筋肉が心身の壮健を高いレベルに維持するために有用であるのと同様、意識、自我、人格の弾力と軽やかな相転移のスキルは、偽装され鬱屈した終末願望、硬直した理想への執着とその副作用である救いのない絶望など現代の精神的危機に対する有効な予防医学となる。毒と薬はさじ加減、バカとハサミは使いよう、最大の脅威は恐怖心そのもの、なのだ。

というわけで、ゲーテ/シューベルトの「魔王」。
この曲は語り部、父、子、魔王それぞれの意識のゆくたてが音楽的高みにおいて美しく織り重なっていく至高のマスターピースであり、当然、MagickianにとってInvocation習熟にうってつけのエチュードとなる。

Jessye Norman - A Portrait - Erlkonig (Schubert)

キャラで押すタイプ。アジア・アフリカ的なシャーマニズムの芳香が濃密にたちこめる。ゲーテmeetsモダンブードゥー。

Anne Sofie von Otte - Erlkönig (Schubert)

Magick的には本家本元、ノルディック〜アングロサクソンの身体における模範的Invocation。
至高のテクノロジーの果ての果てから天界へと飛翔する冷徹な熱狂、肉と血の陶酔、そしてロゴス。このDNAプログラムと食物連鎖環境が人類をして星の世界へ到達せしめる。いまここにあるScience、そしてMagickの伝統。

Dietrich Fischer-Dieskau - Erlkönig (Schubert)

確かな技術によって抑制された原質的情念の陰影。「芸」のベクトルに歩を進めきった感じ。安心して観ていられる。ある程度大きな子供が泣くことはないが、子供が泣かない程度に抑え隠された、紳士淑女の密やかInvocation。育ちの良さ、あるいは生に対する不誠実さと不思議な余裕。憎めない男。最後の一礼にもまたヨーロッパ的ないやらしさが溢れている。

Dudley Moore- Erlkönig

真面目にやれ!けどちょっと凄い。錯乱と幻覚のメディア美学。テープレコーダー時代のEditing感覚。ある意味Chaos Magick的。

姿月あさと Erlkönig  魔王

最も演劇的、日本的、そしてアジア的な情念の語り。ぐんぐん伸びていく、そして同時におかしくなっていく演劇学校の優等生を見守るような、日本的芝居の快楽。過剰な意訳、わがままで熱い包容のような、たちの悪い解釈。これが日本をして世紀の経済大国へとのし上げた。

おまけ:ジュリー

まーつまりこういうこと。ジュリーの魔術的ヤバさは志村けんとのコントをみても納得がいく。田代はMagick向きではなかった、それだけ。


http://ja.wikipedia.org/wiki/近代西洋儀式魔術
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレイスター・クロウリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/東方聖堂騎士団
http://ja.wikipedia.org/wiki/ケイオスマジック



posted by bangi at 05:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
召喚つったらこれを忘れるわけにはいかないよね
http://jp.youtube.com/watch?v=4-L6rEm0rnY

劇団四季の公演ももうすぐ千秋楽とのことで、一度見に行かねばとは思っているのだけども、正直、この「なる」感じ、は日本人の身体とOSに求めるのは酷な気がする。でも見にいく。すっごい頑張ってると思うからだ。

日本人の「なる」は、こっちだよね。
http://jp.youtube.com/watch?v=8EXC6Ix3C0I
モノじゃなく、ケハイになっちゃう。
Posted by bva at 2009年01月22日 22:01
めんどくさい事する時とか、ちょいとソノ気になったりとかそういう使い方はするんですけど。

今日は縫い子さんをインヴォケイト!しかもグリークのな。
ボロボロのタオルをリフォームしてたんで(グリークはとにかく物を捨てないと聞いて)
確かに、集中力が増します。

ded can dance繋がり
つーかこれ何かの映画だと思うけど
意味深な横顔のおばちゃんと曲が妙に合ってない?
http://jp.youtube.com/watch?v=jsRQz_2S6dk&feature=related
Posted by っぺー at 2009年01月24日 00:00
Lisa Gerrard - Dead Can Dance - Host of seraphim
http://jp.youtube.com/watch?v=RwcV8p5TaPI
2007年ワールドツアー、ミラノ
最高
Posted by bva at 2009年01月24日 01:37
Posted by bva at 2009年01月24日 01:42
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