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1.
自己の来歴と未来(小さなI amの時間)と、より大きな自己(家族、共同体、国歌、惑星、恒星系、宇宙)のそれ(大きなI amの時間)とを相似象として重ねあわせ、
2.
それらをNOW HEREを接点として結びつける行為
といえる。
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1.を準備するものは「時間」の象徴化と反復、すなわち追想(Remember-ing)である。
結婚式において、新郎新婦はイザナギ/イザナミ、アダム/エバを追想し、その行為を象徴化して反復する。司祭はその象徴化が正確な手続きに従っていることを保証し、参列者はその反復行為を目撃する証人となる。
儀式における追想とは、過去にのみ向けられるものではない。象徴化によって過去と未来は等しく神話的時空間に投げ込まれ、一種のアカシックレコードとして再び読み取られる。過去の追想によって儀式主体の正統性および権利、未来の追想によって儀式主体の意志とそれがもたらす結果が確認される。
儀式は反復されることによって象徴の連なりを補強・拡充する。
儀式内の反復行為によって新郎新婦はイザナギ/イザナミを追想し、儀式自体の反復によってイザナギ/イザナミが新郎新婦を追想する、相互のRemember-ingの関係が確立される。
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2.は、全感覚を包囲する儀式空間演出によって生み出される集中、緊張、トランス意識によって達成される。静粛と集中(静けさのなかで全参列者の意識が祭壇前の小さな指輪のやりとりに向けられる)マントラ(司祭による祭文の朗唱、新郎新婦の宣誓、参列者の唱和)、炎の凝視(キャンドルサービス)、音響効果(静寂によって極限までコントラストを高められた鐘の一打、扉が開き新郎新婦が入場すると同時に鳴り響くファンファーレやマライア・キャリー)など。
これらの芸術的効果は、感受者をある時間停止状態、一点のNOW HEREへと投げ入れる目的故に、文学的というより音楽的、演劇的というより舞踏的である。一点のNOW HEREとは、過去、未来として象徴化/情報化(テクスト化)された時間との鮮やかなコントラストによって浮かび上がる、象徴化され得ぬ、記憶され得ぬ、解釈され得ぬ、知り得ぬ時間、起こり得ぬ、あるいは起こり続ける場NOWHERE、すなわち永遠である。その一点を記憶と解釈の連鎖から断ち切るために、儀式は前後の追儺(祓い、Banishing)を必要とする。
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1と2によって、生身の生が宇宙全体と結びつけられる時、そこで行われる言語的/非言語的宣誓は全宇宙の無限に響き渡る。また、儀式によって音楽化、舞踏化された象徴言語は強度のNOW HERE感覚によって開かれた窓から無意識へと流入し、個体の神経言語体系に作用する。ユングが集合無意識と呼んだもの、アカシックレコードと呼び慣わされる場に、大小問わず一切の印象は沈殿、堆積し、次世代のアーキタイプをデザインする。それ故に、儀式の遂行には前もって遂行者、参列者の資格の承認、純化のプロセスが要求される。
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さて、魔術とはなにか。魔術師が行い得ること/行い得ぬこととはなにか。
また、多神教、一神教、そして魔術Magickはいかなる関係で結びついているか。
明日は節分ですね。
聞くところによると、豆まきって呪術らしいですね。
(節分の由来、前編&後編)
http://ameblo.jp/kamiyo567345/
鬼はそと、福はうちってしちゃいけないの?
もし詳しかったら教えてください。
動かぬ事実と不明な未来。その両方を同時に自分のものとする技術。
今、ここを覚悟すること。
命懸けのNOW HEREです(笑)
いいこというねw