http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/index.html
ミイラの中を3D映像で探検!も大変楽しみにしていたが、今回のお目当ては別にある。
神官アンク・アフ・ナ・コンスの供養碑。
詳細省くが、こいつはある種の趣味を持つ人々にとって大変重要な意味を持つブツである。
20世紀のオカルティスト、アレイスター・クロウリーの代表作である一大寄書、あるいは深淵なる新時代の啓示ともっぱら評判の「法の書」を自動書記させた、一連の霊的事件の発端となったブツ。
え!現物拝めるの!マジですかヤバいでしょというわけで喜び勇んで駆けつけたおれは、いざ現物の前で立ち尽くし、バビーン!雷に打たれたような法悦に打ち震え、頬を伝う一筋の涙の理由すらも知らず、不可視の閃光に真っ白く焼き尽くされ、永劫に轟くその沈黙の雷鳴のうちに瞬時に原子分解したのだった。
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「どうしてこんなことをしているのか、
それをきめたことばがあるのだそうです。
しらなかった。しりたくもなかった。」
「ひとりのたましい」アレイスター・クロウリー 江口之隆訳
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が、違った。
クロウリーがカイロでみた、いわゆる「啓示のステーレ」と同じ埋葬品だと思うが、別バージョンなのだ。
啓示のステーレ
http://www.thelema101.com/stele.html
勘違いのステーレ
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/img/tenji/tenji-img5_2.jpg
ヒエログリフで書かれているテキストは「死者の書」の一節。
おそらく、数枚にわたって「死者の書」抜粋が記されてるに違いない。今回おれが「これが20世紀の文明の行方を(若干)左右した霊的モニュメントなりか!」と雷に打たれたような感慨を受けたブツは、複数毎ワンセットになったステーレの、全然違う別の1枚だったのだ。
さんざん感動して午後の仕事を上機嫌でこなし、帰宅してから気がついたこの勘違いを踏まえ、振り返るといろいろなことが頭を駆け巡る。
神官アンク・アフ・ナ・コンスとその息子ネスペルエンネプウが仕えていたコンス神殿は、じつにサッカーグラウンド50個分の巨大神殿。そこで働く膨大な数の神官は、今で言う都庁勤めの公務員のような存在であっただろう。思えば3D映像でみた「神像の服を着替えさせるのが主な仕事」というのも、そういう目でみるといかにも公務員らしい、どうでもいい感じの仕事内容だ。父からその職務を受け継いだ、というのもそこはかとないどうでもよさと、身に詰まされるようなグダグダ感が臭わなくもない。
またくだんのステーレも、オカルト関係の翻訳では主に「石碑」とされているが、実際は木製である。デッサンもレイアウトも、なんとなくいい加減で傾いてるし、彩色も素朴。浅草の町工場でおばちゃんが描く観音様のような、ほのぼのタッチだ。お土産屋でみかけるなんかでかい将棋の駒の置物の、もうちょっとラフで思わせぶりな感じ、といったところ。
そこに記されているテキスト「死者の書」は、当時エジプトの一般家庭、たとえば商人などの棺にも埋葬されており、広く行き渡ってた埋葬グッズだ。いまでいう般若心経とか、戒名書いたお札とか、そういうものである。
現物をみておれが感じたことは、ちょっと傾いていようが細かいことはダズンマラメーンな感じ、ありがたいけど有り体なあの世テキスト、偉い王様とかは石に刻んだろうけど、公務員くらいなら木製のレプリカで済ませたであろう供養碑、つまりたいへん庶民的でレディメイドな感覚である。
クロウリーが「法の書」を書いた1904年当時は、ヒエログリフの解析もエジプト学自体もまだまだ発展途上で、エジプトの古代遺跡とその発掘品の数々はあまりに謎めいていたことだろう。
が、昨年祖母が亡くなって葬式法事と済ませてきたおれにとっては記憶に新しいあの感じ、ごく平凡に人生を生き抜いた故人を仏さんとして扱い大らかに死出の旅を祝う、あの感じを踏まえ、そういう共感を持って眺めると、どれも大変納得がいくのだった。
これから展示を見にいく人々にネタバレになるので軽く伏せるが、神官ネスペルエンネプウのミイラをCTスキャンにかけて判明した驚愕の事実もまた、この説を裏付ける。
また彼らは猫やワニや魚のミイラもつくっている。明らかにミイラ化それ自体への興味と追求、さらにある種の「かぶき」すら感じさせる。
ミイラ制作は、深淵なる死と再生の秘儀というより、豊かな「死の文化」を背景とした、真摯でおおらかな工芸文化のようだ。ほら、ワニもミイラにしちゃったよ。ほら、ネコとかも悪くないよね。ナムアミダブツ。そんなミイラシーンを、おれは感得した。
古代エジプトは大変洗練された都市文明を持っていた。
参拝客で賑わう神殿ではありがたいおみやげ神像が気前よく販売され、どうでもいい仕事を今日もだるくこなす世襲公務員の、その棺にはレディメイドなレプリカ供養碑。こんなにおおらかで、暖かく、したたかな死の意匠、技法を獲得した古代エジプト人の人生観、宗教観は、現代を生きる我々日本人のそれから、それほど遠く隔たっているとは思えない。
宗教的なファナティックさとはほど遠い、お伊勢さんのような柔らかさと深さ。
その直感は、早合点と勘違いによって導かれた「ステーレ」からもたらされた「おれの啓示」に相違ない。太陽系の新しい矮惑星、エリス登場の年に相応しい、まさに新時代の啓示といえなくもない。おれはそのように納得することにした。
しかし奇妙な点もいくつか残っている。というか調べりゃ分かるのだろうが、心にひっかかる幾つかの点も併記しておく。
カイロ博物館によると、アンク・アフ・ナ・コンスは第26代王朝時代の神官とされている。
しかし、今日みてきた上野の展示では、その息子ネスペルエンネプウを「第23代王朝時代」の神官としてる。たしかにそのように記載されたパネルをみた気がするが、心もとない。
どういうこと? アンク・アフ・ナ・コンス、「コンスの地を旅するもの」とは、もしかしたらよくある戒名のようなもので、複数人の該当人物がいるのかも知れない。まーあとで調べる。カイロいって調べる。
あと、ミイラをCTスキャンにかけて発見された額の蛇のお護り。
「法の書」第1章18節にはこう記されている。
1-18: Burn upon their brows, o splendrous serpent!
1904年当時に、この「死者の額に置く蛇のお護り」の存在は知られていたのだろうか?
もひとつ、ミイラから復顔されたネスペルエンネプウの顔。
似てる、似てますよ。目とか。その父君、アンク・アフ・ナ・コンス氏の、その来世を自認した、かの御大に。
まーてなわけで、おれは今日"Stele of Misunderstanding : Eris 2006"と、
確かに遭遇したのであった。
了
(Special thanks and wonderous 93 to Sor.Raven)
どのみち過去や未来との交信は「共感」によってのみ可能、というか各時代各文化各人の共感によって相互参照される情報こそが、超時間コミュニケーションにおける有意なビットを構成するのであり、我々が伺い知れるもの、逆に伝えられるもの、は、各時代のデコーダーたちの様々なデコーディング技術によって常に再奏・変奏・刷新され続ける。はずである。ような気がする。
確かに顔似てたね
うん
人の姿形を作るのは遺伝子のみに非ず?
目周辺の筋肉のかたちだと思うけど
ちょいセレ顔をつくるエスセサイズとかも意外と簡単カモ知れないね
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200611031951
アポフィスだってさwヤバいヤバヤバ
そっかー
んじゃあ、あと23年
濃厚に楽しもうかネ
真実はラモーンズのごとく伝承される。
やっぱり、そんな気がします。
アポフィス襲来は電撃バップ、法の言葉はGabba Gabba Hey。これはきまりなの。