2013年06月01日

人工言語「アルカ」作者による伊勢原市元妻刺傷事件と動画について

以下の原稿はスピ系サイト「ハピズム」に掲載された原稿の、別バージョンである。

ハピズム記事:
前編 http://happism.cyzowoman.com/2013/06/post_2495.html
後編 http://happism.cyzowoman.com/2013/06/post_2500.html

文字数の関係でぼやけてしまった論旨を、お互いに補足しあうものとしてここに収録しておく。



神奈川県伊勢原市で起きた路上切り付け事件の容疑者、貞苅詩門容疑者が、ファンタジー系で一定規模のクラスタ(関心層)を形成している人工言語「アルカ」の作者セレン・アルバザード氏その人であった、ということで話題を呼んでいる。

 貞苅容疑者がyoutubeに投稿した動画は「中二病をこじらせた」症例として掲示板などで話題になっているが、いずれの動画にも目を見張るべきクオリティや、画面に映る貞苅容疑者のパーソナリティに発見と謎があり、単に「こじらせた中二病」として片付ける訳にはいかない深みが感じられる。この動画を足がかりに、貞苅容疑者は一体何をしようとしていたのか? 人工言語アルカのリアリティもあわせて、プロファイリングを行ってみよう。

■人工言語アルカとは?

 Wikipediaによると、アルカは1991年から制作が開始された人工言語である。エスペラントなど既存の人工言語と異なり、既存言語から語彙の借用を行わない、全くのゼロから背景となる風土・文化とともに創作されている。20年間で15,000語の語彙を擁するに至り、動画にみられるように短編動画や、アルカだけで執筆された小説も既に存在していることから、人工言語としては他に類をみない完成度に到達しているといえる。

 報道では、セレン・アルバザードこと貞苅容疑者は1981年生まれとなっているので、人工言語アルカプロジェクトの開始時点では10歳ということになる。やや早熟な異才とは言えるが、特にこの点を持って尋常ならざる天才性を示すものとは言えまい。注目すべきは、その後も「前中二病的」衝動を維持し、大学で言語学を専攻してアルカを一定のクラスタを要するプロジェクトとして離陸させた、その弛まぬ情熱と努力である。彼は確実に、幼少期から自分の意志を自覚し、自らを律してその実現に邁進することができた天才気質であると言えるだろう。動画に見る容疑者の面構え、立ち姿には堂々たるものがあり、いわゆる「オタク的」卑屈さとは異質の力強さ、一種のカリスマ性がみてとれる。

それでは、問題の動画をみていこう。

■貞苅容疑者出演・短編映画『魔法堂ルシアン』3つの謎 

 この「知られざるカリスマ」を巡る風景には奇妙な歪みがある。まずは全編アルカによって演じられる短編動画「魔法堂ルシアン」をみてみよう。



1、律儀なカット割りとプロレベルの照明
 アーティスティックなスキルやこだわりを持たない「純粋な」オカルトヘッドたち
が日々投稿する凡百の動画コンテンツは、回しっぱなしのカメラ前で延々と自説を論じる類いのものが多く、カット割りに拘る人は少ない。しかし、この動画は、現場でセリフを「順撮り」したのではなく、撮影時点で完全にカット割りが設計されたコンテ台本の存在が伺える。また、どのカットも照明によるハイライトが正しく設計されており、現場なりゆき撮影の場合に起こる“むら”がないのが特徴的。これはアルカ世界を一定のクオリティを持つ表現物として設計、具現化するプロ的なスキルが存在することを示している。

2、“絞り”ゼロのフラット映像 
 最近では一般的となった、デジタル一眼カメラによる浅い被写界深度(ピントのあう範囲の狭さ)による「雰囲気」がなく、ビデオテープ/カメラ時代のフラットな質感に基づいた「テレビ的」演出話法に貫かれており、貞苅容疑者の強い美意識とはやや異なる「垢抜けなさ」がみてとれる。比類なき人工言語の創作者としてはあまりにそっけない、情熱、美意識、表現欲求の欠落を感じさせる。

3、作為的!? ファンタジー的美術演出がゼロ

全編人工言語アルカ+日本語字幕で展開するにも関わらず、「一般的住居での撮影」「一般的な小道具」など「ファンタジー的」演出が施されていない。これだけ緻密な撮影計画を実行できるなら、ベージュ単色のカーテンを高級感のある重厚なベルベットに変更するなど、簡単にできる範囲でももう一工夫があって然るべきだ。画面から見てとれる「美術演出」は、不思議な文字盤の時計と、少女が手にとり眺めるアルカ語の本のみであり、あとは住居の本棚、小物などをそのまま使用している。あるカットでは壁のコンセントがあられもなく映り込むなど、現代日本の風景と無節操に地続きなのだ。

■短編映画『魔法堂ルシアン』からわかった3つのこと

 この無節操さから、筆者は2つの点を指摘したい。

貞苅容疑者は、カリスマでありながら孤独であった
映像を見る限り、プロが作ったとしか思えないクオリティ。しかしそのクオリティは、一手間を惜しまない情熱が欠落した、業者的な退屈さに支配されている。この点から、この映像はあまり親しくない、少なくともアルカクラスタの内部ではない、映像制作業者に発注して制作されたものではないかと推測できる。ここに貞苅容疑者を巡るアルカクラスタ内人間関係の稀薄さ、孤独が読み取れる。

2、純粋な創作世界アルバザードは、現代日本と癒着した「代替現実」へと移行しつつあった→貞苅容疑者にとって、アルバザードとアルカは高いリアリティ強度を持って構築された芸術的異世界であった筈だ。しかしながら『魔法堂ルシアン』は、魔法のアンティークショップに並ぶ品々に弓と日本刀があり、少女は和服を着ている。完全にアプリオリな人工言語アルカの達成とは似つかわしくない、アニメ・ラノベ消費者的な打算が蔓延している。貞苅詩門として生きる現代日本と、セレン・アルバザードとして生きるアルカ世界は奇妙に癒着し、純粋な強度を持つ創作世界から、曖昧なオルタナティブリアリティ(代替現実)への移行段階にあったことが伺える。これは芸術的な敗北とも、魔術的な成功ともとれる、この事件ならではの特筆すべき点である。

この推測は、次の動画で明らかになる。

■動画「発勁ノヴァ(nova)



この動画で、貞苅容疑者は「ユベール」という、アルバザード国の格闘技を紹介する下りで

「アルバザードにある、というか現実にまずあるんですが」

…と述べている。

続いて彼は、ユベールが「アルシェ」と呼ばれる現実のアルカクラスタ内で実践されている格闘技である、と述べている。続いて演じられる「ノヴァ」という一種の気合法の演舞には、確かに独特の動きのキレと説得力がある。

この点から、貞苅容疑者と彼を中心としたアルカクラスタ内の、特にインナーサークル的な親密さを持った周囲では、一定の強度を持ったリアリティとして「ユベール」が共有されている、という主張が読み取れる。しかし、その「親密なインナーサークル」は本当に存在するのだろうか? 「自撮り」の画面からはその熱気は感じられない。このリアリティは、貞狩容疑者とその周囲の人達の間に「温度差」がある、微妙な状態に宙づりになっているように感じられる。

「魔法堂ルシアン」の舞台が現実の日本の風景にレイヤードされたものとなり、アルカ、アルバザード、ユベールが純粋な創作世界から離陸し、合意現実と緩く並走する「オルタナティブリアリティ(代替現実)」へと魔術的に実体化/芸術的に弛緩していくプロセスが、この動画の「貧相さ=現実と地続きの弛緩感覚」として露呈しているように思える。アルカを支えるクラスタの活力と、実際の貞苅容疑者を包む孤独の薄雲の奇妙な並存は、この芸術的異世界/魔術的代替現実世界に引き裂かれつつあったアルカに対する、関係者個々人の温度差からくるものではないか。

■『魔法堂ルシアン』『ノヴァ』を見て、浮かび上がる、貞苅容疑者の人物像

 この2つの動画から読み取れるのは、アルバザードを純粋な創作物から「魔術的代替現実」へと変質させようとする貞苅容疑者の意志と、その困難である。事件後「トールキンになり損なった」と称されるように、彼の創作人工言語は言語学的に見て他に類を見ないほどの達成をなし得ている。しかしその言語学的・芸術的達成は次第に現代日本の「合意現実」と癒着し始め、同時に貞苅容疑者とアルカクラスタの間に温度差を生む。

 この困難の原因としては、彼の創作が「言語」という、リアリティの基底部に抵触するものであったことによる宿命的な避けがたさ、そしてそのことへの無自覚、無防備が指摘できよう。彼は一種の天才性を持って、エスペラントの創始者ザメンホフも、完全言語を探求した哲学者ウンベルト・エーコもなし得なかった言語学的偉業を、2chの人工言語板など大衆的なネットツールを使い、萌え絵に彩られたポップカルチャーとして軽々と達成してしまった。彼は在野の言語学者として歴史に名を残すほどの栄光を手にし、余生を送る事も充分可能だった筈だ。しかし彼は粗暴なストーカー行為と刺傷事件を引き起こし、自らその恩恵に浴する権利を捨て去った。一説によると、今回の犯行は1年ほど前に執筆され近親者のみに回覧された小説「セレンの書」の記述と驚くほど類似しているという。   

 ここに、彼が自身の創作言語を通じて自らを取り巻くリアリティを相対化し、曖昧な中間領域としてのオルタナティブリアリティ生成に向かう欲望、コンセンサスリアリティ内で約束された言語学者としての栄光よりも、オルタナティブリアリティを創造する魔術師としての挑戦に突き進んでいった確信的動機が見て取れる。彼の失敗は、合意現実への働きかけが粗暴な刺傷行為としてしかイメージできなかった、彼の魔術的想像力の貧しさにある。彼は言語学者としては一流であったが、魔術師としては二流であった。では彼は魔術師として、どのような態度で望むべきだったのだろうか。

■魔術師セレン・アルバザードの限界

 言語の創造は「神の業」にも比せられ、多くの哲学者、神秘家たちが探求してきたテーマだ。最も成功した人工言語エスペラントの創始者ザメンホフは、エスペラント運動中後期には語彙の編纂の第一線から自ら退き、「ホモラニスモ(人間主義)」と呼ばれる一種の倫理思想を提唱した。この事が、純粋に言語運動としてのエスペラントに期待していた層からの反発を呼ぶことになるが、結果的にザメンホフの「ホモラニスモ」はエスペラント文学のテーマとして生き残り、世界中の哲学者・思想家・社会運動家にエスペラントを印象づける一助となった。日本では宮沢賢治、大本教の出口王仁三郎といった文学者、宗教者がエスペラティストとなっている。

 翻って、セレン・アルバザードこと貞狩容疑者の創造した人工言語アルカは、純粋にファンタジー世界の設定に留まり、アルカならではの思想、象徴体系を育むことはなかったと思われる。これはある意味当然だろう。エスペラントでさえ、ホモラニスモ色は「エスペラントは宗教か」という論難を巻き起こし、運動を危機に陥らせた。萌えキャラとファンタジー設定に彩られたアルカが思想や倫理に接近すれば、瞬く間に「カルト」認定され、多くの離反者と熱狂的信者にクラスタを分裂させてしまうだろうことは想像に難くない。しかしながら、セレン・アルバザードがアルカを純粋な創作世界から代替現実へとシフトさせるという魔術的作業を行うのなら「アルカの倫理、思想、象徴体系」を構築するというこの大作業に、どうしても着手しなければならなかった筈だ。

 本稿冒頭で触れた動画「魔法堂ルシアン」で描かれる魔法の世界には、一貫した象徴性、深い文学性といったものが見受けられない。かわりにそこにあるのは、場当たり的で「それっぽい」だけの小道具、死んだ母の着物に執着する少女に魔法の霊薬を飲ませるだけの安易な救済、その救済の結果イケメン魔術師に恋慕する少女、といった、ラノベ的「中二」設定の虚ろな表象だ。ここに魔術師セレン・アルバザードの限界があった。もしも筆者がこの動画の制作スタッフとして関与していたなら、劇中の花の名前、その花言葉、並べられた石とその魔術的効能、暗喩と象徴性によって描かれる少女の内面の変化、といった要素を徹底的に作り込んだだろう。それはたとえば「アルカのことわざ」を創造し、それに基づいたストーリーテリングをつくりこむ、といった作業となった筈だ。つまり、アルカに思想的な必然性と一貫した象徴体系を付与し、文学的創造性の泉となり得る深み、「アルカの魂」を創造するという大作業だ。貞苅容疑者はそこには目を向けず、肥大した自意識との虚ろな戯れに終始していた。そのことを伝える動画として、もう一本の「自撮り」投稿動画がある。

■虚ろな記号で満たされた、オタク魔術師の内面



 この動画では、貞苅容疑者は路上の鏡にタンクトップ姿の自身を写し、立ち姿をチェックするような「自撮り」を披露している。なるほどなかなか見事な体躯ではあるが、ここに露呈しているのは、ナルシズムとともに身体性に没入する閉塞した自意識と、その稚拙な表現、幼児的自己確認の虚ろな儀式である。精神分析家ラカンの「鏡像段階」理論を思い起こさせるような、どこまでも孤独な心象風景だ。彼の内面に息づいた魔術的ペルソナ、セレン・アルバザードのネイティブタンであった筈のアルカには、人間の魂の深みに触れる力が付与されなかった。かわりに、ゲームキャラのような髪型、我流で鍛え上げられた中二的身体、オタク市場に氾濫する記号、記号、記号で埋め尽くされていた。それ故に、彼は言語の創造という「神の業」の領域を侵犯した時に、自身の心魂にかかる圧力に耐えきれず自壊したのではないか。

■アルカの今後

 高度な達成と優秀な人材に恵まれた人工言語アルカの未来には、創始者の痴情事件によって葬ってしまうには勿体ない可能性がある。現在アルカクラスタでは、2011年時点での「制アルカ」を古語として保存し、ラテン語に倣って新しい語彙を「俗アルカ」として吸収・継続していこうという議論もあるらしい。このクラスタが高い知的水準を維持し、真剣に人工言語の可能性を探求していることが窺い知れる。しかしその為には、オタク的記号消費から一歩踏み出し、人類文明に寄与するアルカの理念、人間精神の深みに脈動するアルカの象徴体系、つまり「アルカの無意識」のデザインに、勇気を出して一歩踏み出さねばならない筈だ。先述のとおり、エスペラントの歴史において、その魂ともいえる「ホモラニスモ」の探求はエスペラント運動を二分する論難を招いた。現代日本で、ネイティブスピーカーの内面に「アルカの無意識」が芽生える時、社会の合意現実は強い拒絶反応をもってそれを攻撃する可能性は高い。しかし、儀式を失い、言霊を失い、虚ろな記号遊戯に没頭する現代日本から、本当の意味での「魂の言語」を創造すること、それこそが、魔術師セレン・アルバザードが目論みつつ、貞苅容疑者には荷が重すぎた、大作業だったのではないだろうか。

※参照URL
http://rokurei60.wordpress.com
posted by bangi at 18:55| Comment(3) | ネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わかりますわかりましいた
魔術とかおかるととか大好きです尊敬します
まいにち発展してる科学技術とその理論と実践は儀式を失い言霊を失った虚ろな記号遊戯で人をダメにすからかわりに魂の言語をがんばて作らないとダメなんですよね
魔術をおうえんします魔術できるすごい頭いいあなたに尊敬できます
Posted by 魔術ファンです at 2013年06月05日 11:14
わかりますわかりましいた
魔術とかおかるととか大好きです尊敬します
まいにち発展してる科学技術とその理論と実践は儀式を失い言霊を失った虚ろな記号遊戯で人をダメにすからかわりに魂の言語をがんばて作らないとダメなんですよね
魔術をおうえんします魔術できるすごい頭いいあなたに尊敬できます
Posted by 魔術ファンです at 2016年01月03日 23:38
コンセントが写っていると指摘されましたが、そこは全く問題ないと思います
アルカの世界は別に中世風ファンタジーというわけではなく、電気関係の技術も発展している世界のようなので
遠近感のなさや、カットのタイミングの悪さはありますが、彼は映像関係を本職としているわけではなかったので、クオリティを求めても仕方のないことだと思います

それより、人工言語やその他創作活動を「中二病だ」「こじらせすぎだ」とバカにする世の中がよくないと、私は思います
例え作者が犯罪者であっても、その犯罪と彼の創作物を結びつけるものがない限り、焚書されていいものではないです
それどころか、人工言語界隈が(確かにニッチな趣味ではありますが)犯罪と結び付けられるのはひどいことです
Posted by parecivomuxazebisono at 2017年01月10日 03:40
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