10年ぶりの知人と松戸で飲む。
バーでテキーラ飲んでたらけっこうベロベロに酔っぱらって、
急遽お宅にご厄介になる。
この家を訪れるのも10数年ぶり。微妙な既視感に包まれてすやすや寝る。
朝方は「そろそろ起きなくちゃ」という夢の世界からシームレスに現実に。
朝ご飯までいただいちゃって、ほんともうここのお家の子みたいで、すまんこってす&ほんとにありがとう。朝は納豆だよね。
お母様とも再会。あーそうそうこの人だ!
記憶をたどると、実は知人よりお母様お父様がたとの関係のほうが深かったようだ。
ほとんど覚えていないが、おれは10数年前に「心配なのはわかるが、あなたがたも子ども離れするべきだ」などと抜かしてたようだ。昔から、偉そうに。
自分では覚えていない昔の自分の発言は、たいていは顔から火が出る類いのものだが、なんか意味深なこといってて後で発掘されると妙に面白い。
おれは昔「あまり軽々しく言葉を発するな。言霊が勿体ない」と発言していたらしい。
んーなんか意味わかんないけど、妙に生真面目で新鮮だ。
今のおれは全く逆に考える。
「脳のストレージ容量なんてたかが知れてるのだから、言葉を溜め込めずに発話せよ。脳内に辞書を溜め込むより、常に現在時のネットに接続してれ」
このおれの偉そうな口ぶりの変化にはやはり、この10数年のインターネット環境の推移が関係しているのだろう。
朝ご飯をいただき、駅まで送ってくれる道すがらは雪景色。
平日の朝っぱらから真っ白な田舎道をよたよた歩く感じが、なにか正月ぽい。
と思ったら旧正月だった。納得。
10数年でワンサイクルのあるシーズンがひとめぐりし、おれはこの朝、ある種の正月を迎えたのだろう。このように、ささやかで、根本的に清々しい正月をもたらしてくれた知人との縁に本当に感謝する。人との縁とはそもそもが、時間も距離も超えて、とてつもなく近くにあることなのかも知れない。
本来、縁は我々の精神の奥底において、時空を超越して生起しているのだ。
逆に考えれば、我々の時間的空間的な距離感は、むしろ我々が利用するコミュニケーションテクノロジーから生起しているのだろう。手紙が、電話が、鉄道が飛行機が、距離を生み出す。
正月感覚は、社会とテクノロジーが日常に線引きする「距離」を、無効化する。
インターネットが生み出す時空感覚は、地球を均等な正月で包み込んでしまうようなものかも知れない。違うかも知れない。
2008年02月07日
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そして、最後の3行はその通りだと思います!
納豆はもはやおれの主食だよ
>とら
親御さんがたにもよろしくお伝えください
朝ご飯とても美味しかったです
あの海苔素晴らしいね
シーズン1巡り
旧正月のイクリプスも最後の1押ししてたかんじ
ことよろ〜☆