2018年10月10日

研究者向け:私信


もうすっかり更新することもなくなったこのブログに、思わぬ使い道が生まれた。

以下はほぼ私信であるが、せいぜいが数人程度の研究者にとってはそれなりに食指を誘われるログではあるだろうので、返信の相手である君と、というよりはどちらかといえばむしろこのログを読む研究者に向けて、書いてみる。君に関しておれがなにか書く時には、これまでの10余年間、基本的にこのスタンスであったので、まぁウォッチャーにとってはおなじみのスタンスだ。

いままでと違うところは、二人称を「君」としてあるところだ。これは、君が自ら名乗り、署名つきで、いまだ迂遠ではあるがおれに対して書いた(であろう)ことに、おれなりの敬意を表してのことだ。君がそうするのは、おれの記憶にある10余年では、初めてのことだろう。そういうわけで、おれも匿名掲示板で(おれはコテハンでしっかりbangiと名乗っていたが)さんざん「おまえ」と呼んでいたのを、今回は「君」と呼ぶことにする。

しかしまぁ、内容は大したことではない。新たな情報はほぼ含まれていないだろう。なのでおれ的には無視してもよかったし、おれの損得を考えれば無視するべきだったのだが、いくつかの理由から、まぁこれくらいの労力は割くべき責任の一端というものがおれにもあろう、と判断し、そうしているという訳だ。無論、君からの返信が続くことは期待していないし、希望してもいない。基本的には、おれは君となんらかのやりとりをすることを、よっぽどの場合でもでもないかぎり「徒労」と捉えているからだ。この後は、おれの損得勘定と徒労感とのバランスで、おれも書いたり書かなかったりするだろう。


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まず、事の発端となった君のブログ記事だが、そのリンクはここには貼らない。この記事に書かれる内容に興味を持つのはおれと、君と、あと数人くらいであろうし、その数人は、すでに君のブログの当該記事を読んだ上でこの記事を読んでいるか、自力で君のブログを読みにいける人たちだろうから、という理由に加えて、おれは君のなんやかやのアクティビティに対してほんの僅かでもアクセスを誘導する、ということを一切やりたくないからだ。

君の書いた元記事へのリンクをここに貼らないというのは、その記事への「反論」という体裁のこの記事の読者にとっては、記事の説得力、信用を損なう方向にしか働かず、おれには損しかない。しかし、それを踏まえても君の書いたものへの誘導をしない、というのは、おれにとっては意義のあることだ。コピペで引用しながら引用元URLを貼らないというのは言論のルールに照らせばアウトなのだが、いまのところは「私信」というフォーマットで、つまり基本的には君と、引用元に自力でたどり着ける人間を読者として想定しているということで、勘弁願いたい。しかしこの自分的取り決めもまた大したことではないので、後に気が変われば、主に自分の損得勘定に応じて方針を変更するかも知れない。

おれは基本的に、きみの戯言には(楽しく拝読させてもらってはいるが)関わらないことにしてきた。おれが君にこうしてなんらかの反応を返すのは、1)おれへの言及が含まれるときと、2)おれや知人の名誉や利害に関係する、明らかな「虚偽」ないし「害意」が含まれるとおれが認めた時に限る。それは、君がさんざんおれに突っかかってきた匿名掲示板でも一貫して表明・実践してきた態度だったのは、この件に興味を持つ人なら多くが知っている、知り得ることだ。

当時のログ:http://kontonlog.blog105.fc2.com


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さて、長々と回り道をしたが、本題に入ろう。長ったらしい前置きに比べれば情報量は大したことはない。

君がブログで指摘した、おれの「嘘」とは、たぶんこれのことを指しているのだろう。

東京リチュアル:イベント情報
https://tokyo-ritual.jp/event.html#20160723

ここに該当部分を引用する。

現代思想、心理学、カオス理論、ポップカルチャーのハイブリッドで完全実践志向の現代魔術流派、ケイオスマジック。その考え方と基本テクニックを「マインドセッティング」「シジルマジック」「トランス」「バフォメット召喚」の4軸にすっきり整理してとことん具体的・実践的にレクチャーする予定。IOT日本ロッジの活動にも深くコミットしたバンギさんならではの「口伝」の現場に、星の導きあれ!


全文はリンク先で確認して欲しい。

これに関する君のブログ記事は、先述した通りここには貼らない。部分的にコピペするのも「切り貼りの印象操作」という誹りを避けるため、なるべく少なくと思うのだが、おれの論旨を明確にするために、まず1行引用する。

2018/10/15注記:著作権利者の申立により引用部分を削除



あらためて君のブログ記事を読んでも、実際君の論旨がどうもふらふらしていて、なにがどう嘘だと指摘しているのかはぶっちゃけはよくわからない。しかし、「嘘」というのは、ケイオスマジック界隈で長きに渡って発言してきた「同業者」として、おれが、主に君を意識して、徹底してきた「差別化」のポイントであり、おれもまた君のように虚言を弄するのを厭わない、と見られるのは、おれのアイデンティティ、ブランド価値に関わる問題なのだ。逆に言えば、おれがこの私信を書くことにした理由も、その一点に限る。その他の君の戯言には、おれは基本的に関心がない。


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さて、先に引用した記述がいたって妥当であることを、説明しよう。おれがくどくど言わなくても、君自身が同じ記事内でそれを説明しているので、君の記事を引用しながら説明しよう。

2018/10/15注記:著作権利者の申立により引用部分を削除


君が除籍されたらなんで除籍元のIOTがなくなった、となるのか、よくわからないがw 普通に考えても、誰かが除籍されて、その時点で除籍した組織がなくなる、というのは奇妙な話だろう。 事実なくなってなどいないし、君が除籍された後にも、関係者の会合や活動は、部外者である私が同席したものを含め確かにあったのだ。君がそれを知らない、あるいは想像もつかない、ということは考えにくい(いやまさか)。だから、君の

2018/10/15注記:著作権利者の申立により引用部分を削除


も、いつもの君の口ぶりで、わかって書いているだろう、とおれは推測する。いやまさか。

おれが当時IOT-JAPAN(君はこの表記にもなにやら突っかかっているが、日本のIOT界隈、を指す便宜上の表記としてとりあえずここでは用いる)とある程度親密な交流があったのは、2003年から2006年くらいをピークとして、2010年くらいまでの間だ。個人的な関係性は現在に至るまで続いているものもある。Magister Templiが辞任したのは2006年あたりだったと記憶している。君も知っているとは思うが、2004年にはおれとDJが主催し、当時のIOTJ界隈その他(ざっくりchaosmagic.com界隈、と呼んでもよい)が集うイベントを開催しており、当時のサイトと回想録も公開している。ポッドキャストでも、当時のいくつかのエピソードについて触れた記憶がある。

2013年10月14日
メルマガ「月刊23曜日」と「ケイオスマジックワールドミーティング2004荻窪」
http://23youbi.seesaa.net/article/377517897.html

「IOT JAPAN」「IOT 日本支部」という語をどう定義するかにもよるが、普通に想像して普通にそのようである通りに、君が除籍され去ったIOT JAPANはその後もIOT JAPANとして活動を続けた。それが幾つかの経緯があり、後にMagister Templiが自ら辞任したタイミングを持って、ここでいうところのIOT JAPANの活動は休止する。さらにその後にも幾つかのエピソードはあるのだが、それを君に教えてやる義理はおれにはない。

さておき、君がどういう根拠、あるいは思考回路で

2018/10/15注記:著作権利者の申立により引用部分を削除


と書いたのかは理解しかねるが、以上は控えめに言っても事実誤認であることは、先に挙げた2004年イベントの件ひとつをとっても、この記事を読む読者には推測できるのではないだろうか。



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以上をおれから提示する前提として(正確性や利己的バイアスについての判断は読者に委ねる)、君の書いたブログ記事について、いくつかおれの思うところを書く。

要するに、先にURLを貼ったおれの記事( https://tokyo-ritual.jp/event.html#20160723 )の記述のうち、君はこの部分を指して「嘘」と指摘しているのだろう。

IOT日本ロッジの活動にも深くコミットしたバンギさんならではの「口伝」の現場に、星の導きあれ!


ここではおれは「IOT 日本ロッジ」と書いてあるが、まぁ君がいうところでは「ないはず」の「IOT-JAPAN」と指すものは同じだろう。そして、君の理解では、君が除籍された後IOT-JAPANは「ない」のであり、「あった」ころのIOT JAPANに関して、君は窓口メールも全て把握していたわけだから、そこに「バンギが深くコミット」していた事実はない、とそういう論旨だろうか。

おれが深くコミットしたIOT-JAPANは2003年から2006年あたり(Magister Templiの辞任まで。正確な年はメールログを探しても見つからないが、いくつかの理由から2006年より後ということはないと思われる。)であり、君とは入れ違いなのだから、おれがどれくらい深くコミットしていたかを君が知らないのは、まぁ無理はない。あと、大したコミットメントではない。いい友人として、話し合い、体験し、相談し、素晴らしい青春の1ページを共有した、という程度だ。

あと、おれはIOTの参入者ではない。当時の「界隈」は、君も知っての通り、ToSやIOT、おれのグループやあれやこれなど、多くの人脈が交錯・重複して「シーン」を形成した。そのシーンのひとつの結実が、先にあげた2004年のイベントだ。おれは研究者として、友人として、部分的には君よりも深く、IOT-JAPANの内情を共有したのだ。それはここでおれが改めて述べるまでもなく、過去数年に残されたあちこちのログで参照できることだろう。そういうことだから、おれもイベント告知などの際には勿論、言葉を選んで「コミット」と書いてあるのだ。

もうひとつ、「口伝」に関してだが、これは単に君の日本語能力のおぼつかなさの露呈、あるいは無理筋な言いがかりであることは明確だろう。これはおれが銀孔雀で行なったワークショップの告知であり、それは勿論、おれから参加者に対する「口伝」の現場だ。そもそもこのワークショップは広くケイオスマジックと括られる技法と文化を、おれ自身の経験知からレクチャーするものであって、IOTのなにがしかをお伝えします、などどこにも書いてない。



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あといくつか、いい機会だから思うところを書いておく。

1.
君は長らく、おれがIOTメンバーであると表明したか、なんらかの形でIOTのメンバーであったと考えている節が見受けられる点や、2003年以降にIOT-JAPANは「ない」と断言するあたり、おれが推測する以上に、IOT-JAPANの顛末には詳しくないのかも知れない、と思った。これは君も当然知っているだろう、とおれが思っていたいくつかのことを、どうも君は知らなかったり、重大な勘違いをしていたりする。もしかしたら2004年のイベントも、それに触れているおれのブログ(このブログだ)も、今まで君は知らなかったのかも知れない(知っていたら2003年以降IOT-JAPANはない、と、署名つきで断言するメリットはないだろう)。

しかし、それはオカルト結社文化においては普通のことで、脱退したメンバーはその後、界隈の事情にある程度疎くなるのは割とよくあることだ。しかしながら、オカルト結社といえば仰々しいが要するに変わった趣味を持つ数人からせいぜい数十人が、飲み会で親睦を深めやれイベントだやれ儀式だと楽しく集う同人会だ。事情があって結社を離れても、険悪になったり、トラブルで激しく衝突したりといった理由でなければ、普通に個人的な関係性は続くし、そもそも各団体の人脈は先述の通り、交錯・重複している。

君の場合は、その後全く事情に疎くなってしまうような、そんな去り方だったのだろう。そして、複数団体を交錯・重複する生の人間関係とも、関わりを持てずに今に至るのだろう。君のブログには、当時の兄弟姉妹たちを名指しで、本名だなどと注釈付きで、口汚く罵っている記事がいくつか公開されていることからも、それは誰にでも窺いしれるというもの、お察しというやつだ。おれもある団体をまったく不本意な顛末で除籍されたことはあるが、それでも君のように振る舞うということは、想像もできない。そんなことをもし自分がしたら、自分のことが嫌いになってしまうだろう。

2.
1とも関連するが、君の記事で「関西人」として指されているのは、おれのことだろうか。そうでないと前後の文意が繋がらないからそう仮定して読むが、おれが2003年当時どこに住んでいて、いつどうやって今どこにいるのか、別に隠していることでもない。なんならこのブログを読めばかなり正確にわかるぞw
君のブログの論旨を汲み取るのはやや困難を伴うが、つまり

2018/10/15注記:著作権利者の申立により引用部分を削除


というのは、その間に岡山在住のバンギ がIOTにいたことはない、故にバンギ は嘘つきだ、ということを言いたいのだろうか。ここまで読めばわかるが、おれがIOT-JAPANと関係しだしたのは2003年からである。その顛末も、君が知らない筈はないとおれは最近まで思っていたのだが、どうも君はおれが思ったよりも事情に疎い可能性をおれは最近疑い始めている。面白いから放っておくが、せめておれの東京リチュアルのポッドキャストなどをチェックすれば、たぶん君が喉から手が欲しくてたまらない情報が山盛りであるぞ、と進言しておく。

3.
おれはIOTのイニシエートではないので、君があげたクイズの多くはおれには答えられない。おれは君のファンではないので、君の魔法名や書いた儀式などまったくどうでもいいし(なんでそんなものを知ってなきゃならんのだw)、研究者としての知見を踏まえてもクイズ自体がちょっとよくわからない内容だ。君が儀式を書いた、なんだかに登録された、後で復帰した、そういうのは全部、目下のところ君がそういってるだけであり、客観的なソースがない。ソースがなくとも、まぁあの人がいうならそうだろう、という了解を踏まえて大抵のことは運ぶのが世の習わしなのだが、残念ながら君は10余年の華々しいログ(その多くの当事者がおれ)、そして現在進行中の君のお家芸のせいで、「まぁそうなのかな」とはしづらい状況があるのだよ。無駄に長いキャリアにあって、自分の名前にある程度の信用の担保を築けなかったのは、これはもう自業自得であり、なぜそうなったのかは、君自身が一番よく知っているはずだ。

再掲・当時のログ::http://kontonlog.blog105.fc2.com


とはいえ、研究者のためにも思いつくことをいくつか書いておく。

・Chaos Mass はA,B,Cが言及されるが、仮にPHのHを加えても4つだな。Uを入れて5つとするか...まぁいいや
・そいつはJWだときいている。DJと君の、共通のメンターらしいな。
・知らんし、例えおれが団員でもどうでもいい話だ。IOTは知らんが、一般に秘儀結社はものしりクイズ王大会じゃないしな。一人がDLなら、もう一人はJWで、もう一人については推測する手がかりもないな。
・フェラチオババロンwww 知るかwww おまえさー昔からそういうのよくやってるけど、普通な、秘密結社で「あいつの本名知ってるか、なになにだぜ」てやるの、それで別段困ったりしないけど、タブー中のタブー、そんなことやる奴が関係者にいるって時点でそいつのメンターや紹介者の黒歴史になるくらいの行為だぜ。 君、そういう基本的なところがなってないから、何をいっても論外扱いなんだよ。



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結社ってのは、やっぱり人と人の繋がりなわけ。秘密を介した、親密な繋がりの遊びであり、ライフワークなんだよ。本質的には、ペーパーのことじゃないわけ。ペーパーは大事だけど、魔術って面白いな、結社に入ってみたいな、て思う人たちが、求めるものは、ペーパーじゃないわけ。

君は、かつての兄弟姉妹を実名あげて口汚く罵倒しながら、なんかよくわからない物知りクイズをさ(本当にクイズなのかどうかもあやしいものをさ)、執拗に書いてるわけだけど、それはまぁ個人の趣味性の問題だからあれこれいわないけどもだよ、そもそも、結社遊びってそういう人がやること、できることじゃないのね。やっても、意味がないじゃん。君は、いろいろあってIOTに入って、びっくりするような間抜けな顛末で除籍されて、今こうして、そうして、なんかやってるけども、普通に考えれば、いろいろわかるわけよ。君のふるまいそのものが、雄弁に、それを明かしているわけ。

なんか事情があって電子書籍売りたいなら、素直にそうプロモーションしてみたらどうかね。以前に匿名掲示板でもおれはそう言った覚えがあるよ。プレスカオスだしたよ!買ってね!スペア翻訳したよ、買ってくれ! それをおれは邪魔したことないだろ? ていうかおれも買ってんだよwウォッチャーとして仕方なくよ。金は返して欲しいけど、まぁ今はそれは言わない。ともかくも基本的には、君の商売を邪魔しようとはまったく思わないのよ。君も生きていかなきゃいけないんだから。君が立ちいかなくなったら悲しむ人もいるだろう。ただ、おれが愛する文化、おれの知人や過去と未来の友人たち、兄弟姉妹たち、Lineageを、無駄に貶めるようなのは、面倒くさいから放置つっても程度問題があるわけ。

あとな、おれは君が自ら名乗って、署名付きで書いて、世に出すのは、大賛成、願ったり叶ったりなんだ。そうしてくれれば、おれの負荷はかなり軽減される。いまだに時々質問されるんだよ。バンギさんって混沌の騎士団と関係あるんですか?て。そういう時、おれは本当に死にたい気分になる。書いてるもの見ればわかるっしょと。わかんないなら魔術とか向いてないよと。しかし、今まで君が署名付きで「私です」て書いたものは、意外なほど少なかったからな。じゃんじゃん書いてくれ。おれもアクセスカウンターには貢献するのは間違いない。


PS
ウォッチャーとして楽しく君のブログを拝読していたら、IOT JAPANがYoutubeになにかあげて、みたいなことが書いてあるから、すわそんな新しい動きがあるのか!と心踊らせたが、どう検索してもそれらしい新トピックは見つからない。よくよく君のブログ記事を読んでみると、なんだおれのことか、とがっかりしたもんだよ。
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2014年01月19日

ポーの洗礼式 (Principia Discordia)

ポーの洗礼式
POEE Baptismal Rite

司 祭:汝、まさしく人なりて、キャベツかなにかにあらずや?
参入者:はい。
司 祭:最悪や。汝、より善きものにならんと欲すや?
参入者:はい。
司 祭:アホか。汝、哲学の光もて照明されんと欲すや?
参入者:はい。
司 祭:じぶんおもろいな。汝、聖なるエリスの軍勢に加わらんと欲すや?
参入者:たぶん。

参入者:女神エリスの御前にありて、我(名前)、轟く不和の軍勢に加わり、神秘なるエリスのパラセオアナメタミスティック団の兄弟となれり。
ヘイルヘイルヘイルヘイルヘイルエリスエリスエリスエリスエリスオールヘイルディスコーディア!

全員:オールヘイルディスコーディア!

※ポー POEE = PARATHEO-ANAMETAMYSTIKFOOD OF ERIS ESOTERIC
敢えて訳せば「神秘エリスの分裂神智無政府高次ひみつ団」

From PRINCIPIA DISCORDIA
http://principiadiscordia.com
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2013年10月05日

縄文系現代魔女術ワークグループ「ウフィカ」考

English translation:
"Of Uphyca" http://lumitan.tumblr.com/post/65622178301/of-uphyca

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ウフィカは実践魔女術研究家・谷崎榴美を中心に2013年8月に創設された現代魔女術ワークグループである。2013年10月現在10余名の参加者が集い、オンラインで活発に交流している。

http://uphyca.org

ウフィカの提示する「魔女」潮流のスコープは、フランス-イングランドの伝統魔女宗(Traditional / Hereditary Craft)からクロウリー/ガードナーの手による復興魔女宗(Gardnerian WICCA)、60-70年代のネオペイガン潮流の分岐、ケイオスマジック経由新魔女宗のシュメール/バビロニア的隔世遺伝に亘る広範な系譜を見据え、その衝動と持続を空間的にも時間的にも「いまここ」に繋げるものである。すなわち狭義の「西洋魔女宗」の参照・模倣に留まるものではなく、ある意味では逸脱しつつ、パラダイムシフト的な跳躍によって原初の衝動への回帰と再生を目論むものでさえある。本稿では幾つかのキーワードに沿って、ウフィカの概要を紹介する。

■ソロ魔女のオンラインワークグループ
ウフィカは13人一組といった様式を持ついわゆるカヴンではなく、既に何らかの自己参入儀式を経験したソロの魔女たちのオンラインワークグループである。この点の類推にはケイオスマジックムーブメントを牽引した英国グループ、IOTが結社(Order)ではなく組合(Pact)を標榜したこと、同じくポストケイオス的オンラインコミュニティAutonomatrixなどが参照されるだろう。メンバーはノート共有アプリEvernoteにより、それぞれの夢日記や、段階的に提示される課題をはじめ様々なエクセサイズを相互に編集可能なノートとして共有する。ウフィカは構造上、オフラインでのミーティングを「必要としない」グループデザインが企図されている。これは参加者の地域的制限を回避する実利性のみならず、カヴン(的共同体)の電子的な拡張という実験性を徹底する狙いも込められている。

「電子的に拡張されたカヴン」は、その参照系としてマーシャル・マクルーハンのメディア進化論、テレンス・マッケナのポストモダン・シャーマニズムに加え、伝統的な魔女のトポロジーをも内包する。すなわち、中世ヨーロッパの魔女が使用した「飛行軟膏」、幻覚性植物による変性意識的離脱・飛行体験の焦点としての「ハイ・サバト」である。復興魔女宗の一派Sabbatic Craftにおいて「ハイ・サバト」は、エノク魔術における「アエティール」に相当する魔術的トポスとして提示される。中世ヨーロッパの魔女カヴンでは、メンバーが一同に会するのは1年に1度程度であったという。彼らはカヴンの物語、アストラルイメージを符牒として共有し、それぞれの暮らす場から変性意識下の「飛行」によって集合意識の焦点としての「ハイ・サバト」に赴いたのである。オフラインミーティングを介さず、電子メディア空間での物語(Narrative)の共有と意識の同調、交感を強化することは、ウフィカメンバーに課せられたエクセサイズでもある。

■縄文の女神信仰と巫女文化
ウフィカはアイヌ語で「焼き尽くす」を意味する。西洋魔女カヴンが拝する大地母神、有角神に該当するウフィカの神的イメージは、縄文期日本の出土品に透かし見る古代の女神であり、沖縄-台湾-ポリネシア、北海道-ロシアの「ヤポネシア」弧に広がる巫女文化に保存されている「火」のイメージに集約される。ウフィカメンバーはそれぞれが自己参入を果たした魔女でありながら、縄文の女神を祀る「火の巫女」としてのワークに取り組む。ある意味ではウフィカは縄文復興ワークグループであり、現代の実践シャーマニズムであり、ポストモダンの復興拝火宗でもある。

ウフィカの拝する「火」とは、それ自体最も根源的であり直接に体験されるエネルギーでありながら、古代より綿々と燃え続ける生命-意識、そして2011年の原発事故によって爆散した核エネルギーの重層的メタファーでもある。現時点で唯一使用されているウフィカのグラフィックイメージは、福島原発から外洋に流出する放射性物質の拡散予想図を炎に見立てたものであり、それは極東の竜がのばす火の舌のように見える。中東に保存される古代拝火教、特にイラクのクルド人宗派イエジディ派は、ペルシャ・スーフィズムと堕天使神話を介して西洋秘儀文化と「ツバル・カインの血族」としての古ヨーロッパ魔女宗に接続する。民俗学、比較宗教学、文化人類学の成果を踏まえた緻密なナラティブの構成により、現代日本人の「いまここ」に直接に繋がるスピリチュアル・エクセサイズと共同体のユニバーサルデザイン - Jomonian Witchcraftが目論まれている。

■電子的に拡張される口承文化装置
ウフィカのプラットフォームは先述のEvernoteやSkypeなどのネットツールであるが、要点となるエクセサイズ、課題、段階的イニシエーションは全て語りを録音した音声ファイルとして共有され、テキストデータは最小限に抑えられている。無文字文化であった縄文期日本の霊性に意識を向けるワークと継承の方法論が、発話修練と聴覚体験によって構成されている。ウフィカメンバーは火の巫女としてのワークの過程で、耳を澄ませ、自ら語ることによってのみウフィカの物語(Narrative)を継承していく。この特徴によって、ウフィカの段階的イニシエーションは記述や免状に依らない、参入者自身の心-身的Psycho-somaticな能力によってのみ伝達され得るものとなり、本来的かつ本質的な秘儀共同体のセキュリティが担保される。母から子への手遊び歌のように、ミニマルで生命力溢れる文化遺伝子のヴィークルが電子空間のパロール(語り言葉)として拡散していくのである。

ウフィカメンバーによる現時点での定例儀式に、毎週水曜日に開催される定例拝火式がある。23:00から30分間、ウフィカメンバーはチームリーダーの語りによる誘導瞑想音源を聴きながら、この時間に世界中で灯される「火」の観想と所定のアストラルイメージワークを行う。この儀式はウフィカメンバー以外にも広くツイッターなどで呼びかけられ、ロウソクなど小さな火を灯すことで気軽に参加できる、電子空間を介したオープンミサといった様相を呈している。心身的技法の実践に集中する女性限定の「火の巫女」たちと別に、ワークを実践しない「崇火会」が組織され、ウフィカの主旨に賛同する広く一般の男女が集い、人的・学際的サポートを行っている。

■「縄文魔女」のユニバーサルデザイン
みてきたように、ウフィカの目指す地平は西洋魔女宗の「お習い事」的な矮小化や趣味的没頭にはなく、女性的-心身的文化伝承の電子的-時空的拡張と、それに連なる「魔術的記憶想起」或は「転生」の文化装置デザインと実践、現代の個々人がそれを生き切ることが可能なユニバーサルな「魔女」のナラティブの獲得にある。ウフィカの標榜するJomonian WitchcraftとそのMethodologyはあらかじめ空間的制限を超え、文化遺伝子として時間的制限をも超え得るものとして、グローバルな広がりを指向していくものとなるだろう。

ウフィカについて語り足りない事柄も多く残るが、特に古ユーラシア神話世界やヨーロッパ伝統魔女宗、ガードナー以降20世紀カウンターカルチャーとしてのネオペイガン運動とウフィカが切り結ぶ文脈については、東京リチュアルより2013年年末から順次刊行予定の電子書籍シリーズ「伝統魔女宗叢書」「ルシフェリアン・ウィッチクラフト叢書」の翻訳資料・書き下ろし著作などでより詳細に論じていく予定である。




[参考リンク]
縄文魔女術実践グループ ウフィカ:http://uphyca.org
ウフィカ・twitter:https://twitter.com/UPHYCA1
水曜拝火式・twitterハッシュタグ:#uphycaWFR
谷崎榴美・twitter:twitter.com/LUMITANizaki
東京リチュアル・twitter:twitter.com/TokyoRitualJp
posted by bangi at 09:43| Comment(0) | 神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月14日

光の蛇 The Serpent of Light

某所でヨガにおけるクンダリニーワークと西洋魔術における身体訓練「中央の柱Middle Pillar」の関連性についての話題がのぼり、独自に開発し長年親しんでいる個人的ルーティンがなんらかのヒントとなり得るかと思い当たったのでここに記す。

要点としては「中央の柱」における「光」の感覚、ヨガにおけるバンダ(締め付け)とスシュムナー(チャクラを結ぶプラーナの経路)の感覚を、土方巽、大野一雄、笠井叡に連なる舞踏の系譜に保持される身体-イメージ操作法のもとに統合した訓練ルーティンであり、いかなる象徴言語体系、あまたある神秘的身体観にも依拠せず、(想像力を含めた)純粋な体術としてパッケージされたもの、ということだ。つまり、ここではLVXの薔薇十字もチャクラに投影されるヤントラ図像もなく、「明るさ」「熱感」「圧力」といったミニマルな要素に還元された身体エネルギー論が展開されつつも、同時に西洋魔術的身体、ヨーガ的身体、舞踏的身体の「体感」のエッセンスが抽出・凝縮されている。このルーティンに習熟するのみではクンダリニーの上昇や悟りなどの神秘体験が得られる訳ではないが、しなやかで高圧力に耐え得るバッテリーとしての背骨と、その回路に迸る生命エナジーの感得、そしてそのダンサブルな表現を増強するものであり、それが何の役に立つのかと問われれば、、、その回答はウィトゲンシュタインの「語りえないものへの沈黙」の流儀に倣い、読者自身の思索と体験に委ねるのみである。

暗中模索、試行錯誤の鈍愚の航路を照らし導いてくれた我が3人の師に捧げる。

See what's happen & Enjoy.

(注記:心臓病など疾患を持つ人は実践にあたり医師と相談すること。実践によるいかなる疾患負傷に関しても筆者は一切責任を負わない旨確認した上で自己責任において実践されたし。)

光の蛇 The Serpent of Light

■光の下降

1.足は肩幅で直立し気息を整える

2.目を閉じ、頭上遥か上空が一面の明るい白色光で満ち輝いている様を想像する。(※1)

3.吸気しながら指先を伸ばした両手を左右一杯の弧を描きながら頭上へ伸ばす。 まっすぐなバンザイのポーズで息止めて一端キープ。指先、頭頂を細い糸でまっすぐに吊られる感じで、キープしたところからさらにもう一息吸気、踵あげ背伸びでキープ 背伸びと同時に頭上が一層明るくなるイメージ。

4.ゆっくり呼気とともに両手人差し指親指で三角形をつくり眉間に降ろし、息は吐ききらずここで一度キープ。 眉間の奥、松果体の位置に光源をイメージし「体内が明るい」イメージ。かすかな熱感。

5.残した息をゆっくり呼気しながら三角形を下向きにして性器の位置まで降ろし、僅かに息を残してキープ。 会陰部で「体内が明るい」イメージ。熱感。

6.そのまま息をゆっくり長く吐ききり、手は両側でリラックス。肩腕指先胸骨骨盤を重力に任せリラックスした状態で直立。足下遥か地球の中心に赤みを帯びた明るさと熱感をイメージ。


■蛇の上昇

7.息を吐ききった状態をキープしたまま肛門をバンダ(締める)。尻穴のひだを体の内側に巻き込み、背骨を通して頭頂からでた糸でそっと引っ張りあげる感じ。

8.自然な吸気とともに性器が暖かくなるイメージ 尿を止める要領で性器を軽くバンダ。バンダを解かずに息だけストンと吐ききってリラックス&キープ。(※2)

9.再び自然な吸気とともに下腹部の筋肉を微かに締めて骨盤を掴み、骨盤を前後左右の水平をとって丹田の一点をバンダ 。定まったらバンダを解かずに息だけストンと吐ききってリラックス&キープ。

10.再び自然な吸気とともに横隔膜を引き下げて丹田に息を入れる。楽にいっぱい入れきったら喉を軽く閉じ、息を止めたまま背骨を通って頭頂に抜けている糸で横隔膜を引き上げ胸骨を開き胸をバンダ。胸の中心から熱感が喉の奥と涙腺を刺激し緩む感じ。暖かく優しい感覚を味わい、バンダを解かず(横隔膜を下げず)息をストンと吐いてリラックス&キープ。

11.息を吐ききった状態のまま喉を顎を胸に付けるようにいて喉を押しつぶし、喉の気道が塞がれた状態をキープしながら(顎を引きながら)再び頭を起こしつつ横隔膜を降ろして喉をバンダ。重力で引き下げられる身体各部と横隔膜、バンダで締め上げられる背骨のテンションで、体内の真空が引き延ばされる感じを味わう。(※3)

12.適当な頃合いで喉のバンダを微かに緩め、喉の頸骨側奥を伝う細い吸気とともに、胸骨から上の背骨、頸骨、頭頂部をさらに真上に伸ばし耳の穴を開いて、息を松果体の位置まで入れる。息が入りきったところで眉間が内側にめりこむようなイメージで眉間をバンダ。

13.そのまま可能な限りキープ。頭頂からでている糸が遥か上空にまで伸び、遠く成層圏を吹く風に心地よく揺れているイメージ。

14.両手を体側に沿って腰、胸、頭上へと持ち上げながら(※4)、足の下地球の中心から艶かしい熱感が足、尾てい骨、背骨、頸骨、松果体に伝って蛇のように絡まりながらゆっくり上昇し、頭頂部から抜け出て頭上30cmの空中でとぐろをまくイメージ。呼気とともにとぐろを巻いた蛇が糸を伝って天上の光のなかに昇り消えていくイメージ。

15.伸びをして体をほぐしリラックス、またはシャバアーサナ(死体のポーズ)。以上で1セット完了。


(※1) この感覚の習熟には、目を閉じて部屋の照明を付けたり消したりして感覚を味わう、また目を閉じて額や体の各部位に懐中電灯を照らすなどの稽古が有効である。

(※2)肛門、横隔膜、喉以外の部位で「バンダ」と指示されているものは、微かで自然な筋肉の締め付けを伴うものの、肉体よりもややEthericな、微細体Subtle Bodyにおけるチャクラのバンダを指す。胸に関しては胸骨の位置を固める肉体的バンダと、アナーハタチャクラのEthericなバンダの混合となる。微細な感覚によるチャクラのバンダは、カメラの絞り羽、あるいは肛門括約筋の締め付けや閉じる気孔のようなイメージを各チャクラ位置に視覚化することも助けとなる。

(※3)この時やや苦しいが喉はしっかりとバンダされているので息は通らない。酸欠による意識の瞬間的なブラックアウト、転倒・負傷の危険があるので、自身の習熟度に併せて度を超さない加減を調整する。

(※4)体を包み込むようにそれぞれの手で反対側の体側を沿わせる。つまり「シャツを脱ぐように」両手を上げていき、最終的にバレェのアン・オーEn hautのかたちとなる。


■解説

この身体訓練法は、西洋魔術に於ける「光」を視覚化し体幹へ降ろす「中央の柱MIddle Pillar」のイメージ行法と、ヨーガに於ける下から順にチャクラを締めあげていくバンダの身体行法を組み合わせたルーティンとして設計されている。背骨を通る光の通路、個別のチャクラのバンダの感覚、バンダによって背骨の圧力を高めていく感覚に習熟することによって、蛇としてイメージされるエナジーが一種の官能性、恍惚感を伴いながら天上の光へと上昇していく体感をつくりあげ、圧力を高めた身体エナジー(クンダリニー)を上昇させる強健な背骨の路(スシュムナー)を開発することを目的とする。

10.の感情の揺れを伴う熱感、11.の「息を吐いた状態でのバンダ」と12の内耳拡張、松果体への集中の段階で、軽いめまい、内耳圧・眼圧の変化、頭痛のような熱感、圧力を感じる場合がある。こういった感覚はクンダリーニヨーガ実践において報告されるものと類似しているが、このルーティンでは深い瞑想やイメージへの集中に頼らずより簡潔な身体操作の手順によって、速やかかつ穏やかに同等の身体感覚・意識変容を促す。しかしながらめまいや酸欠によるブラックアウトと転倒はほとんどなす術ない程に突然に起こるので、無理をせず、安全への注意は万全でなければならない。

このルーティンにはハタヨガ、中央の柱を代表とする西洋エナジーワーク、そして舞踏の身体イメージ操作のテクニックが統合されている。すなわち実践者は自身の専門領域に留まらず、ヨガ、エナジーワーク、ダンスの訓練に広く親しむことで、この技法のより深い理解と自身による技法拡張の機会が得られる。
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2011年08月20日

凡魔劫 The PanDaemonAeon

沌年 ANNO CHAOS
凡魔劫 The PanDaemonAeon
黒陽殿より from Templum Nigri Solis

From:
"Rebels & Devils The Psychology of liberation" Edited by Christopher S. Hyatt,Ph.D.
ISBN 1-56184-153-6

 それは1945年8月6日午前8時のわずか後、広島で始まった。思考不可能なものと具現不可能なものが融和し、ひとつの激変をもたらした。核分裂実験は既に秘密裏に達成されていたものの、その真実の力はいまだ世界に広く示されてはいなかった。以前には不可侵だった宇宙の要素は正確なテクノロジーによって制御され、エネルギーと物質の明確な関係性が証された。地球の倫理の守護者と目されていた「源初の世界」は、完全なる慈悲深き神の名において祝福された純粋悪の使者をこの世界に送りだしたのだ。

 原爆投下は多大なリスクを内包していた。一度核分裂が始まると、全ての物質の原子構造が連鎖反応を起こす可能性が検討されていた。にもかかわらず、「自由世界の守護者」を名乗る者たちはそのギャンブルを選択した。人類は、あの朝の出来事が起こるまでは神の領域とされていた完全殲滅の力を、いまや手中にしたのだ。

 マスメディアによって、全地球的集合意識は永久に変革された。広島の原爆投下ーその破壊力の全貌をいまだ解明することが困難なほどの暴挙ーは、メディアと通じて「認可」された。それ以来、全てが許されているのだ。慈悲深き神が、思考不可能なものを顕現させ、具現不可能なものを物質化することを許すのならば、以降なにものも再び「真実」とは成り得ない。

 原爆は人類の集合魂を爆破し、巨大な穴を穿った。眼前に現出した、人類の代表者たちによる完全破壊の脅威によって、超越者、外なる宇宙原理への信仰とそれに基づく社会的・政治的構造は蒸発してしまった。わずか5分後に起こりうる地獄、それを阻止する聖なる救済の手が間に合う見込みはない。物質はいまや人類の運命とともに究極的な制御対象となったのだ。

 戦後世代は死のメカニズムから抽出されたテクノロジーによって対数的に拡大成長する社会経済を受け継いだ。新しい、加速された世界は、過剰なテクノロジー、イデオロギー、そして可能性に溢れた今日へと昇り詰めた。一方、拡大する物質的地平とともに精神的な虚無感が、新しい超越主義の形、人類の生物種的必要としての超越の探索に向かう引き金を引いた。1960年代におけるオカルトリバイバルとドラッグカルチャー、東洋思想への接近といった大規模な実験は、ビリー・グラハムと第二バチカン公会議の接近同様、この探索の現われであった。パッケージ・ホリデイからマルクス主義まで、あらゆる事物はポストアトミック社会の真空を埋めるように拡がっていったが、それらは見せかけのものでしかなかった。

 原子爆弾は精神のランドスケープのみならず、伝統的な世界観の全てを覆えした。最初の大規模な核の力のデモンストレーションは、相対性理論的宇宙から量子論的宇宙への移行を宣言した。量子理論はようやく認知され始めたばかりであり、現時点ではいまだ殆どの学校がこのポストニュートン物理学をカリキュラムに組み入れることの困難さを抱えている。そうすることは、旧来の西洋的パラダイムの全体構造に挑戦することに等しい。広島以前の世界では、科学と宗教は強く結び付いていた。双方の実践家、科学者たちがそれを否定したとしても、双方間には暗黙の同盟関係が存在した。戦前の科学思想の殆どは、アインシュタインをして最後の論理的ハードルを諦めさせた「創造者/神」というアイデアを許容し、固執していた。

 魔術、アートであり科学でもある魔術は、社会的に容認された思想の外部にあるという点において、権威的社会の限界に対する相対的な自由さを残している。魔術は、懐古趣味的な幻想に陥る危険と背中合わせながらも、人類の意識の進化に伴ってデータと技術を蓄積してきた。魔術の本性的な傾向とはプログレッシブ、エクスペリメンタル、アナーキックであることであり、充分な言語的ネットワークの欠如によって押し留められてきた、文化的メカニズムが発現する前進力そのものとしての思想である。

 魔術は、権威によっては知りえない宇宙の勇敢な探究者にとってのマトリクスとして機能してきた。ロックンロール世代の聖像破壊によって、新しい社会は自由な魔術的パースペクティヴを再発見する。それは、部族社会からマスコントロール社会に移行して以来、特権的に保護され、容易にはアクセスできなかったものだ。

 支配的文化が押し付けようとしてきた制限にも関わらず、今日の我々は情報とテクノロジーに容易にアクセスできるサイバーエイジに生きている。この世界は、かつては知識がそれを望む者たちに開かれて、直接に体験することができ、あらゆるリアリティが遍在していたシャーマニックエイジの鏡像である。我々は、かつて草木を繁み恐竜を歩かせてきた神経回路ハードウェアを所有し、そして今、それを再起動させるための新しい魔術的テクノロジーを見い出そうとしている。それがケイオスマジックだ。それによって我々は、リアリティを最大限に能率的に、直接的に操作するテクニックを加速し、完成させようとしている。この新しいテクノロジーは、全ては可能であり、あらゆる想像可能なリアリティは、我々が呼吸する普く空間のサブスペースに拡がる「ポテンシア」に息づいているという悟りを魔術師にもたらす。ポテンシアは全てを内包し、制限はない。これは正統的な見解におけるケイオスであり、遍在する原初のスープである。

 デーモンとはエナジー/情報の配置パターンであり、今やあらゆる配置パターンが可能である。あらゆるデーモンは解き放たれ、この真の時代精神は名前を持っている。あらゆるデーモンの時代、"PanDaemonAeon"。1987e.v.は42PDAでもある。

Io Chaos!
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2011年06月01日

第4世代魔女ユニット R.A.M.I.P.A.S.

rumitan.jpg
東京大阪に自身のサロンを持つヒーラー・谷崎「るみたん」榴美女史と、文藝賞授賞作品「メイドインジャパン」「世界がはじまる朝」で知られる作家・黒田晶女史による、イケてる「第4世代」魔女ユニットR.A.M.I.P.A.S.(*1)について。

両女史とは某結社夏至儀式及び小会合で初対面後なにかと意気投合&茶飲み陰謀話を重ねてきた。彼女たちの背景としてのガードナーからネオペイガンへの現代魔女宗の流れ、黄金の夜明け団からクロウリーそしてケイオスへの西洋儀式魔術の流れを踏まえつつ、自身の体験と実践から独自の視点と方向性を確立している彼女たちの才覚は、日本語圏におけるこの分野の重大なLost in translationを直感的に解読し、さらにTranslationを超えたCreationへと文化的状況を前進させる極めてパワフルかつ真摯なものだ。

アイコンとしての「魔女」が含む様々な要素を「正統/不純物」に分離することなく包括的に受け入れ、その根源に普遍的に蠢く力動に直接的にアクセスし得る「現在的で、故に真正な」シジルとしての21世紀日本の魔女アイコンをリデザイン/リノベーションするR.A.M.I.P.A.S.の意志は、前述のGD/クロウリー/ウィッチクラフトの近現代オカルティズムの文脈に加えダダ/シュルレアリスム/シミュレーショニズムの美学史、シチュエーショニズム/存在論的アナーキーのサイバーアクティヴィズムの流れを一本の急流へと再統合し、アキバと原発と21世紀日本のプラトーを駆け抜ける不可視の五十鈴ミルキーウェイとしてまばゆくキラめく精神潮流を生み出しつつある。(*2)

R.A.M.I.P.A.S.の標榜する「第4世代魔女」とは、「第1世代:古代シャーマニズム/アニミズム」「第2世代:キリスト教世界における対抗宗教」「第3世代:ルネサンスとしてのネオペイガン」に呼応するもので、その定義は本質的には来る「第5世代」の慧眼に委ねられるべきものだろう。彼女たち自身の言葉によれば、それは「Either / Or」ではなく「Both / And」のアイデンティティであり、そこでは少女時代に胸踊らせた「らみぱすらみぱするるるるる〜♪」(*3)が時代の霊智Gnosisにダイレクトアクセスするマントラとして鳴り響く。様々な時代にそれぞれの意匠を纏って噴出していた女性的霊智の泉を、時間的にも空間的にも外部にではなく現在という内部の森の中に再び見い出し、その精髄Elixcirを汲みだす自身の呪文と儀式を創造する。

再び彼女たち自身の言葉を引けば、それは「夢から醒める魔法」である。なにから醒めるのか? そこには重層的な「夢」を個別に指摘することができるが、例えばそれは視得ざる原発利権の暴力統治を基盤とした「戦後高度成長」とそこから垂れ流されてきた繁栄という幻覚、魔術的想像力、創造力にかけられた「中ニ病」(*4)という呪い、幕末開国以来継続され情報環境の爆発的進化によって窓穴を穿たれた言語的錯誤の檻、それらが東日本大震災によってメルトダウンした「痛ましい好機」を機敏にして逃さず、手製の海賊船(無登録/女の子仕様)でシンクロニシティの外海流に漕ぎ出し、ついには「あなたは孤独で無力である」「あなたの魔法は無効である」というFinal Nightmareを内破する企みであろう。 海賊旗には乳房と闇の谷、母なる野獣の鋭く尖った八重歯に支えられた神鏡の図案にルーン文字で"Awake, Despell, DIY"ないし"Kawaii is Numinous"というモットーが記されている筈だ。



2011年5月22日に東京・六本木Indigo(*5)にて開催された「魔女集会」- "Wiccpot"の様子は、Ustreamでの配信で多くの人が目撃しただろう。現場で行われた榴美たん書き下ろし儀式では、4方向に着席した参列者の一人一人の耳元に榴美たんが「想起せよ」から始まる4元素の即興詩を囁いた。それは勿論、R.A.M.I.P.A.S.公式サイトで公開されている式次第には載っていない、その時間その場所、その人だけの秘密の啓示なのだ。その官能的で催眠的なイメージ喚起の魔法を体験する幸運は、メルトダウンした「リアリティ」の風穴を通じて、全ての「あなた」に開かれている。

ぽろりもあるよ!

R.A.M.I.P.A.S. ブログ
http://ramipas.illumine.jp/

榴美たん@Twitter
http://twitter.com/#!/uneuneco

晶たん@Tumblr
http://diyreligioniscool.tumblr.com/

(*1)
その意味するところは一説によれば "Rumitaniac Akiranian Majo Interface and Protocol of Anarcho Spectacle" であるとされるが、定説はない

(*2)
http://twitter.com/#!/uneuneco/status/72550647702102016

(*3)
漫画及びテレビアニメ「ひみつのアッコちゃん」で、アッコちゃんが変身を「解く」時の呪文
http://ja.wikipedia.org/wiki/ひみつのアッコちゃん

(*4)
90年代初頭から311まで継続したこの閉塞状況とその内破を描ききった滝本竜彦「ムーの少年」も必読。



(*5)
http://indigo-staff.blogspot.com/
ここはネバダの巨大&壮絶アートフェスBurning Manの日本エージェントのたまり場でもあり、この偶然の必然においてもオカルティズムとアクティヴィズムのLost in translationは補完されている訳である。

PS.
ヒーラー榴美たんのセッション体験記はこのあとたぶんすぐ!
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2010年08月23日

Summer of Illumination 2010 ”セトの花嫁”


8月14日〜15日にかけて、瀬戸内海に浮かぶ某無人島にてキャンプ&パーティ&儀式。
オーガナイザーのVoidphrenia氏の突発的な思いつきからはじまったこのギャザリングはシンクロニシティの潮目を読みつつ大胆不敵に舵をとりながら、あれよあれよという間に「その瞬間」にフォーカスしていった。

Gnostic Summer Of LoveというVoid氏のインスピレーションをもとに、Summer Of Illuminationという呼称を導きだす。SOL(太陽/Latin)とSOI(汝/Greek)の対。率直で力強く重層的な解釈と無限の変奏が可能な標識記号として、今後永きに渡って響いていくであろう強い名前でありイデアが得られた。いまここのおれたちのシンクロ祭り、SOI 2010のはじまりだ。

渡船に機材一式を積み込んで目指すのは、某無人島。人の介入を拒むような荒々しい雰囲気のビーチだが、清掃&設営が進むにつれて次第に柔らかな居心地の良さに包まれていく。地鎮祭は、島の伝承にちなんだ祝詞の奏上と、去る6月に行った田開き儀式から連なるモチーフとして楽と白玉の奉納。我々の儀式でお馴染みの鐘と、ピレネー山麓で職人が手作りしているというシャンティチャイム、Sor.Vaphomettaのなんだかよくわからない鈴玉(としか表現しようのない、鈴のようになる銀の玉)が、静かな波音と夕日に溶けて、ひとつの静寂、NOW HEREを生成する。



あらためて乾杯し、チルチルに緩いビートとBBQを楽しみつつ、夜の儀式をセットアップ。
団の公式儀礼としては通算6回目となる今回の儀式。儀式のテーマや演出は毎回、連鎖するシンクロニシティを注視しながら直前まで物語と象徴構造を練り上げていくのだが、今回は去る2009年6月に伊豆大島で執り行った公式儀礼にして自身の結婚儀式をベースに拡張展開した、いわばバージョンアップ版をつくってみよう、という明確なイメージがあった。もともとの結婚式が当初、瀬戸内海、淡路島で執り行うことを想定されていたもので、その時点で「蛮儀・セトの花嫁」と題されいたものの、最終的に伊豆大島で執り行ったために、この秀逸な言語遊戯と重層的な象徴の響きを表現しきることがなかった。今回、晴れて「セトの花嫁」を執行するにあたって、儀式はほとんど原型をとどめないまでに拡張されたが、そこにはやはり通底するもの、すなわち荒野、星空、炎による野蛮にして聖なる結婚というイメージが貫かれている。インスピレーションとシンクロニシティによって次第に式次第が発見されていくにつれ、どうもおれはずっと同じ儀式を書き続けているようだ、という感もまた、強まる。

大島結婚式では中央に配置され求心力を持っていた炎が、今回は並列したAlter、神殿とともに3つの相、ドラマの3局面のひとつとして置かれた。それは依然太陽であるが、Alterを介して対置するヴェイルに包まれた神殿とその内奥の星の光と呼応し、相対化された位置づけとなっている。これはSummer Of Love、SOL(太陽)が、星、すなわちSOI(汝)へと昇華・変容していくドラマの場としての、必然的帰結であった。

Alterに置かれ4大元素を象徴するMagickal Weaponsは、ビリヤードキュー、杯、軍刀、ペンタクルであり、大島結婚式での拳銃はキューに、小刀は軍刀に、ドラムはペンタクルへと変更されている。これは運搬の都合もあってのことだが、大きくは儀式中盤から挿入されるジャンベ演奏を意識しての変更であった。DJとジャンベのインプロビゼーションによって高められていくInvocation of Chaosのクライマックスでは、圧倒的な存在感を持つドラム=地のWeapon、聖杯としての花嫁と対峙する強度を、火、風のWeaponにも必要とされた。視覚的にも意味作用的にもより大きな身振りによって空間をダイナミックなテンションへと吊り上げていくことを意図したが、その効果は満足のいくものとなった。

タープとヴェイルによって設えられたカアバ(神殿)には、4柱のGuardian Goddessesを順次Invokeした末にアマテラスへと変容した花嫁が、裸身に丸い鏡を保持して鎮座する。参列者は一人づつヴェイルをくぐり、不可視の太陽=秘密の星の神殿でパンとワインの聖餐を受けるが、この時、女神に包容された自分自身と対面する。荒野に打ち立てられた秘密の天幕で、酩酊と雑婚の幾何学の果てに、大きなI amと小さなI amの神聖結婚Hieros Gamosが理解される。この光景は参列者の深層に強烈に働きかけ、揺さぶるものとして入念に設計された。

Invocation of Chaosに続きカアバの参拝と聖餐が順次執り行われるなか、儀式はダンスフロアへとクロスフェードし、朝日が昇るまで、力尽きるまで、かがり火とダンスが継続された。それが一人一人それぞれの、強烈なNOW HERE感覚として体験されたことを願う。

今回挙式にあたり、MagickianはFra. TBSK、High PriestessはSor.Vaphometta、DeaconsはFra. LI及びFra. 春昴がそれぞれ務めた。彼らの献身なくしてこのNOW HEREの体験は得られなかった。深く感謝する。

以上、かなりの部分をはしょりながらも、それでも以前なら絶対に書かなかっただろう内容をこうして書いてみるのは、率直に時代的なDisclosure気分によるものだ。秘密は明かされている。常に新たな薪がくべられ、秘密の炎は永遠に燃えあがる。本当の秘密とは、あなた自身に内奥にある「それ」であり、その他一切の秘密の意匠はそれにアクセスするための装置に過ぎない。今年生まれたSummer Of Illuminationというこの比類のないギャザリングが、さらなる縁と宴を編み上げていくことを確信しながら、それに相応しい新たな「話法」の探求に一種のお気楽な使命感を感じつつ、

2010年8月、常に新しい都にて 
KAOTAOATOAK

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(後日談や写真など、適当にアップする、かも)
Voidphrenia氏のSOI 2010記事はこちら

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2010年04月25日

汝のカアバに書院を建てよ

岡山の熊山遺跡にいってきた。

以前鞍馬山を訪れた時と同様の小雨のなか、てけてけと遊歩道を登り山頂の熊山遺跡を目指す。

6425.jpg

http://www.sairosha.com/tabi/nazo/kumayama.htm

案内してくれたのは岡山でアイソレーションタンクを併設した心療内科HIKARI CLINICを営む遠迫先生。HIKARI CLINICのロゴデザインをやらせてもらったりしてなにかとオモシロを共有するよき間柄なのだが、氏から伺う熊山遺跡のシンクロニシティ体験はそれはもう面白くて。まー割愛するんだけど。

http://hikariclin.exblog.jp/


あーやっぱでも書けないわw
というわけでまーおすすめスポットなので近隣に寄られたら是非。で熊山遺跡にいかれることがあったら、お詣りの真言 「ざざすざざす なさたなた ざざす」を唱えてみてください。きっとご利益があると思います。もうおれBlogてのが何だったのかよくわかんなくなってきたよ。

http://bangi.tumblr.com/post/513417875/via
http://www.jimbunshoin.co.jp/mybooks/yosiind.htm


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2009年05月30日

からだの星座

ここしばらく、鍼に通っている。
すこぶる調子はいい。

要は経絡、情報神経系のターミナルに刺激を加えてシステム全体の再調整、時にハッキングを行うもの、というのがおれの現時点での鍼の理解だ。おれは鍼を打たれている時に、フィジカルな身体とはまた別レイヤーの、脳内に結像する神経映像としての身体を強く感じる。

西洋医学が発見してきた「神の機械」としての身体と、東洋医学が追求してきた「映像としての身体」に、微妙なズレがあるのは何故だろうか。おれの仮説は、チャクラ、経絡といった「映像としての身体」とは、原初のバクテリアから現在の霊長類まで連なる永い時間のなかでかつて体験した様々な身体の「残像」なのではないか、というものだ。

昆虫、は虫類、無脊椎動物、もしかしたら植物や鉱物までぼんやりと内包する「身体の残像」の担い手は、もちろんDNAだ。そして我々のタンパク質/炭素ハードウェアを「利己的な遺伝子」のヴィークル、その戦略的な一過性の表象として捉えれば、身体の「残像」は、過去の記憶のみならず未来の予感をも内包する、といえるだろう。

背骨の基底部に竜の生命力を格納し、膨張する脳神経系によって霊界=情報空間を拡大する人間の身体は、両生類のまどろみと天使の官能の間で振動する。そこには過去と未来のゆくたてが織り成す無数のひだ、紋、レイラインが緻密に刻まれていることだろう。経絡、チャクラ、スシュムナーといった様々な身体映像システムは、タンパク質/カーボンハードウェアとDNAの情報戦略地図に刻まれた情報単位(bit)を解読・更新するサイバネティックスとして位置づけられるのではないか。

ここまで書いたところで、妻がおもむろに服を脱ぎ落とし、恍惚とした表情で歩み寄ってきた。おれはしっぽりと濡れそぼる秘密のチャクラに向かって、マントラを吹き入れる。母音と子音の絶え間ない律動が、光の粒の大いなる流れとなって、彼女のガンジス、ナイルを氾濫させる。再び昇る、シリウス。

古代の東西の神秘家たちは、ヨガ的、シャーマン的、魔術的な心身の行により、身体と霊性のサイバネティクスを拡張しながら、個体の身体を超え出た地平に「未来の身体」を幻視した。それは時に神やデーモン、天使、大いなるもの、アダム・カドモンとして時空の外殻へ投影され、それへの回帰、または合一の熱望へとタンパク質/カーボンハードウェアを駆り立てるDNAの進化戦略的映像だ。その映像は芸術と神学、宗教を生み出し、人類の群生形態を社会組織化してきた一方、ヨガやMAGICK、そしてSCIENCEといったテクネーの拡張を推し進め、ついに近現代の心理学、脳神経学、量子物理学、電子メディアの到達による位相転移をもたらそうとしている。

行がもたらす身体変容による霊界への参入、拡張という「上昇」のベクトルから、知覚そのもの、映像そのもののデザインから身体生理・政治を変容・拡張せしめる「下降」のベクトルへの、霊性のポリティクスの反転。かつてみたものの全て、かつてみなかったものの全てを神経系に直接点描する電子メディアテクノロジーによって、生命にとって、DNAにとっての「経験」、そしてその触媒としての「時間」が意味するもの、担うものが、劇的に再解釈、再編成される。タイムマシン、アセンション、スパイラルゼロ点、なんと呼ぼうとそのオメガポイントは目前に予感され、芳醇な香薫を漂わせているが、その到達はまた石油燃料枯渇や環境汚染といった物理的エントロピー飽和速度とのチキンレースにかかってもいる。

なんてことを考えながら、治療院のベッド上で身体中に打ち込まれる鍼が描き出す自身の身体映像にアストラルトリップしていると、なるほど経絡というのは身体に浮かび上がる星座のようにも感得される。特に、お気に入りの火鍼(針先を火で焼いてチクジュ!とやるやつ)は、ハイファイに色鮮やかな花火を星座を構成するひとつひとつの星に狙いを定めて打ち込んでくような、まこと映像的な美しさを我が身体インターフェイスに描画するのである。おれのなかのトカゲや魚や鳥や花が、この炸裂する星座の光を仰ぎ見ながらびっくりしたりハッとなにかに気付いたりなにとはなしになにとはない方向へのそりと移動したりしているかと思うと、なかなか愉快な気分である。


星と花火と意識の寓話


ちょっといい感じに仕上がりつつあるLuciferian最新作



インタビュー 笠井叡
http://www.pan-kyoto.com/data/interview/Vol-40_i.html

立体音響・ホロフォニクス「花火」
http://www.youtube.com/watch?v=bAQVx8DqHNA&fmt=18


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2009年05月18日

My life with spirit

湯煙夫妻のお誘いでハーレーとイリュージョンのイベントにいってきた。
http://www.harley-davidson.co.jp/event/bluesky/2009bsh.html?id=4888

いまいちキレのない男たちのどうでもいい前戯ショーに続いて姫君登場、さすがプリンセステンコーは子供だか大人だかわからない体躯と動きでMagical feelingを盛り上げる。
ネタ的には「小営業」的なパッケージであったが、姫のまさに魔術的な存在感とパフォーマスに大満足。姫に憧れて未来の魔法少女へと人生の舵を切るちびっこは一定数いるだろう。




かくいうおれも、実は6歳から10歳くらいまで、いわゆる舞台魔術Stage magicを習っていた。最初のお師匠はパピヨン大西氏。うわ、HPができてる!師匠変わってねー!
http://www.papiyon-ohnishi.com/

名古屋に住んでいた頃、毎週木曜日の師のレッスンに足繁く通い、ちょっとした舞台の助手も務めた。後に徳島に移住した後も地元サークルに所属し、日本奇術連盟主催(?)の発表会で何度か舞台を体験した。そのとき、おれはおそらく初代、そして2代目引田天功両氏とお会いしたことがある。

初代はおぼろな記憶だが、2代目すなわち未来のプリンセステンコー女史とは確かにジュースで乾杯をした。他にはマギー史郎師匠、ゼンジー北京師匠、松旭斎すみえ師匠とも、直々にお目にかかり「頑張りなさいよ」とお声をかけていただいた。奇術の世界は狭く、大きな大会ではそういったビッグネームが割と気楽に応援にかけつけていたのだ。

当時のおれのスーパースターであった引田天功、そしていつか自分も入門したいと真剣に考えていた松旭斎一門と、直に出会い同じ舞台に飛び乗ったおれの子供時代は、思えば幸福、幸運であった。誰であろうが「とにかく会いにいく」というおれの基本方針は、この頃に育まれたのだろう。おれにとって、魔法使いは雲の上の存在ではなく、舞台と楽屋、虚構と現実の危うい境界線をともに闊歩する引率者、同伴者であった。

おれが奇術を習いたい、将来はプロの奇術師になりたい、と堅く心に誓ったきっかけは、6歳だか5歳の誕生日に母親が演じてみせた「離れる親指」であった。衝撃が走った。世界はそれまでの世界ではなくなった。真実はどこにもなく、全ては許されている、故に、汝の意志を為せ、それこそ法の一切とならん。そんな魔術的啓示が、その瞬間におれの幼形の背骨をサハスハーラからクンダリーニまで、ケテルからマルクトまで突き通したのだ。全ては母のせいなのだ。母方はそういうことをしがちな家系なのだ。

それ以降、おれの主な関心ごとは奇術であり、母親が探してくれたパピヨン大西師匠のスクールに毎週通った。名古屋市の松坂屋本店カルチャースペース、あるいは名古屋国際ホテルの会議室に、6才から8才くらいまで一人で通った。シルクのハンカチ、リング、紐をおあつらえ向きのトランクケースに詰めて。その時すでに、おれはおれを子供だとは思っていなかった。これからどれほどの年月を重ねるのかは検討もつかなかったが、確かにおれはその大きな、既に決定された計画の、必要なプロセスを一歩づつ歩んでいるという自覚のもと、自らの小さな歩幅にギラつくフラストレーションを感じていた。

徳島に移住してから所属したサークルでは、大掛かりな舞台装置が必要な舞台奇術は遠ざかり、トランプや手技によるテーブルマジックが主となり、次第に熱意も失せていった。最終的にサークルの会合に顔をださなくなった時、後のGORUGOTHとともに「悪魔の音楽」ヘヴィメタルとハードコアパンクに出会った。

Magicにはじまり、何かを勘違いしてMagickへと巻き込まれていくおれの人生は、それでもやはり、なにか強く太い一本の紐に導かれているように思う。少なくとも、矛盾はないようだ。

GORUGOTHから某大なCDRとともにある秘密の企てが記された手紙を受け取った矢先、おれはハーレーダビッドソンの群れのなかで引田天功と再会した。なにかが再び、動き始めているようだ。次なるステップとして、おそらくおれはハーレーに乗るべきなのだろう。

これがいい!
http://www.harley-davidson.co.jp/lineup/vrsc/vrscaw.html

そんでふたたびStage Magicに回帰したりして。

話は前後するが姫のステージが終わって早々に、坂田金時、いわゆる金太郎が眼病を癒したという婆子温泉へ。熱めの湯に沈むと、正面にはしめ縄で区切られた聖域に巨岩。夢と判別がつかない時間をいとも容易く生成する装置。誰もいない湯屋で、おれが全裸でなにを行い誰と語らったかは、もちろん秘密である。

友よ、君はいつでも、おれが最も必要としているものをもたらす。
ほんとにありがとう。




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2009年05月14日

仮説:SEX MAGIC

なんかInter FMで"SEX MAGIC!"て連呼されてる気がして、探してみたらやっぱり流行ってた。

CIARA feat. Justin Timberlake - Love Sex Magic


歌詞検索をすると、曲名はいくつかの表記がある。
LOVE SEX MAGIC
とか
LOVE, SEX AND MAGIC
とか。

しかし何度聴いても

LOVE AND SEX MAGIC

といっている。LOVEの後ろに明らかにANDと聴こえるのだから、アーティストの意図としてはこれが正しいはず。そんな気分でプロモを眺めると、様々なポーズ、シルエットでアルファベットのMと同時に、Kが繰り返し強調されている。Kのほうなのよ!という強い主張が感じられる。注意深く分析すれば他にもみつかるかもしれない。

WikiでCiaraのプロフィールを見る。
「アメリカ合衆国テキサス州オースティン生まれ」
「父親がアメリカ陸軍に勤務していた関係からドイツ、ニューヨーク、カリフォルニア州、アリゾナ州、ネバダ州で育った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/Ciara

絶対OTOwww 父親がThelemiteで小さい頃からSex magicという言葉、概念に馴染んでいたのではないか。そしてそれが遂にポップな表現として成立したのではないか。まさにAEON OF CHILD。

そんな仮説。

まーとにかく、SEX MAGICはすでにCOOLなんですよ、奥さん!

[蜂関係]
WAXWEB --David Blair
http://www2.iath.virginia.edu/wax/japaneseStart.html
なぜか執拗に日本語をサポートしているブレア先生。
制作中の最新作はThe Telepathic Motion Picture of "THE LOST TRIBES"だそうですよ奥さん!この人は映像よりもタイトルがカッコいい。もっとタイトルを!

まーなんつーか、昔インターネットてのはこういうもの、だったよね。
今はサイバーエージェントとかいってこんなだけど。

男の子牧場
http://otoboku.jp/






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2009年02月02日

儀式の時間

儀式(Ceremony, Ritual)とは、


1.
自己の来歴と未来(小さなI amの時間)と、より大きな自己(家族、共同体、国歌、惑星、恒星系、宇宙)のそれ(大きなI amの時間)とを相似象として重ねあわせ、

2.
それらをNOW HEREを接点として結びつける行為

といえる。


1.を準備するものは「時間」の象徴化と反復、すなわち追想(Remember-ing)である。
結婚式において、新郎新婦はイザナギ/イザナミ、アダム/エバを追想し、その行為を象徴化して反復する。司祭はその象徴化が正確な手続きに従っていることを保証し、参列者はその反復行為を目撃する証人となる。

儀式における追想とは、過去にのみ向けられるものではない。象徴化によって過去と未来は等しく神話的時空間に投げ込まれ、一種のアカシックレコードとして再び読み取られる。過去の追想によって儀式主体の正統性および権利、未来の追想によって儀式主体の意志とそれがもたらす結果が確認される。

儀式は反復されることによって象徴の連なりを補強・拡充する。
儀式内の反復行為によって新郎新婦はイザナギ/イザナミを追想し、儀式自体の反復によってイザナギ/イザナミが新郎新婦を追想する、相互のRemember-ingの関係が確立される。


2.は、全感覚を包囲する儀式空間演出によって生み出される集中、緊張、トランス意識によって達成される。静粛と集中(静けさのなかで全参列者の意識が祭壇前の小さな指輪のやりとりに向けられる)マントラ(司祭による祭文の朗唱、新郎新婦の宣誓、参列者の唱和)、炎の凝視(キャンドルサービス)、音響効果(静寂によって極限までコントラストを高められた鐘の一打、扉が開き新郎新婦が入場すると同時に鳴り響くファンファーレやマライア・キャリー)など。

これらの芸術的効果は、感受者をある時間停止状態、一点のNOW HEREへと投げ入れる目的故に、文学的というより音楽的、演劇的というより舞踏的である。一点のNOW HEREとは、過去、未来として象徴化/情報化(テクスト化)された時間との鮮やかなコントラストによって浮かび上がる、象徴化され得ぬ、記憶され得ぬ、解釈され得ぬ、知り得ぬ時間、起こり得ぬ、あるいは起こり続ける場NOWHERE、すなわち永遠である。その一点を記憶と解釈の連鎖から断ち切るために、儀式は前後の追儺(祓い、Banishing)を必要とする。


1と2によって、生身の生が宇宙全体と結びつけられる時、そこで行われる言語的/非言語的宣誓は全宇宙の無限に響き渡る。また、儀式によって音楽化、舞踏化された象徴言語は強度のNOW HERE感覚によって開かれた窓から無意識へと流入し、個体の神経言語体系に作用する。ユングが集合無意識と呼んだもの、アカシックレコードと呼び慣わされる場に、大小問わず一切の印象は沈殿、堆積し、次世代のアーキタイプをデザインする。それ故に、儀式の遂行には前もって遂行者、参列者の資格の承認、純化のプロセスが要求される。


さて、魔術とはなにか。魔術師が行い得ること/行い得ぬこととはなにか。
また、多神教、一神教、そして魔術Magickはいかなる関係で結びついているか。
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2009年01月21日

シューベルト「魔王」

Invocation、召喚という訳語があてられる魔術技法は、意図的・一時的に多重人格状態をつくりだし、内なる異者=神の口によって予言や魔術的誓言を行う、西洋版神降ろしの技術。ちなみに術者の「体内」に降ろすのがInvocation,「対外」に投射するのがEvocation。この術語の差異において天使や悪魔といった上下関係は関係ない。悪魔をInvocationするのは初学者にはお奨めできない、なぜなら気持ち悪いからさ!というだけ。技術的には、悪魔をInvokeすることも神をEvokeすることも可能だし、実際そういうケースはままある。

早い話が、優れた役者が深い集中によって役に没頭、役そのものに「なっている」状態のことであり、実際、フォーマルな魔術儀式におけるInvocationのパートにも台本がある。その場合術者は台本の台詞を丸暗記し、次第に熱狂を高めるよう巧みにデザインされた台詞回しによって自我から神(悪魔)へと意識の諧調を駆け昇る。

役者の訓練でも、役と状況設定のみを与えられ即興で劇空間を進行するものがあるが、Invocationに続いてある種の託宣、お告げを得るDivinationにおいても、それと全く同じことが術者の精神において生起しているのだ。

いわゆる霊媒、トランス型のシャーマン、依童の憑依と西洋魔術師のInvocationの差異は、それが行われる場の背景となる文化的・社会的コンテクストの違いでしかない。よく言われるような「霊媒、シャーマンは完全に自我を投げ出し憑依する神霊に全権を委ねるが、MagickianはInvocationの只中でも特殊な明晰のなかに冷徹な自我のまなざしを保ち、状況のコントロールを決して失わない/失ってはならない」というのは、諸説あろうが個人的には的を得ないように思う。

完全にトランスするタイプのシャーマンも熟達者なら必ずその「まなざし」と安全弁のコントロールを保っているだろうし、またMagickianがいかに壮大な台詞を絶叫しようとも、冷めたまなざしが常に次の台詞を記憶のプロンプターのなかに追うだけなら、それはInvocationとはほど遠い状態となる。恐山のイタコは陶酔のさなかに顧客のテンションと来月の見込み収支を計算し、Magickianの自我は演技の強度によって意識の白熱状態White Light / White Heatへと消失していく。

大役に長期的に没頭し精神に変調をきたす役者もいるように、Magickianの精神もまたInvocationに伴う手順と戒めを守らない場合は危機に晒される。人格を分裂させたり対話したりまたくっつけたりするのだから、危なっかしいことこの上ない。しかし、バレエダンサーや熟練ヨギがみせる驚異的なストレッチと同様、生兵法で無茶をせず、体系的に習熟していけば驚異のサイケデリックアクロバットもまた可能となる。生命は本質的に柔らかい。

関節可動域の広さと柔軟な筋肉が心身の壮健を高いレベルに維持するために有用であるのと同様、意識、自我、人格の弾力と軽やかな相転移のスキルは、偽装され鬱屈した終末願望、硬直した理想への執着とその副作用である救いのない絶望など現代の精神的危機に対する有効な予防医学となる。毒と薬はさじ加減、バカとハサミは使いよう、最大の脅威は恐怖心そのもの、なのだ。

というわけで、ゲーテ/シューベルトの「魔王」。
この曲は語り部、父、子、魔王それぞれの意識のゆくたてが音楽的高みにおいて美しく織り重なっていく至高のマスターピースであり、当然、MagickianにとってInvocation習熟にうってつけのエチュードとなる。

Jessye Norman - A Portrait - Erlkonig (Schubert)

キャラで押すタイプ。アジア・アフリカ的なシャーマニズムの芳香が濃密にたちこめる。ゲーテmeetsモダンブードゥー。

Anne Sofie von Otte - Erlkönig (Schubert)

Magick的には本家本元、ノルディック〜アングロサクソンの身体における模範的Invocation。
至高のテクノロジーの果ての果てから天界へと飛翔する冷徹な熱狂、肉と血の陶酔、そしてロゴス。このDNAプログラムと食物連鎖環境が人類をして星の世界へ到達せしめる。いまここにあるScience、そしてMagickの伝統。

Dietrich Fischer-Dieskau - Erlkönig (Schubert)

確かな技術によって抑制された原質的情念の陰影。「芸」のベクトルに歩を進めきった感じ。安心して観ていられる。ある程度大きな子供が泣くことはないが、子供が泣かない程度に抑え隠された、紳士淑女の密やかInvocation。育ちの良さ、あるいは生に対する不誠実さと不思議な余裕。憎めない男。最後の一礼にもまたヨーロッパ的ないやらしさが溢れている。

Dudley Moore- Erlkönig

真面目にやれ!けどちょっと凄い。錯乱と幻覚のメディア美学。テープレコーダー時代のEditing感覚。ある意味Chaos Magick的。

姿月あさと Erlkönig  魔王

最も演劇的、日本的、そしてアジア的な情念の語り。ぐんぐん伸びていく、そして同時におかしくなっていく演劇学校の優等生を見守るような、日本的芝居の快楽。過剰な意訳、わがままで熱い包容のような、たちの悪い解釈。これが日本をして世紀の経済大国へとのし上げた。

おまけ:ジュリー

まーつまりこういうこと。ジュリーの魔術的ヤバさは志村けんとのコントをみても納得がいく。田代はMagick向きではなかった、それだけ。


http://ja.wikipedia.org/wiki/近代西洋儀式魔術
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレイスター・クロウリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/東方聖堂騎士団
http://ja.wikipedia.org/wiki/ケイオスマジック

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2008年05月04日

LUAN DUN

夜はねーちゃん一押しのナイトクラブFabricにいく。
とにかく馬鹿でかく大小5フロアくらいで、どのフロアも音響&照明は最高。
さまざまなテクノをお届けしています、としか表現できないような、なんか聴いたことのないミックス。あとひらすらDealerと間違えられる。なんかそわそわした風に近づいてくる連中がPILLS?とか聞いてくる。やーdealerじゃなくて、ほんとソーリー。でも既にきまってんじゃねーかていう感じの超可愛いねーちゃんが「MDMA?!」と目をみつめて叫んでくれるのは、たいそう素敵な気分だった。何度も聞き直すと、耳元でも叫んでくれる。サンキュー&ソーリー。

晴れて自由の身となったおれは早朝からテンプルチャーチを目指す。
英国最古のテンプル騎士団史跡。さすが地下鉄TEMPLE駅を降りたとこから「ここは団の領有地」という主張に溢れている。

しかもなかなかたどり着けない。マップを何度みても、この向こう側がそうなのは間違いないはずなのに、いけないのだ。一度これかな?と間違えて別の教会で悦に入っていたおれは、過去のStele of Misunderstandingの件を思い出し、危うく幻影を振り払う。

大通りに面した正面ゲートが閉まっていたせいだが、これ普通の旅行者には絶対たどり着けないよ。まぁそういう意図なんだろうけど。ようやくインナーテンプル、そしてテンプルチャーチにたどり着くと、そこはさすが、さすがとしかいいようのない「聖地」。表通りの喧噪とは全く別次元のリアリティが、行き届いた美と静寂によって保護・運営されている。美しい。ちょっとしたイニシエーション体験。やっぱ意志(意地)だよ最後はね。

ロンドンイニシエーションを無事乗り越えたと思ったら、後は面白いくらいにスムース。なんか感覚の奥深いなにかが開いたように、小径が「わかる」のだ。すいすい歩いて前回たどり着けなかった本屋に。絶対なにも買わないぞと決意していたのに、これまた本屋の「美しさ」に感動止まれず、買い込んでしまう。知ってはいたが入手は諦めていた本が幾つもある。興奮してお店のおねえさんに「あの本はないか、みたことあるか」と質問攻めするも、「4:30になったら別のスタッフが来るから彼に聞いてみて。彼なら知ってるはず」となにかを含んだジェントルスマイル。とりあえずKAOS TAROTなるタロットデッキを購入し、再び旅立つ。

気がつかなかったが、コヴェントガーデンのマーケットのすぐ近くだった。
珍しく快晴のロンドンで、すべてが幸福なマーケットプレイス。
ああなるほど、やはりイニシエーションだったのだ。
サンキュー。

ふたたび本屋へ。紹介されたスタッフは聴けばなんでも応えてくれる。面白くてずっと話していると、客のインド人青年も加わる。でロンドンはいまどうなんよ。やーまーこんな感じだねーでもまー一部ではごにょごにょ、とそのごにょごにょの部分を聞き逃さないおれが得意の深入りステップで踏み込むと、よし、これから一緒にいこうぜ、という運びに。That's what I'm talking about.

道すがら、同じ年齢であることが判明。It's a kind of generationだよな、うんまさにそうねと話ながら、さらに紹介された人物と歓喜のごにょごにょ。

すっかり打ち解けてじゃパブで一杯やろうぜ、とさらなるストーリーを交換。
おいあれみにいこうぜ連れてってやるよ。なになに。あれ。メソニックテンプル。ははーあれが。そしてほらこっちがFree masonly armていうパブ。パブなんだwww この辺り一帯がメーソンアベニューなんだよ。まじでwww 知ってる?英国の警察官の90%がごにょごにょ うへーwww

マニアックな連中ともいろいろ出会ってきたけどさ、君のケースは初めてだよ。そりゃそうさ。へーそりゃまたいったいどういうわけで?ごにょごにょ。

話が尽きないというのは本当にこのこと。言葉の壁が消え去っていく。

よし、明日はおれが本当のLONDON/LUAN DUNを巡る旅に案内してやる。全行程歩きだけどなwww もうね。なんかね。ほんとサンキュー。
It's a kind of generation. sometimes, this kind of thing happens.
Yes, this is the NETWORK.

おれの旅がはじまった。

続く。
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2008年04月20日

アンドロイド・エモーションとテクノ・ナショナリズム

Void氏、Kiyo氏と爆音でPerfumeを聴きながら話した。
その場でやりとりされた様々なアイデアの断片を公開備忘録として記す。

Perfume-ポリリズム / 2008


Perfume-コンピューターシティ / 2007


クロニックラブ-中谷美紀 / 1999


Ballet Mechanique-坂本龍一 / 1986



「アンドロイド・テクノの誕生」
・マドンナは歯ぎしりしている
・教授はにやりとしている
・リン・ミンメイはソロだったが「らき☆すた」はグループ、もっといえば群衆である。つまり、Perfumeは3人でもまだ少ない。将来登場するアンドロイドテクノユニットは50体〜100体くらいでワンセットになり、シリアルナンバーで識別される。

「聖地の誕生」
・鷲宮神社は真の意味で「聖地」となった。
・今後鷲宮は商業主義的な開発からはむしろ保護されるだろう。その聖地なるがゆえに。
・レイブカルチャーは既存の聖地をトレースするだけで、新たな聖地を生み出せなかった。レイブカルチャーは聖地へのサブジェクト(従属)を超克できず、らき☆すたは聖地をプロジェクト(投企)してしまった。

「サブジェクトからプロジェクトへ」ヴィレム・フルッサー
http://www.amazon.co.jp/dp/4130100769

「日本の女神とテクノ・ナショナリズム」
・「ロリコン」は「萌え」へと昇華し、承認された
・「こどもらしさ」と「聖性」への無意識の衝動は、過去から未来へと貫通するDNAプログラムであり、それを現在最も猛烈に推進しているたんぱく質ハードウェアが日本人の身体である。またプログラムはウィルス的な伝播戦略を持つ。
・初音ミク、Perfumeが我々をしてアストラル存在を承認させた。

・「人間になれないアンドロイドの悲哀」ではすでになく、「アンドロイドになれない人間の悲哀」がリアルな情感としてポエジーの源泉となっている。


完璧な計算でつくられた楽園で
ひとつだけ 嘘じゃない 愛してる

記憶と記憶のあいだ辿って
誰もみたことのない場所へ
夢のなかで描いていた場所へ
ありふれたスピード超えて

もうすぐ変わるよ 世界が
もうすぐ僕らのなにかが 変わるよ

(Perfume-コンピューターシティ(作詞:中田ヤスタカ)より抜粋)

・Perfumeはつまりアンドロイド・サマー・オブ・ラブの到来を告げている

・今勃興しつつあるテクノナショナリズムは、萌えあがる少女神ヒミコをサイバースペースに召喚するだろう。彼女は「聖母」として皇室と神話的血縁関係を持ち、非時間的な母権が承認される。天皇家は情報化・アストラル化され、彼方の王権が復活する。

・そのようなテクノ・シャーマニック・ナショナリズム(TSN)によってトランスする日本(TSN)に、現在地球上のいかなる国家も対抗できない。勿論、様々な勢力がこの芽を摘もうとしたり、また同様のテクノロジーによってパイの取り合いをが繰り広げられるだろう。

・人類より一足お先にアセンションしてしまった日本は、しかしバチカンやイスラム勢力とは対立しない。いずれWHO憲章やバチカンの声明に「情報神性」に対する緩やかな承認が追加され、人類はこの新しい童神を初孫のように愛で、保護するだろう。

・いま、日本人は自身をアストラルでユニバーサルな「わらべ」としてプロジェクトし始めている。それはナショナリズムとユニバーサルデザインの境界を危うく振動しながら、ある段階で歴史・記憶・時間に関する新たなテクネーを実装する。


・再話される日本神話は、「核」によってバージョンアップされている。
つまり、はじまりが核であり、たんぱく質ではなく電子(または素粒子)によって感じ、記憶する民族の誕生。

ダリ「原子分解するマリア」

W.ギブソン「モナリザ・オーヴァードライヴ」

「解体草子 核ヤヒメ」






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2007年11月11日

シュタイナーについて

子供が生まれたらシュタイナー教育を受けさせたい。

別にシュタイナーの方法論に全幅の信頼や信仰を寄せているからではない。むしろシュタイナーの教育メソッドに日本人の身体、霊性をあてはめていくことが不可能であることこそが、シュタイナー思想の必然的な帰結であると考えてもいる。

おれは小中高と公立学校に通ったが、ただの一人も、魅力的な教師に出会わなかった。小学校低学年時代の担任は、斜視が激しい中年女性教師だった。転校初日、おれは大人も子供も早口で話す方言がまったく理解できないで困惑していた。彼女はおれにぐっと顔を近づけ、おれが硬直している訳をなんとか聞き出そうとした。が、目はおれをみていない。そして早口の方言。それもかなりディープな方言だ。勿論、おれは号泣。「恐怖」や「不満」ではない、「謎」からくる号泣だ。この原体験が、おれの神秘趣味の源なのだろう。

思い返すに、あれは敵意だ。おれを泣かそうと、わざとそうしたのだ。おれが彼女の立場なら、まず聞き慣れない方言が困惑の原因であることは容易に察することができた筈だ。そして、自分が生まれてから一度も地元を出たことがなかったとしても、もっと平易な、標準的な日本語に近づけて話す努力をした筈だ。(彼女は国語教師だった)

しかし彼女はそうしなかった。あくまで、脅迫的に、土地の言葉で10才にも満たないよそ者の子供をやりこめたのだった。至近距離で理解できない言葉を威圧的になげかける斜視の中年女。その時、彼女自身、自らの斜視に武器としての官能性をほのかに感じ取っていたかもしれない。おれはそこに田舎、それは地方都市とかいうことではなく、Universalの反意語としての「田舎」の闇をみた。あれは暖かさとか素朴さとかいうものではない。闇だ。

百歩譲って、彼女がその素朴さ故に考えが至らなかったのだと好意的に考えてみても、そのような愚鈍な人間を教育の現場に投入するに至った制度的な問題が指摘されるべきだろう。大人たちはいったい、なにをしていたのか。

その後、彼女は偏執的なまでの宿題を課し、それがPTAでも時々問題となった。次第に地元共同体からもある種の変人として疎まれはじめた彼女は、過剰な宿題に真っ先に抗議したうちの母親に「いまではみんなが私を疎む。こうして話をきいてくれるのはあなただけだ」とこぼすまでになった。おれに憐憫の情は涌かなかった。彼女のなかで、なにか気づきや反省、成長があったのかも知れない。しかし、おれが直感的に感じ取ったのは、強きにへつらい弱きを挫いてきた田舎女が、自分がまさに弱き者の立場になった時に、かつて敵視していた「よそ者」にすがる、まことご都合主義的な悲喜劇だった。

そんな彼女とも、時にはともに笑ったり、クラス一丸となって運動会に取り組んだりした。大人となった今では、彼女が幸せな人生を歩んでいることを心から願う。しかし、彼女は果たして教師だったか?と考えると、それは否だ、と断言できる。おれが彼女から学んだこと、それは癇癪と意固地さ、狭い土地で育まれる狭い了見、近視眼的で理念なきポリティクス、そのようなものの塊に、時として人はなれるのだという心暗くなる現実だった。そんなものを身をもって提示することが、果たして教師の仕事だろうか。

まぁいい。中学高校時代には、特に印象に残っている教師はいない。みんなサラリーマンよりたちの悪い、田舎公務員だった。ただ一人、その後教職を辞されてから県立図書館長に就任されたという社会の先生は、進路希望調査に「某大社会学部」と記入したおれに話しかけ、ニューアカってなんだ、現象学ってなんだ、とかのいうおれの混沌とした質問に真面目に答えてくれた。高価な現象学選集をまるごと貸してくれた。読まなかったが、感謝している。

あの人は、教師というよりも、おれの「やってられるか」な気分を「おれもそうだけど、まぁ立場あるからな」とにやりと笑って受けかえしてくれた最初の「おとな」として印象に残っている。おれが切り盛りしていたライブハウスに、説教ではなく酒を飲みにきてくれたのも彼だけだった。年齢や立場を超えた微妙な仲間意識を共有できたこと、そういう「おとな」のありかたもあるんだな、と知らしめてくれたという意義は大きいが、果たして教師の職分とはそういうものだろうか?当然それも含まれるが、核心はもっと別のところにあるはずだ。もっとこう、教え導き、規範を示す、凛とした美しさ、が。

その他の教師はまったくとるに足らない。ある生活指導担当の教頭だかなんだかは、休学届けを提出した直後のおれを校門付近ではがいじめにし、にやにや笑って「逮捕じゃー」と宣った。おれの伸びすぎた天然パーマが「罪状」だったのだろう。すでに職につきタウン誌に原稿を書いて社会と関わっていたおれは、なんかこう、ただただ、哀しくなった。そして、おれが今しがた休学届けを提出してきたこと、つまり校則とかそういうものとは既に関係がない立場にあること、を説明すると、彼は「なんだ、そうか。ま、元気でな」とつまらなそうに立ち去った。彼の「生活指導」や「逮捕」が、どんな理念とも関係ない権力ゲームでしかないことを、あれほど悪びれずあっさりと認めたおとなは彼がはじめてだった。ていうか、なんでそういうのしかいないのよTKSM県。ちゃんとしろ。

一応、おれも子供時代には「熱中時代」での水谷豊の熱演に心弾ませた世代だ。教師に対してあらかじめ偏見があったとは思わない。むしろ、ハウス家庭劇場のアン・シャーリーが黒板でギルバートを打ちのめしたりその後教師になったり、そういうった事柄がおれにとっての「学校」だった。シュタイナーの教育論にも、その香りが感じられる。

しかし、だ。おれが目にしてきた現実は全く違う。そして現在の日本の教育現場にまつわる状況も、笑うしかないくらい、違う。つまり、嘘がなんの反省も解決もないまま、嘘として放置されているのだ。本音と建前?理想と現実?これほどまでに地獄的で、致命的な乖離を、笑ってやりすごすことは、叡智などではない。頓知ですらない。白痴だ。

まぁその白痴性に気づいている人たちが増えているのだろう、オルタナティブな教育論に対する関心は高まり続け、様々な試みもなされている。シュタイナー学校もまた、そんな文脈で熱く注目されているようだ。

おれはシュタイナー教育を受けさせたいというよりは、「あれ以外」であればどこでもよくて、様々な選択枝のなかでも割と趣味が近いから、シュタイナーなのだ。
もっといえば、志高くシュタイナー教育に身を捧げる若き新米女性教師に、進路指導だの遅刻が直らないだので呼び出され、議論することこそが、おれの未来の愉しみだ。こどもの名前、親の言動、すべてがなにか不穏な暗号を孕んでいるいけない親御さんとして、ピュアピュアなシュタイナー学校女教師の人生に登場したい。担任が男だったら、まぁ知らん。よろしく頼む。

しかし、一抹の不安もまた残る。
本当に、日本人にシュタイナー教育の実践が可能かどうか。
一部の才能はいるとしても、現場に充分な度量をもった教員が集まるだろうか?育成され得るだろうか?

本来、ニーチェと共振しつつ霊的キリスト、アーリマンとルシファー、善と悪と自由とヒエラルキアが複雑な結晶体を構成するシュタイナーの思想は、日本人にとって最も縁遠い世界観の筈だ。ましてや、その「教育論」となると、日本人がイメージする「教育」とは全く異質ななにかである筈なのだ。

自然に囲まれて色彩豊かに、そういう表層をなぞるだけでも充分に意義のあることだとは思うが、突き詰めて考えていけば、それは危険な掛けか妥協の泥沼のどちらかにしかなり得ない。当然おれは「危険な掛け」のほうにひゃっほうとばかりに我が子を投入するのだが、「危険な掛け」の匂いすら感じさせない、去勢された役所のようなシュタイナー学校なら、むしろ日本的なグダグダ感のなかでさらにタチの悪い問題に直面しそうな気がする。

つまり、こう、なんていうか、今の若い親達、母たちの直感的な危機意識と、その反応は、明晰だと思うし、希望も持っている。が、マクロビオティック、ホメオパシー、自然育児、シュタイナー、といった、現代の「オルタナティブ」が、ある種の女性的な感性によって「どうにか」なっていく感じ、というか、奥歯になんか挟まったような言い方にしかならないのだが、、、 んー。つまりさ。ダメヒッピー。それはダメ。みたいな。

マクロビオティックつったら、あれ完全に神秘思想だよ。居合術みたいな「道」だよ。本来は。
ホメオパシーつったらさ、からだにやさしい、とかじゃなくて、量子はいつも揺らいでいて、粒だったり波だったりする、そんな世界観だよ。
シュタイナーつったら、アーリマンとルシファーの霊的相互作用の直中で超感覚的認識の啓明へ、神の手を借りない人間の自由を追求する、霊的進化論だよ。
みんな、わかってんの? いや、わかってなくてもいいんだけど。女の人はそれでいい。そういうややこしいことは、父親が考えるべきことだ。

そういうハードコアをハードコアとして受け入れることが、日本人は一番苦手な気がする。あらゆるハードコアを「なんかいいもの」に変換してしまう柔軟さは美点だし救いもまたそこにあるとも思うが、バランスを崩せば闇の沼だ。グダグダの沼地を生傷をつくりながら踏破してきたおれは、「なんかよきもの」が「闇の沼」にいとも簡単に変容する「日本性」をリアルに感じている。シュタイナー教育。結構!しかしだ、親がセレマイトだったときに慌てふためいて泣き出すような女教師、ならまだマシだが、「なんですかそれ」みたいなことぬかすシュタイナー教育者など、校門前で待ち構える生活指導教員と大差ない。百害あって一利なしだ。

まぁ、我が子とともに、確かめてみたいと思う。
ころりん村でもいいんだけど、んー考え中。つか子供生まれてないし。できてもないし。


「もし人間が自分の理想世界の内部に充足を見いだすことが出来ず、自分の理想の世界のために自然の手助けが必要だとしたら、なんとその人間は憐れむべき存在であろうか。まるで自然に手を引かれていなければ独り歩きができないようなものである。そうだとしたら、いったいどこにわれわれの神聖なる自由があるというのだ。われわれのつくるものを自然が日々、破壊してしまったとしても、いっこうに構いはしない。われわれはあらたに創造する喜びをもつことができるであろう。」

シュタイナー自伝より。「自然」を「神」に置き換えて読め、とは高橋巌氏。

おれはシュタイナーの次の言葉に大変、信頼を置いている。
ある種の人は意外に思うかもしれないが、おれは結構なシュタイナー派なのだ。

「私は、瞑想によって世界との正しい関係をつかむために、世界は謎に充ちている、という言葉を心の中に繰り返して生かし続けるようにした。認識がこの謎に近寄ろうとするとき、たいていは何かの思考内容で謎を解決しようとする。しかし謎は“思考内容によっては解決されない”。(中略)だから私は自分の心に次のように語りかけた。人間以外の世界はすべて謎である、世界は本来謎の世界なのだ、そして“人間こそがその解決なのだ”と。」

おすすめシュタイナー:
よくわかるシュタイナー
http://www.amazon.co.jp/dp/4892031062
いちばん素敵なシュタイナー
http://www.amazon.co.jp/dp/4480087141
そっちも凄いのねシュタイナー
http://www.amazon.co.jp/dp/433603978X
怖いけどステキ、シュタイナー
http://www.amazon.co.jp/dp/475650065X
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2007年08月04日

中国政府、チベット高僧の転生に事前申請を要求

http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2263352/2001212

おれがこのニュースから思うことは、中国共産党政権はIT勘というかサイバー勘が絶望的にないなーということ。おれが国家主席なら転生IDを発行してオンラインで霊統認証を行う民間企業を育成する。そのデータベースをチベット亡命政府やバチカン、次に広く一般に売り込んでグローバルな霊統マッピングを推進し、バックドアから抽出したデータを長期国家戦略に活用する。どのアイデアがどこに転生しているか示す意味の地図が、アトムにおける戸籍に対応する、次世代のサイバー公共サービス管理(すなわち国家)のインフラとなる。

中共エリートたちは、もっとSF読んだほうがいい。せめて「1984」くらい読んでおけば、北京オリンピックを控えてのNGワードくらいは抽出できるだろうに。

posted by bangi at 22:39| Comment(9) | TrackBack(1) | 神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月16日

ミスユニバースジャパン

ひょんな経緯でミスユニバースジャパン最終審査「CASINO FINALE」に招待いただいた。脳裏をよぎったことごとを、とりあえずメモっておく。

・おれがPなら石田純一は絶対、司会に起用しない

・BRAIN WASHING TECHNOLOGYは存在する。ミスユニバースやトップモデル、大女優などを生み出すあるマインドコントロールの技術体系が存在するのだ。それらは大変ポジティブに運用されているが故に、一般にいう洗脳の恐怖、弊害とは全く異なる地平で、かつ秘密裏に運用されている。それは確かに劇的に人格を人生をモデファイする強力なPractical Magicだ。実はこのTechnologyは「女の魔法」としてそれとは意識されぬうちに広く浸透・受容されているのかも知れない。

・ミスユニバースとはつまるところ、遺伝子品評会だ。先述のBrain Washing Technologyもまた、「個性」という幻想を削ぎ落としてあるフラットな美の地平に参入させるために施される。一切の後づけの「個性」が削ぎ落とされた時に、浮かび上がってくるのが遺伝子のかたちFormantだ。おなじメイク、おなじポーズ、おなじことば、おなじ表情、本当のCompetitionはそこから始まる。
このCompetitionに挑もうと意志する全ての女性を、おれは心から讃える。

・器が中身を規定する。
見事ミスユニバースジャパン2007の栄冠を手にした森理世嬢は、結果発表前よりも結果発表後のアフターパーティの席でこそずっとミスユニバースジャパンたるアウラを放っていた。「あなたが勝者である」その宣言が人間に、女性に与える効果は計り知れない。まさにMutationだ。


彼女達ミスユニバースファイナリストを育て上げたSmooth Operator、I女史のSpiritual Technologyに、おれは惜しみない賞賛を捧げる。そして、いつかあんたとはケリをつける。

今日のYOUTUBE
Miss Universe Japan 2006
http://www.youtube.com/watch?v=hWGcDlMJLfA
Smooth Operator
http://www.youtube.com/watch?v=Gw8_RAeXPF0
Samhain Spirit Circle
http://www.youtube.com/watch?v=ctBhkedC9GA
posted by bangi at 01:21| Comment(6) | TrackBack(0) | 神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

どうやら

この国はぶっ壊れたようだな。
あらかじめこの風景が嘘くさくてやってらんねーとドロップアウト済みのおれにとって、
八百万の神々とは、言霊とは、大変個人的な事柄だ。

おれの腹は決まった。
さて、君はどうするね?

言霊幸あう今ここに、八百万の光輝あれ
ただ透明な意志それ自体の、その速度として

BVA
posted by bangi at 19:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

おれたちのステーレ

国立科学博物館で開催中の「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」にいってきた。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/index.html

ミイラの中を3D映像で探検!も大変楽しみにしていたが、今回のお目当ては別にある。

神官アンク・アフ・ナ・コンスの供養碑。
詳細省くが、こいつはある種の趣味を持つ人々にとって大変重要な意味を持つブツである。
20世紀のオカルティスト、アレイスター・クロウリーの代表作である一大寄書、あるいは深淵なる新時代の啓示ともっぱら評判の「法の書」を自動書記させた、一連の霊的事件の発端となったブツ。

え!現物拝めるの!マジですかヤバいでしょというわけで喜び勇んで駆けつけたおれは、いざ現物の前で立ち尽くし、バビーン!雷に打たれたような法悦に打ち震え、頬を伝う一筋の涙の理由すらも知らず、不可視の閃光に真っ白く焼き尽くされ、永劫に轟くその沈黙の雷鳴のうちに瞬時に原子分解したのだった。



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「どうしてこんなことをしているのか、
それをきめたことばがあるのだそうです。
しらなかった。しりたくもなかった。」

「ひとりのたましい」アレイスター・クロウリー 江口之隆訳

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が、違った。
クロウリーがカイロでみた、いわゆる「啓示のステーレ」と同じ埋葬品だと思うが、別バージョンなのだ。



啓示のステーレ
http://www.thelema101.com/stele.html

勘違いのステーレ
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/img/tenji/tenji-img5_2.jpg



ヒエログリフで書かれているテキストは「死者の書」の一節。
おそらく、数枚にわたって「死者の書」抜粋が記されてるに違いない。今回おれが「これが20世紀の文明の行方を(若干)左右した霊的モニュメントなりか!」と雷に打たれたような感慨を受けたブツは、複数毎ワンセットになったステーレの、全然違う別の1枚だったのだ。

さんざん感動して午後の仕事を上機嫌でこなし、帰宅してから気がついたこの勘違いを踏まえ、振り返るといろいろなことが頭を駆け巡る。

神官アンク・アフ・ナ・コンスとその息子ネスペルエンネプウが仕えていたコンス神殿は、じつにサッカーグラウンド50個分の巨大神殿。そこで働く膨大な数の神官は、今で言う都庁勤めの公務員のような存在であっただろう。思えば3D映像でみた「神像の服を着替えさせるのが主な仕事」というのも、そういう目でみるといかにも公務員らしい、どうでもいい感じの仕事内容だ。父からその職務を受け継いだ、というのもそこはかとないどうでもよさと、身に詰まされるようなグダグダ感が臭わなくもない。

またくだんのステーレも、オカルト関係の翻訳では主に「石碑」とされているが、実際は木製である。デッサンもレイアウトも、なんとなくいい加減で傾いてるし、彩色も素朴。浅草の町工場でおばちゃんが描く観音様のような、ほのぼのタッチだ。お土産屋でみかけるなんかでかい将棋の駒の置物の、もうちょっとラフで思わせぶりな感じ、といったところ。

そこに記されているテキスト「死者の書」は、当時エジプトの一般家庭、たとえば商人などの棺にも埋葬されており、広く行き渡ってた埋葬グッズだ。いまでいう般若心経とか、戒名書いたお札とか、そういうものである。

現物をみておれが感じたことは、ちょっと傾いていようが細かいことはダズンマラメーンな感じ、ありがたいけど有り体なあの世テキスト、偉い王様とかは石に刻んだろうけど、公務員くらいなら木製のレプリカで済ませたであろう供養碑、つまりたいへん庶民的でレディメイドな感覚である。

クロウリーが「法の書」を書いた1904年当時は、ヒエログリフの解析もエジプト学自体もまだまだ発展途上で、エジプトの古代遺跡とその発掘品の数々はあまりに謎めいていたことだろう。
が、昨年祖母が亡くなって葬式法事と済ませてきたおれにとっては記憶に新しいあの感じ、ごく平凡に人生を生き抜いた故人を仏さんとして扱い大らかに死出の旅を祝う、あの感じを踏まえ、そういう共感を持って眺めると、どれも大変納得がいくのだった。

これから展示を見にいく人々にネタバレになるので軽く伏せるが、神官ネスペルエンネプウのミイラをCTスキャンにかけて判明した驚愕の事実もまた、この説を裏付ける。

また彼らは猫やワニや魚のミイラもつくっている。明らかにミイラ化それ自体への興味と追求、さらにある種の「かぶき」すら感じさせる。
ミイラ制作は、深淵なる死と再生の秘儀というより、豊かな「死の文化」を背景とした、真摯でおおらかな工芸文化のようだ。ほら、ワニもミイラにしちゃったよ。ほら、ネコとかも悪くないよね。ナムアミダブツ。そんなミイラシーンを、おれは感得した。

古代エジプトは大変洗練された都市文明を持っていた。
参拝客で賑わう神殿ではありがたいおみやげ神像が気前よく販売され、どうでもいい仕事を今日もだるくこなす世襲公務員の、その棺にはレディメイドなレプリカ供養碑。こんなにおおらかで、暖かく、したたかな死の意匠、技法を獲得した古代エジプト人の人生観、宗教観は、現代を生きる我々日本人のそれから、それほど遠く隔たっているとは思えない。



宗教的なファナティックさとはほど遠い、お伊勢さんのような柔らかさと深さ。
その直感は、早合点と勘違いによって導かれた「ステーレ」からもたらされた「おれの啓示」に相違ない。太陽系の新しい矮惑星、エリス登場の年に相応しい、まさに新時代の啓示といえなくもない。おれはそのように納得することにした。



しかし奇妙な点もいくつか残っている。というか調べりゃ分かるのだろうが、心にひっかかる幾つかの点も併記しておく。

カイロ博物館によると、アンク・アフ・ナ・コンスは第26代王朝時代の神官とされている。
しかし、今日みてきた上野の展示では、その息子ネスペルエンネプウを「第23代王朝時代」の神官としてる。たしかにそのように記載されたパネルをみた気がするが、心もとない。
どういうこと? アンク・アフ・ナ・コンス、「コンスの地を旅するもの」とは、もしかしたらよくある戒名のようなもので、複数人の該当人物がいるのかも知れない。まーあとで調べる。カイロいって調べる。

あと、ミイラをCTスキャンにかけて発見された額の蛇のお護り。
「法の書」第1章18節にはこう記されている。

1-18: Burn upon their brows, o splendrous serpent!

1904年当時に、この「死者の額に置く蛇のお護り」の存在は知られていたのだろうか?

もひとつ、ミイラから復顔されたネスペルエンネプウの顔。
似てる、似てますよ。目とか。その父君、アンク・アフ・ナ・コンス氏の、その来世を自認した、かの御大に。



まーてなわけで、おれは今日"Stele of Misunderstanding : Eris 2006"と、
確かに遭遇したのであった。


(Special thanks and wonderous 93 to Sor.Raven)


posted by bangi at 01:25| Comment(9) | TrackBack(2) | 神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする