最近地震に関する夢をみることが多い。予知夢とかそういう感じではなく、日常の一要素に地震が組み込まれつつあるようだ。
先日みた夢はこうだ。
【部屋にいる時に大きな揺れが来る。それは近々来ると警戒されていた直下型地震で、かなり大きく長く横に揺れるものだった。ビル全体が飴のようにしなり揺れる中「これは流石にかなわん」と本格的な避難を検討している。】
夢で体験した揺れは勿論、かつて実人生で体験したことのないものだった。夢の中ではしばしば、現実には体験したことのないもの、知り得ないものが現れる。夢が睡眠中の脳の記憶の混乱や再構成であるとするならば、脳はどのように知り得ないものをVisualizeするのだろうか。
様々な記憶の断片から「それらしさ」を捏造するのだ、とも推測できるが、それだけでは納得いかないケースもある。例えばこんな夢。
【夜、どこか地方都市の国道を歩いている。空には満点の星空、そして花火がこぼれんばかりに輝いている。】
この夢をみた時は明晰夢状態であったので、ひとつひとつの星々、花火のパーティクル、美しい空のグラデーション、月などが極めて鮮烈にハイファイに見えた。しかしながら、おれは子供の頃から視力が低く、またメガネやコンタクトなども殆ど使用したことがないため、実人生においてこの夢のように鮮明でクリアな視界をもってしてこのような風景をみたことは少なくとも記憶の上ではないのだ。
夢が記憶の再構成であるならば、あの星空と花火の風景もおれの実際の視力で眺めたものと同じ鮮明度で描かれる筈だ。しかし夢の世界にはしばしば、実際の身体を通して知覚される世界「よりも」鮮やかで、美しい、光り輝く光景が現れる。
このことはある種の瞑想行や明晰夢、メスカリンやシロシビン、DMTなどのハードサイケデリック、また西洋魔術におけるAstrral Projectionという技法などにおいて、能動的にイメージの世界を遊歩する際に感得される【霊界】の光景の特徴として古今東西の神秘主義文献において指摘されている。一般に、あの世の光景、夢の世界は、肉体の世界よりも光り輝き魅力的なのである。
【夢の視覚】が脳内の如何なる仕組みで感得されるのかはさておき、この経験的事実からは翻って【リアリティ】とは何か、という問いが浮上する。脳はかつてみたことがあろうがなかろうが【リアリティ】を構成することができる。目を閉じて観る世界は、時に目を開いて観る世界よりも鮮やかで、自由である。【夢の視覚】において人は普段見えない光を観、重力と空間に制限を受けない鳥や魚の視点で遊歩する。網膜の精度や重力の制限の下で感得される【肉の視覚】は、さらに広帯域に拡がる【夢の視覚】のフォーカスされた一部に過ぎないのではないか、夢を観ている脳が覚醒時の記憶を再構成しているのではなく、むしろ覚醒時の脳が、夢見状態の【リアリティ】を圧縮・再構成しているのではないか、という不穏な可能性が、先述のような夢見体験から浮かび上がってくる。
冒頭の地震の夢をみた後、おれは「古代人がみる地震の夢」について考えた。そこではビルがしなりマンションの一室が散乱するかわりに、パンテオンや縦穴住居が揺れ、貝の貨幣や祭壇の燭台が散乱しただろう。たとえその夢をみている古代人その人が、かつてそのような大地震を体験したことがなかったとしても、彼は「恐るべき大地震の夢」を族長に報告できた筈だ。
また、それは必ずしも予知夢としては受け取られなかっただろう。夢のリアリティは必ずしも通常の物理空間のリアリティとリニアで因果的な関連がある訳ではないことも、経験上感じられる。おれがこの時期にみる地震の夢はあくまで日常の一齣として組み込まれたモチーフの浮上、旬のトピックに過ぎないのであって、ただそうでありながらも、おれの脳は自分の知り得ない、かつて知らない地震のリアリティをVisualizeできるのだ。
【夢のリアリティ】では「みえるもの」と「みられるもの」の関係が、通常の時間と空間の制限を越えた次元に拡張される。そこから一階層下がった【肉体のリアリティ】でも、その名残は感じられる。我々は脳内のイメージを外界に投影して「あれはたぶん看板だろう」とか「あの交差点を右折しよう」という風に空間と時間、意味を情報処理している。さらに一階層下ると、そこには【合意されたリアリティ】Consensus Realityが他者との関わりにおいて生成されている。「放射能で死ぬる」とか「でも出社するけどね」や「事故ではありません事象です」といった、社会的リアリティだ。
まーなにが言いたいかていうと、今この【合意された現実】があちこちでひび割れて断層が走ってる、という現象が起きてると思うのね。このReality Divideは当然ある落とし処に向かって再統合してこうよ、という流れになると思うけど、完全に311以前と同じように復元されるかというとそうはならないし、またそうするメリットもないのね。原発、平和ぼけ、情報操作や同調圧力といった様々な「いらないもの」が、この断層によって可視化されているのであり、それをもっとよいものに変容させていく足がかりもここにあるのだから。
まーでもさー、【合意された現実】の亀裂てのは、慣れてない人にはそりゃ不安だよ。パニクっちゃうよね。そんな時はリアリティの階層構造をイメージしてみて、肉体の現実、そして夢の現実という風に自身のリアリティの閾値を広げていくエクセサイズつかリアリティストレッチみたいのが有効かもよ、てこと。それってどうやんの? て話についてはまたいずれの機会にな。
あとこのテーマも勿論深くて、唯識とか「物自体」とかほんとキリがないんだけど、まーなんとなく実体験に即したところから、実践的な夢見術的なアプローチで、今後もことあるごとにまとめてみようかと。例えばさー馬の夢とか。実際に馬みたことない人の夢にでてくる馬がいかにも写真やテレビぽいかというとそうじゃないんよ、てあたり。いろいろ面白エピソードをね。
まー単にiPhoneにBluetouthキーボードつけたらこれ最高てんで長文書きたくなっただけなんです。アディ押忍!