2016年11月26日

12/10-11 HIKARI FESTIVAL




とのことなので、もう誰も見ていないであろう当ブログにポストする。


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HIKARI FESTIVAL(公式ページ)


岡山市のHIKARI CLINICは、国内初のフローティングタンク併設の心療内科・精神科クリニックである。ドクター遠迫憲英氏とは約10年来盟友であり、最初の出会いはこの記事に記録されている。
2008年04月20日 アンドロイド・エモーションとテクノ・ナショナリズム

その後こんなこととかDommuneとかご一緒しつつ、今やおれ自身がフローティングタンクスタッフとして在籍しているわけで、人生なにが起こるかわからないものだ。

はてさてクリニックでなにかやりたいねーとは常々話されていたが、いよいよ機が熟し開催される大規模なイベントが12/10-11のHIKARI FESTIVALだ。20世紀エサレン研究所の意志を受け継ぎ、黒いピラミッドの都・岡山から21世紀の治療文化を発信せんと取り組む一大プロジェクトである。ダンスフロア/チルラウンジに加え、メンバーパスを発行して朝まで解放されるフローティングタンクルーム、クリスタルボウル、鍼灸、レイキやタロットも含むオルタナティブなヒーリングメソッドを一望するサロン、WSと、サイコソマティック(心身相関的)カルチャーの最前線を考え得る最上のクオリティで満喫できる内容となっている。

10日夜のインプロビゼーションライブは、確かなミュージシャンシップを持つ手練れを集め、前もって何も決めずに「じゃんけん」をするように、完全なインプロビゼーション(即興)でやってみよう、という試みだ。なにがどうなるか、誰にもわからない。そんなことが可能なのは、私が個人的にそのミュージシャンシップを確信し敬服するところの人選ありきであり、そんな素晴らしい人たちを集めて「じゃんけんしようぜ」と無茶振りするのだから、この上ない道楽だ。おれはもうあまり、緻密で丁寧なことはやりたくない気分なのだ。

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インプロセッションに参加いただき、翌日11日にはヒーリングストレッチWSも担当していただく原キョウコ氏とは、舞踏、コンテンポラリー、シャーマニズムと指向性の被り具合から一度お会いしておかねばなるまい、と馳せ参じ、その日のうちにタバコとシュタイナーとUFOの話で盟友となった人だ。人生において数回、そういう出会いがある。あらかじめ、なんとなくわかる、同じ匂いというやつだ。思えば遠迫ドクターも、お互いのブログをなんとなく意識しつつ、ある時点でどちらからともなく会合を持ったのだった。

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クリスタルボウルのまがり氏は以前からフローティングタンクに来ていただき、実はタンク用にスペシャル音源を録音もして頂いている。今年7月2日に神保町で開催された「あなたの聴かない世界vol.10 New Age or New Edge Returns!!!!!日本ニューエイジ秘史」で初顔合わせさせていただき、ピアノとクリスタルボウルで即興ジャムをさせていただいた。90's後半のレイブシーンを共有し全く初対面とは思えなかったまがり氏と、いよいよ岡山で、HIKARI CLINICで時空を共有する。これはおれなりのサードサマーオブラブ、アンビエントサマーの総括と再生の儀式なのだろう。

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Moo-Tala'sはもっとも最近知り合ったのだが、彼ら全員が東京ポッドキャストのヘビーリスナーだったということで、これもまた話の早い仲間である。つい先ほどの10月30日には真庭市の市民ホールにてMoo-Tala's No.9の一員としてエノク語呪文によるDragon Eagle召喚ライブを行った。この時の音源・映像もまもなく公開されるだろう。ディジュリドゥとドラムと呪文によるレッドツェッペリンのようなヘヴィーミュージックが記録されているはずだ。おれも早くみたい。間違いなくカッコいいからだ。

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11日ヒーリングサロンに参加してもらう虎爪鍼灸室は、実は中学の時の幼馴染である。おれの知っている彼女は声楽とヴァイオリンを嗜み九州でMTBのコミュに参画し、オカルトだのスピリチュアルだのには全く目もくれなかった人だが、久しぶりに再会するとなぜか鍼灸師になっていた。千葉にて完全紹介制でサロンを開くということで、虎爪鍼灸室という名称を命名させて頂いた。おれはなにかと命名するのが好きである。

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タロットリーダーの婀聞マリ氏は、東京リチュアルWS「自分の儀式のつくりかた」の第一期卒業生である。つまりこの人も、東京リチュアル、魔術との出会いによって人生を大きく逸脱した人だ。責任をとろうなどと思うまでもなく、大変力強い逸脱っぷりと跳躍っぷりが頼もしい。いくつかのイベントをご一緒させていただきながら、仲間内のSmall Circleでは後進の指導にもあたる姉御分である。これでいいのだ。

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西園寺リマ氏は、東京暮らしのごく初期からの知古であり、よく考えると20年くらいのつきあいだ。原宿にBONOBOというDJバーがあり、東京レイブ / オルタナシーンの重要スポットなのだが、彼女はそこのスタッフでもあった。レイキ、アロマ、リフレクソロジー、ヨガとあらゆるサイコソマティックな技法をマスターし、放浪の旅を続けている彼女がなんと岡山に引っ越して来た、と知ったのがつい先月くらい。なんかもうここまで来ると笑ってしまうような縁である。いったい岡山になにがあるというのか。

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そういう意味では、10日のメインゲストDJと言っていいだろうULU (aka Tateyama)は、まさに腐れ縁、盟友、いや戦友である。90's東京恵比寿の現代美術カフェP-HOUSEにて「Radio XP」というミニFM局を運営していた頃、彼はレジデントDJであった。「Radio Free Ambient」という看板番組は毎週水曜日、アンビエントだけをかける海賊FMで、Buddhastick Transparent、Solar Quest、Mouse on Mars、Greet Lovinkなど錚々たるゲストを毎回招きビッグチルな電波を放出した。Buddhatick Transparentを招いてのイベントで、ULU氏とおれは二人でW TRAPというユニットでライブも行った。あれはいつだったろうか。もう忘れた。そういうアンビエントサマーの共犯者だ。そしてまた岡山でこうだ。こういうのは20年ぶりくらいだと思う。

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そしてゴッドスコーピオン氏。2015年6月に西麻布Bullet'sで開催したイベントUNOFFICIALで、Psychic VR Labのメンバーたちとともに前代未聞の魔術儀式体験VRソフトNOWHERE TEMPLE betaを1週間足らずで開発・公開し、ある種の人々の人生を不可逆的に更新してしまった共犯者である。今回HIKARI FESTIVALにNOWHERE TEMPLE betaを持ってこれるとは露とも思っていなかったが、なんと実現してしまった。このVR体験がどれくらいのインパクトを与え得るものなのかは、こちらのレビューを参照して欲しい。たぶんある種の人々は同意してくれると思うが、これはVR元年に先立つ2015年の最重要「事件」であった。

そのほかにも紹介しきれない豪華メンツが勢ぞろいしているわけだが、とにかくまぁこれがどれくらいおおごとかは少し伝わったのではないかと思う。この2日間には、おそらく、おれが見てきた90's-00's日本の、サイケデリックからケイオスマジック、そしてVR元年へと至る最も秘められたコンテクストが再び手繰り寄せられ、活き活きとしたウェブとして新たな開放系へと伸ばされるだろう。それはとてもテレパシックな、そこにいることが重要な、目撃と刻印の場、2016年新たに勃発するコスミックノードであることに、疑問の余地はもはやない。

はてさて、集い、踊り、語り、チルアウトしようではないか。

ENJOY!

HIKARI FESTIVAL : http://eugenius.jp/hikarifestival/
FBイベントページ:https://www.facebook.com/events/665331256959756/

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2016年07月30日

シン・ゴジラ

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映画的に官能的だったのは第4形態と伊福部の数秒間だけ。あとは内省的な皮肉に付き合わされる。傑作だの声もわからんでもなし、いやわからんが、右的高揚感を警戒する声もまぁわかる、しかし自分で観た感想としてはどちらの意見も観念的に過ぎる。目の前の画面にエロスと高揚が圧倒的に不足していた。

既視感の記号的コラージュ。それがオタク美学だ、といわれればそうですな、としか言えない。そしてそこにそれなりの批評性をもたせる、まぁそういうこともやってるだろう。

しかしだね、庵野秀明がやったことは結局のところ、子供たちから夏休みのゴジラを取り上げて、難解な政治言語で埋め尽くし、お手盛りのオタク記号を適当に配置して、悲しい顔をしてほい、と置いて見せた、そういうことではないか。大人の事情や実存的葛藤を織り込んで、おとなこどもの怪獣映画で街をぶっ壊すのは、いい。いいから、なんかもっとこう、小学生をウォーと興奮させる、ゾゾーと脅かす、反抗的な大人に対しては晦渋な暗号作法に則りかすかな勃起と潤滑液分泌をトリガーする抵抗不可能な記号を意表をついて忍ばせる、それを最低限のお約束として、満足いく分量を確保して、その上で、どうぞやりたいようにやって欲しかった。

おれは今日、なんか間違えて2,500円払ってグランシネマだかなんだか、なんか偉そうな劇場のチケットを買ってしまった。普通のスクリーンに隣接してるのだが、大人なラウンジでワンドリンクがついて、ワインとか頼むと番号札と引き換えにテーブルまで持ってきてくれるのだ。シートはフルリクライング可能で、スリッパも備えてあった。よく調べずにいって一番近い上映を選んだらそれだったのでやや面食らったが、一体だれがこのグランシネマ体験を求め、またこれに満足しているのか、疑問を感じた。なんか静かげなラウンジはしかしメニューは同じなので、そこで食すのはホットドッグとかなんか過剰に高級感を謳った500円のソフトクリームであり、大人ラウンジといってもハリボテ感が半端ない。だったら普通にしてて欲しい。あちらのほうで老夫婦が店員に横柄な態度でなにかいっている。上映直前に買ったチケットなので一番前の席だった。フルリクラインングできてよかった。一番前を舐めてた。

そして「シン・ゴジラ」を観た。
おっさん、おっさん、おっさん。しょっぱなからおっさんの洪水だ。画面の空間的・時間的比率はともにおっさん率90%だろう。あとは若いおっさん。政治的にぎりぎり正しくいえばアスペルガー的知性を代表する各界の変わり者たち。数十分のおっさんと若いおっさんと変わり者が早口で政治言語をまくしたて、そのどうしようもなさを諧謔的に演じてみせる。ちょっともうお腹いっぱい、と思った頃合いにはじめて登場する、生き生きとした生物的な魅力を放つのがバイリンガルのカヨコ・パターソン。対比。うん。
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けどあの人も悪くなかった。あの不機嫌そうな女の人。アニポールきょうこ氏を不機嫌にして賢くした感じで、親近感が持てたからかも知れない。そこも対比だ。うん。市川実和子だったのか!(後日註:市川実日子さんでした)

自衛隊の号令とか公共のアナウンスとかはリアリティがあっていいんだけど、役者の喋りになると途端にそのリアリティがなくなる。役者も全部ああいう普通の喋りにすればいいのに、と日本映画を観るといつも思うが、なんかそうもいかない事情があるのだろう。あの白髪のよく見る人はよかった。あと総理代理。若いおっさんはかっこいいのか悪いのかよくわからない振る舞いで、あれ役者養成所で徹底的にああいう風に演じる訓練をしてるんだとしたら、なんでだろう。まぁなんかいいんだろう。リアリティがないならないで魅力的であればいいんだが、まぁそんなに魅力的でもない。お金を払ってでもうっとりと見惚れたくなるような魅力を放ってるわけではない。カヨコさんが魅力的なのは、まわりをおっさんで固めてるからというのもある。片桐はいりもよかった。ああいう状況で、なんかふと欲情するとしたら、ああだと思った。そこは庵野わかってると思った。

背びれ。背中を向けた時に最強の最終兵器。ゴジラは安産型の自閉症。最初でてきたときすごい可愛い。太くて大きいゴジラを、細くてもじゃもじゃしたもので絡め取る。男根兵器は一切効かないゴジラだが触手には弱い。ぶっ壊しながら東京観光。新幹線と山手線。恵比寿のトンネル。鉄ちゃんの東京ノスタルジー。わかる。むかし高橋幸宏が「好きだけど嫌いな街」と表現した東京への郷愁。

「ガッチャマン」みたいに狂ってないけど、じゃ冷静だったらいいか、というとなんかそうでもなかったなあ、という感。
ゴジラ以外はおっさんと電車と自衛隊しか写ってない。まぁ映画ってそういうもんだったかも知れない。わからない。

まぁなんかいろいろあるけど、ゴジラをこどもに返してあげて欲しい。大人げないと思います。

http://shin-godzilla.jp




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2014年10月15日

バンギ公式サイト

つくりました。
http://bangivanzabdul.net/

まーなんとなく業務上の都合でさくっとつくったのですが、コンテンツはまだまだこれからです。ブックレビューをちくちく充実させていこうかなと思ってます。なんとなく。

とりま、ここ15年程の間にあちこちで書いた原稿をえいや、と発掘して収録してみました。これが結構読み応えある感じですので、どうぞお茶のおともにひとつ。
http://bangivanzabdul.net/archive.html

あと東リチュでやってたSkype鑑定はこちらに移動しました。ご縁の向くまま、気の向くままに、生涯これ修行の意気込みで、のんびり続けようと思います。こちらもどうぞお気軽に。
http://bangivanzabdul.net/skype.html


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2014年10月02日

「スロー・ポリティクス: 危機の時代の力と創造性に関する国際会議 」覚え書き

 札幌メディアアーツ・ラボとベルリンBerlinergazetteの共催による国際会議「Slow Politics」から昨日、帰岡しました。
http://www.city.sapporo.jp/kikaku/creativecity/meeting/smal.html

 ベルリン、トロント、ニューヨーク、東京、札幌から集まったジャーナリスト、アクティヴィスト、アーティスト、エンジニア、ハッカー、社会学者たちとのテーマ別のディスカッションに「魔女、魔術師」つまり「オカルティスト」として参加した訳です。この並びは、実際やってる本人としては至極真っ当に思えるものですが(笑)驚かれる方も少なくないでしょう。

 ビッグデータ、プライバシーとセキュリティ、コピーライトとコモンズ、創造的都市、余剰と蕩尽の文化経済的ダイナミズムについてディスカッション、プレゼンテーションを交換してきました。

 私と谷崎が参加した「余剰のチカラ」というディスカッションは、札幌でアーティストインレジデンスをオーガナイズしている橘匡子さん(http://www.s-air.org)、ヴォーカロイド「初音ミク」を創造したクリプトンフューチャーメディアの伊東博之さん(http://www.crypton.co.jp)、ベルリンと東京のテクノシーンを繋ぐ「テクノ外交官」の異名を持つDJ TOBYさん、札幌メディアアーツ・ラボの特別研究員・光野有美さん、そしてモデレータの札幌市立大学教授・武邑光裕さんと円卓を囲んで3日間に亘って議論を行い、最終日パブリックトークで「グループウェアとしての“魔女” 魔女の方法論を創造的共同体運営に応用する "Witch" as groupware - Adaptating witch's methodology for organizing creative community」というプレゼンテーションにまとめました。

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 各国から集ったスペシャリストたちから多大な刺激を受けたのですが、なかでもベルリン・パブリックアートラボのスーザ・ボップ氏のプレゼンテーション、世界主要都市をボトムアップ型のメディアアートプロジェクトで有機的に接続していくCONNECTING CITIESというプロジェクトが素晴しく、またそこに官民ともにすんなりと馴染んでいく今の札幌という都市のポテンシャルに軽く戦慄を覚えました。

CONNECTING CITIES http://www.connectingcities.net


 私自身、岡山で生産者と販売・飲食店、消費者を新たな回路で接続するマーケット「いち」の立ち上げに参画し、ボトムアップでGlocalなアクションを創発させるモデルを模索する中で、様々な可能性、困難、見通しと課題を発見しました。その問題意識に示唆をもたらすものとして、都市のハード面でのインフラ以外に、ソフト面のインフラ、精神的なリソースが、開拓都市札幌には深く重層的に形成されているのを実感しました。

いち@岡山 http://www.ichi-jp.org


 私が岡山に移住した時に、岡山は災害が少なく、日本一の晴天率を誇り、果実が豊かに実ることから「放っておいても誰も死なない」場である、という物言いをよくきき、また私自身強く実感しました。翻って豪雪と寄り添う札幌は「放っておくとすぐに死ぬ」ので、誰もがギリギリのところでは助け合うという「原理」が、決して相対化されない前提としてあります。そしてその深層での相互接続関係は、それ故に、個々の自律性を信頼し、いい意味で「放っておく」開放的な心象風土を形成しています。各地から参入してきた開拓民たちは、丁度移民国家アメリカのように、地縁や血縁を超えた新たな「つながり」を必然的に要請し、それをアプリオリに受容するのでではなく、Proactiveな意志のもとにデザインしてきたので、過度な干渉や癒着に対する実践的な処方箋、ノウハウが豊かに蓄積されているのだと思います。互いに「いまここ」を共有する異者として、葛藤を超え、均質化の幻想を超え、小権力への誘惑を振り切り、創造的なエナジーフロウへとダイナミックに自ら投企していく、アフターインターネット的な個人、都市、文化共同体のアイデンティティ形成、その作法について、札幌の風景から学べるものが多くあります。

 「放っておいても死なない街」岡山と、「放っておくと死ぬ街」札幌は丁度鏡像のように対照的であり、都市規模の違いを超えて相互に適用 Adaptation 可能な精神的リソース、ヒントを共有し得ると感じました。今回の会議と旅で得た私自身のインサイトを、岡山で共有・実践する次の機会が楽しみです。

札幌メディアアーツ・ラボ http://www.city.sapporo.jp/kikaku/creativecity/meeting/smal.html
CONNECTING CITIES http://www.connectingcities.net
東京リチュアル http://tokyo-ritual.jp/event.html
いち@岡山 http://www.ichi-jp.org

私がクリエイティブディレクションを担当した関東大震災一周年イベント「いち@311」(2011)
http://eugenius.jp/ichi311/
この時の関連記事:
月刊23曜日blog: わたしのアセンション・2012を振り返るhttp://23youbi.seesaa.net/article/311845485.html



posted by bangi at 20:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月30日

春のテキスト

人間は表現欲求を持っている。
他の動物も持っているかも知れない。イルカとか。知らないけど。
けど人間の表現欲求は群を抜いているように感じられる。
なんかとにかく何でも書き残すし、喋ってる。伝達してる。
「それおれの餌だからとるな」とか生存に関わることだけじゃなく、
むしろそんな重大なことを伝達する機会は稀で、殆どの時間は他愛もないことを伝達してる。
伝達しあってる。

頭の中になにかが閃く。「こんなに表現とか伝達とかしてるの人間くらいかな?」とか。
そしたらそれを書く。例えば今おれは書いている訳だが、これはさっき台所で煙草を吸っている時に思いついて、10分くらいはそのことを考えていた。仮説とか反証とか展開しながら。

書いてはいるが、これは別に誰に向けて書いている訳でもない。ざっくりと「読む誰か」を想定はしているが(これを書き終わったらブログに載せようか、どうか、とか今は考えているから)、この仮定の伝達対象は伝達を開始した後に登場したもので、いざ伝達が始まった瞬間には、タッチの差とは思うけど、やっぱり居なかったと思う。つまり文章として書き残してはいるけども、記録として外部化されているけども、誰のためかというとおそらくそういうことではない。後で、数年後に偶然みつけて自分読み返すと、それはまぁある程度は楽しい気分を味わうだろうが、多分数年後にこの文章をみつけてもたぶん「これブログに載せようか」と思うだけだろう。そして載せたり載せなかったりは、その時次第だ。世界にはそのようなテキスト(エクリチュール?)が情報量にして何ギガバイトくらいあるのだろうか。

PCのフォルダ奥深いところに、こういうテキストが埋もれていることがよくある。昔はよくあった。記録媒体(わざわざ記録媒体、と書くのは、ハードディスクと書いても、このテキストが読まれる時にはもうハードディスクなんて使ってないかも知れなくて、なんとなく古ぼけた感を感じさせるかも知れないからだ。それでも別にいいのだが、今は別にその古ぼけた感を特に伝達したい訳ではないので)がクラッシュ(今の時代にはクラッシュという現象があります)して、定期的にそういったテキストは失われる。ある頃から、おれは思いつきをテキストファイルにして保存することをしなくなった。10年くらいしてない気がする。なぜしなくなったかというと、思いついたことはツイッター(未来の皆さんがこれを読んでいるのなら、西暦2014年くらいに流行したテキストメディアです)などですぐに「伝達」してしまうように、いつの間にかなったからだ。ひょいひょいと外に溢れ出すから、PCの奥深くに蓄積しない。以前、フォルダの整理をしていると「春の馬鹿野郎.txt」というファイルがあって、開くと中に何が書かれていたかはもう忘れたのだが、まぁ春の気分について非常に瞬間的なことがらが一言二言書かれていた。ファイル名は重要だ。そこに「なぬ?」という疑問があると、中を確認したくなる。「名称未設定.txt」とかのファイルが未来に内容を確認される可能性はぐっと下がるだろう。

そういえば今、これを書いているのは2014年3月30日。午前3:56分。春だ。おれは春になると筆が進むのだろう。うろ覚えだが、上記ファイルを見つけた時にも、他にも数年分、春のメモを発見した記憶がある。それらは全部HDクラッシュで失われた。儚いものだ。

今年の春は「伝達」についてだ。なんでヒトはこんなにも過剰に、無意味に伝達するのか。
承認欲求もあるだろう。だが誰に承認してもらいたいかというと、こうしてまた数年後の春にこの文章をみつける自分自身に、だろうか。ほんとかな? 今これを書いているおれも、その時の今これを読んでいるおれも、お互いにそれほど興味関心を持っていないだろう。不慮の事故でおれが死んだとする。遺品の整理としてPCの中身も確認し、このテキストが発見される。おれが文豪とかそういうのなら、その時の新聞に「発見!」とかなるかも知れない。それは楽しそうだ。だからといってその読者を意識しては書かない。想像つかないからだ。たぶんそういう文豪とか新聞とかそういう感じでは今回の人生はないので、家族とか、妻とか、親しい友人が、このテキストを今読んでいるかも知れない。結構長そうで、ちょっとうぇ、てなっている人もいるだろう。しかも読んでも読んでも、大したことが書いてない。けども、まぁ家族や、いや家族はないかな、妻とか、かつての恋人とか、そういう人なら、保存しておいて、ときどき夜中にブランデーなどちびちびとやりながら、少しづつ読んだりするだろうか。それくらいの量があればいいが、それを意識して書き続けることもまぁ今はしない。おれは今、「伝達」について思いついたことを、誰にともなく伝達しようとしているのだ。

ヒトの伝達は、この惑星では類をみない程、個性的だ。ヒトとしての限られた視点からの意見ではあるが。
たとえばハチが「あっちにお花があるよ、蜜があるよ」ということを伝達するダンス言語を持っているらしいが、それは先述した、重要なこと、あるいは、本能的な、生という業務的なことであって、この春のテキストのような無意味、無目的なものではない。ハチが「ねーちょっときいてよ、あのさー」てみたいなダンシングコミュニケーションを行っている、とは、おれはこれまで聞いたことがない。今は春なので、ここ数日ネコがなうなういっている。あれなんかちょっと近い気がするけど、けどいいっぱなしだし、それほど長く持続しない。ネコはNOWと言っているだけなのだろう。上手いこというだろうとかじゃなく、本当にそう思う。

トリなんかはしょっちゅうピーチクしてる。しかも相互に、四六時中やっているので、例えば熱帯のトリたちはもしかしたら「あんなー」「なにー」みたいなやりとりをしているのかも知れない。しかし、トリは書かない。トリやネコも、なにかが閃くこともあるだろう。サカナ。オヒサマ。そうしたら、「サカナ!サカナ!」とか「オヒサマ!オヒサマ!」とかいってるかも知れない。で、「ン?モシカシテ…」となにか思いつくかも知れない。「デンタツ!デンタツ!」くらいはあるかもね。さらに「ん?おれってめっちゃ伝達してね?」とか「それってもしかしたらこういうこと?」とか、脳の中で、あるいは言語それ自体が自らを編んでいくように、思考が展開するかも知れない。それを「ピーチク」とか「NOW」など、彼らの持っている言語能力で伝えるのは、多分難しいのではないだろうか。中には試みた個体もいたかも知れない。けど、多分途中で止めただろう。ヒトは、というかおれは、例えば食事中にこういうことを思いつくと、割と気軽に喋る。今は夜中なので、喋る相手がいないから、書いている。書いて、「ン?モシカシテ…」を深めたり拡張したりをしている。こんなことしてるのは、少なくともこの惑星では、ヒトくらいだと思う。いやヒトとしての限定された視野からみると、そうだというだけだが。ネコがこういうことを書いているのをみたことも聞いたこともない。植物なんかは結構あやしい。そういうことしてそうだが、まぁわからない。石もヤバい。石は存在自体が記録だ。やつらは記録として、結果として存在し、しかも育ったりしてる。けどそれもまぁ石の気持ちはヒトのおれにはわからない。ヒトは記録を石に刻む。シリコンだってまー石だ。石と記録にはなにかある。

ハチやネコと、ヒトの違いは、脳の大きさとかいわれるけども、ここではシンプルに「言語」といっておこう。言語が、この惑星の他の種族に比べて、ずばぬけて複雑なのだ。複雑すぎて、もはや言語が言語それ自身を生み出し、展開し、編み上げていっているようにも思える。誰に伝達しようというつもりもなく、どんどん自己増殖し、いや増殖どころか、自己組織化している。この文章も、書かれれば書かれる程、その思考は拡張され、蓄積し、情報量が増え続け居てる。にもかかわらず、途中で意味が不明になるとか、文字化けして読めなくなるとか、そういうことがない。バロウズという作家が「言語は外宇宙から飛来してヒトに寄生したウィルスだ」といってカッコいいが、まぁなんらかの閃きとして、的を得ている気がする。みんなもこのことをもっと真面目に考えたほうがいい。

このテキストは「春のテキスト」フォルダに保存しようかと思ったが、ブログに載せることにした。もはやどちらも大差はないような気がするからだ。


追記0330
もしかして、と思って前回「春のテキスト」を発見した時のポストがあるかも、と思って検索したらあった。2007年だった。
http://23youbi.seesaa.net/article/35514180.html

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2014年02月05日

無題

滑車が澄んだ高い音をたてて周り、稲荷の白い尻がちょうど私の顔の高さにまで吊り上げられた時に、その入れ墨に気付きました。
左の尻に、IN。右の尻に、RI。

「Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum。ユダヤ人の王、ナザレのイエス」

リリスが今にも寝入ってしまいそうな微かな声で呟いて、目を閉じました。
枷で固定された稲荷の両足が、高く掲げられた尻を頂点とした美しい三角形を描いています。その頂点には金箔で装飾されたアヌス。ルシファーはそれを「全てを見通す目」と呼んでいました。そのピラミッドの冠石、黄金の一つ目を挟むように、その聖4文字が入れ墨されています。

「おかしいかい?私たちの言葉は、すべて謎掛けになっているのだよ。」

ルシファーは大きな一枚ガラスがはめられたテーブルに顔を近づけ、そこに白い砂漠のように敷き詰められた粉に顔を埋め、すん、と鋭く吸い込んでから、白い粉まみれの鼻の頭を拭こうともせずにこちらに振り向いて、にやりと笑いました。彼の大きく膨張したペニスの先端から細い銀色の糸が垂れ、床で眠りかけているリリスの乳房に落ちました。

「イエスは一つ目だ。いや、狐といったほうがいいかな。彼は春になると里に降り、赤い鳥居の下で踊る。」
「この子は諏訪の大鳥居の下で泣いていたんだ。お腹が空いているのだと思って、私たちが持ってきた稲荷寿司を食べさせた。もっとも、東京に連れ帰ってすぐに、私たちがこの子のお稲荷さんを頂くことになるのだが」

そういってルシファーは赤い蝋燭を稲荷の尻に近づけ、陰嚢の真下にかざし、聖4文字にわざとらしく接吻をしました。チリチリ、という音と毛の焼ける匂いがして、稲荷はビクっと動きましたが、また動かなくなりました。金箔で固められたアヌスがすこし収縮しました。

「三重県では稲荷寿司を炙るそうだよ。おあげの油分を適度に飛ばして、香ばしさを増すんだ。私はまだ食べたことがない。」

私は随分前からぼうっとなって、全てが夢をみているように曖昧で捉えどころがなく、寝入ってしまわないように体を起こしておくので精一杯で、それでも裸の体を包む黒い毛皮が催眠術のように肌を愛撫する感触を楽しんでいました。ふと稲荷寿司が食べたい、と思いました。

「イナンナ」いつのまにかリリスの顔がすぐ側にあり、強いアニマルノートと微かな口臭が混じった息が私の顔にかかります。

「ナンナ、イナンナ、稲荷寿司。酢飯のスメル、スメラミコト。」

リリスは舌でリズムをとりながら私の耳に呪文を吹き込み、それとは関係ない様子で気まぐれに耳たぶや耳の穴を弄びました。稲荷の金のアヌスから涙が溢れたように見えました。私は全てがデタラメに滑稽に思え、吹き出すかわりに、クリトリスを少し刺激してだらしない甘美さに沈んでいきました。もっと何か言って欲しい。もっと私の耳の穴の奥底に、巫山戯た呪文を吹き込んで欲しい。瞼が痙攣し、蝋燭の光は堪え難いまでに眩しく黒目に差し込んできます。ルシファーが自分の手でペニスをしごき、稲荷の入れ墨の上に精を放つのが見えました。そうして彼は私のほうに振返り、リリスとは反対側の耳にゆっくりと唇を近づけます。葉巻の匂い。

「太陽をあまりみつめてはいけない」
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2012年11月16日

レクチャー告知:「タロットワークブック」講座、12月8/9日 入門編&中級編(大阪)

RWS_Tarot_21_World.jpg

「タロットワークブック」講座、最新日程がでました。(両日とも大阪です)

12/8(土)入門編
■基礎知識篇:
タロット概論
■やってみて覚える・魔術的想像力と体術
4元素のイマジネーション/エレメントの浄化儀式
■スリーカードスプレッド
スプレッド実践&グループディスカッション
■愚者の旅

↑こちらは前回講座とほぼ同内容です。前回はこの日初めてタロットを買ってきて、会場で封を切ったという方もいらっしゃいました。そんな完全ビギナーの方でも楽しんで頂ける内容となっています。

そして今回、中級編を1日追加しました。

12/9(土)中級編
☆中級編
■コートカード検証/カードと数秘術
コートカード・パーティ、数秘術解説
■リーディング・エクササイズ:タロットのためのカバラ
四元素/七惑星/十二宮と生命の樹
■タロットを使って計画を立てる
ファイブ・イヤー・ファンタジー・スプレッド(またはお金と繁栄のマンダラ)
■応用編(その他、時間とご希望に応じて)
ペンデュラムの活用
インナーティーチャー/タロットヘルパーとのコンタクト
タロットを使って、気分の落ち込みに対処する
人間関係を明確にする

↑こちらはコートカードや「ワークブック」収録の様々なスプレッドを考察していく実践的な内容で構成します。特にワークブックには収録されていないオリジナル講義「タロティストのための必要充分カバラ」は、カバラとか生命の樹とかあるけどなーんかぴーんとこないんだよなーて方におススメです。でっかい「生命の樹」を持っていってレクチャーする予定。

問い合わせ、申し込みは以下リンクからどぞ。
http://ameblo.jp/s-lightyourfire/entry-11397881903.html




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2012年10月09日

【イベント告知】『タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法』の翻訳者による あなたの人生に魔法(マジック)をもたらすタロット活用法、1日入門講座!

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来る10/28日、現代タロット研究会(現タ研)の江口聖子さんと一緒に、大阪にて『タロットワークブック』収録の各種エクセサイズの実践ワークショップを開催します。
本を読むだけではつかみきれない部分も、実際にみんなでやってみることですんなり「なるほど!」と理解できるでしょう。また二人以上で行うエクセサイズを同好のタロティストたちとワイワイ楽しめる素敵な機会。
奮ってご参加ください。(参加申し込みは下記参照)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
『タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法』の翻訳者による
あなたの人生に魔法(マジック)をもたらすタロット活用法、1日入門講座!

『タロットワークブック』(朝日新聞出版刊)の翻訳チーム、現代タロット研究会のバンギ・アブドゥル氏を講師に迎えての、タロット1日講座を開催します!

本講座は、「1日でタロット占いができるようになる」といったような、占いの手法を学ぶことが目的のタロット講座とは、少し様相を異にします。

ここでは、自分自身としっかり向き合い、自己を発見し、人生の舵取りが容易になるよう、どのようにタロットを活用するのかを学びます。
勿論、その結果として、ある程度自分自身、あるいはお友達のためのリーディングもできるようにはなるでしょう。

『タロットワークブック』の前書きで、鏡リュウジ氏は、
「タロットは、―(略)―それ自体は印刷された1組の紙にすぎない。工場で大量に印刷、生産され、世界中のマーケットに流通していく商品であるという意味では、ほかのプロダクトとなんの変わりもない。」
「しかし、たしかにタロットはあなたの人生に大きな変化を、そう、少しばかり大げさにいえば「奇跡」を起こすこともあるのだ。」
と述べています。

「タロットは、単なる占いの道具ではなく、未来の運命をも変える力を持った魔法の道具である…」
単なる印刷物であるタロット・カードに、本当に人生を変容させるような力が潜んでいるのか?
それは、あなた自身で体験してみてください!

講座では、基本的に『タロットワークブック』を教科書として進めますが、勿論バンギ氏より、本書と関連する近現代西洋魔術/魔法(マジック)についてのレクチャーも要所要所で織り込まれる予定です。

入門編ですので、殆どカードに触れたことのない初心者の方からご参加いただけます。


【日 時】10月28日 日曜日 10時〜16時
【場 所】エル・おおさか 6階 会議室608
     http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html
     京阪・地下鉄「天満橋駅」または「北浜駅」より、約徒歩8分

【参加費】11,000円(事前にお振込みをお願い致します。口座情報は、お申し込みいただいた際、お知らせします。)

【持ち物】ライダー版タロットデッキ、筆記用具
     もしお持ちの場合は『タロットワークブック』
     ※ワークシートはこちらで用意致します。ご自身の本に書き込む必要はありません。

【定員】 15名(最少催行人数5名)
     ※最少催行人数に満たない場合は日時変更の可能性あり。

****************************************
【お問い合わせ お申し込み】
Tel: 080-1509-1160
Email: reconnection-lightyourfire@live.jp 
担当: Twentythree Japan 江口
****************************************

【講座内容】
■基礎知識篇:
タロットの構成と全体像
■やってみて覚える・魔術的想像力と体術
アクティブイマジネーション/エレメントの浄化儀式/カードの中に入る
■語り合って理解する・プロフィール解釈
タロット・プロフィール解釈
イヤーカードグラフ解釈
■応用編・タロットワークブックが伝えるもの
スリーカード・スプレッド実践&グループディスカッション
アファメーション作成/魔術的TIPS
インナーティーチャー/タロットヘルパーとのコンタクト
タロットを使って、気分の落ち込みに対処する

その他、
ケルティック・クロス
ファイブイヤー・ファンタジー
お金と繁栄のマンダラ
チャクラ・スプレッド
生命の樹スプレッド
ペンデュラムの活用

など「タロットワークブック」収録のエクセサイズから、当日のグループセッションの流れによって、皆さんが実践してみたいもの、皆さんに必要と思われるものをインタラクティブに選択し、実践していきます。


【メイン講師】バンギ・アブドゥル Bangi V. Abdul
現代西洋魔術研究/翻訳/タロットリーダー
クロウリー、ケイオス、サイケデリックス、アート、ポップカルチャーを横断し「いまここのMagick」を探求。翻訳に「タロットワークブック」(メアリー・K・グリーア著/鏡リュウジ監訳/現代タロット研究会翻訳/朝日新聞出版刊)「ほうのしょ」(アレイスター・クロウリー著)他。現代儀式芸術ユニット「東京リチュアル」戯曲儀式「オペレッタ・化学の結婚」上演(2012)。
http://23youbi.seesaa.net/
http://twitter.com/bangi23

【アシスタント講師】江口聖子
翻訳/ヒーリング・プラクティショナー/タロットリーダー
日本文学/思想を専攻後、豪州・英国にて西洋哲学やキリスト教、オカルティズムにも触れる。
翻訳に「タロットワークブック」(朝日新聞出版刊)、また雑誌「スター・ピープル」(ナチュラルスピリット刊)にて、セドナのミスティカル数秘術師ノボ・カリプソの翻訳記事を連載中。


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2012年08月08日

【タロットワークブック講座】タロットプロフィール&イヤーカードグラフを作成してみる

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メアリー・K・グリーア著/鏡リュウジ監訳「タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法」7月の発売以来各方面からご好評いただけているようで、訳者の一人として大変にありがたく喜ばしい次第である。ありがとうございます。

(こちらもご参考あれ:過去ログ「「タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法」メアリーKグリーア著/鏡リュウジ監訳/現代タロット研究会訳」

さてそんな本書のオモシロどころはなんといっても「タロットプロフィール」の作成だろう。数秘術的・占星術的照応から、自身の生年月日に応じた様々なキーカードを割り出していく訳だが、これははじめてタロットを手にとった人でもすんなり深く楽しめる、とてもキャッチーな技法である。

また、こうして得られたタロットプロフィールからは、続く「イヤーカードグラフ」の作成でさらなる妙味が引き出される。手順は極めて簡単なのだが、ずらずらっと並ぶナンバーチャートと空欄グラフ用紙にやや尻込みする、という声がちらほらあったので、以下に実際にやってみて手順を紹介する。カンタン楽しく深みのあるエクセサイズであることがお判りいただければ幸いだ。



■■■パーソナリティカードとソウルカード

おれは1973年3月26日生まれ。足すと2002で、一桁になるまで足すと4となる。
すなわちおれのパーソナリティカードは4、「皇帝」である。
4桁からいきなり一桁になったので、ソウルカードも同じく4、「皇帝」となる。
ちなみに3/26は牡羊座、「皇帝」のカードの占星術上の対応も牡羊座である。(『ツァダイは星にあらず』はとりあえず無視ね)すっげー皇帝。濃い皇帝。

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短気で飽きっぽい理想家。暫定的で圧倒的な支配権をふるい、仕事が片付く前に飽きる。ええもうそのとおりでございます。本書附録Aの「カードの解釈」で「皇帝」を引くと、【アファメーション】の項に

「私は最も高い望みを達成する力と克己心を持っています」

とある。いやーそうだといいよねほんと。けどおいらもうくたびれちゃったよ。



■■■ヒドゥン・ファクター・カード

とまーこんな序盤でくたびれててもアレなので、サクサクとP26の表からパーソナリティ/ソウルカードともに4となる欄を引き、ヒドゥンファクターカード(隠れた要素、影のカード)を得る。どれどれえーと13「死」と22「愚者」ね。

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ここまでの3枚が、自分の意識的・無意識的な人格を統合して表す「タロットの星座」となる。しばし瞑想。むーん

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■イヤーカード
さて、イヤーカードいきますよ。まずは今年2012年のイヤーカードを算出してみる。

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7「戦車」ね。一見派手そうだが質実剛健、慎重に一歩一歩進む感じね。まーそうかもね。
今年は家に籠ってることが多かったし、仕事上では新分野開拓に明け暮れた。また家族が入院したりしたこともあり、人生史上初の勢いで「家族」と関わった1年だ。これはなるほど「戦車」のイメージにしっくりくる。



■■■その他のカードを算出し、タロットプロフィール完成!

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ほいほいほい、と書き込んでいって、タロットプロフィールが完成!
ちなみにタロットをメモに記す時には、例えば「ワンドの2」なら「2/W」、「ペンタクルのクイーン」なら「Q/P」とか略記するのが便利。自分にわかればいいわけで。



■■■イヤーカードグラフ

さてびよーんと間をすっとばして「イヤーカードグラフ」をつくってみる。
P61の表から、先ほど生年月日から算出した「1973年3月26日=2002」のカード4をみつけ、そこから一連の連なりを次ページの空白チャートに点を打っていく訳だが、最初に「年齢/0才」のところに生まれた年73と書き込み、そこからずらずらずらーと西暦を埋めておこう。おれはなんとなく75才以上まで生きる気がしないので、切りのいいところで西暦2050年まで埋めてみた。

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で、0才の時には「4」、そこから表に従って毎年のイヤーカードの印を打っていき、分かり易いように直線で結んだ上で、ぐわーと過去を思い出していろんな人生上のタイミングを書き込んでみる。特に思い出すトピックがなくても、直線の始点と終点の年を思い返してみると「なるほどねー」という出来事がスポスポ当て嵌まっていくのではないだろうか。

■73年「皇帝」で誕生したおれは、80年「欲望」で終る最初の10年周期の節目に、大阪から名古屋に転居。

■再び「欲望」が現れる89年から次の10年周期開始にあたっては、ドロップアウトした高校を通信制に切り替え、老人病院リハビリ室に就職。これが人生初の職業だ。生命力を持て余し生き急いでいたこの頃の雰囲気はなるほど「欲望」ですかそうですか。

■さらに次の10年周期の開始の年01年(カード:司祭)には人生初の海外旅行で中央アフリカ・ザンビアへ。中古ベンツでの中央アフリカ放浪、日蝕&トランスパーティの洗礼を受けた。街での試みに一区切りをつけ、太陽と月が重なる一点を目指して地球の表面をぐるっと移動してみたこの経験は、現在のスピリチュアリティ探求(司祭)の方向性を決定づけたものだ。

■次の10年周期開始、つまり2011年(カード:恋人)は広告代理店を退職。震災をきっかけに「散都」のイメージに導かれて岡山移住を決めたのだが、前回93年に「恋人」が現れた時も、このまま病院で看護士を目指すか、全く別の人生を模索するか、二つに一つの決断を迫られたタイミングであった。「恋人」とはまさにそのような決断、二者択一を象徴するカード。



やるじゃんメアリー。総じて、グラフに現れた10年周期の終了/開始は「移動/旅」で彩られている。他にも要所要所でのイベントが、同じカードの年に共鳴するように起きていたりして、感慨深い。

■最初の自分の会社を設立した年と、二つ目の会社を設立した年は、ともに「隠者」のカードの年。

■現在の妻と同棲を開始した年と、正式に結婚した年はともに「死」のカードの年。「死」はおれのヒドゥンファクターカードでもある。

■はじめて「業(ART)」が現れる10年は、初の広告賞受賞作品を制作していた最中。(受賞は翌年度)

へー面白いねーいやーなんなんだろうね人生て。いやはや。とまー一通りグラフを作ってみるとこんな感じに過去の人生史に象徴的なレイヤーを透かしてみる面白さを味わえるのだが、このグラフのオモシロは過去方向だけで味わうものでは勿論ない。



■■■未来はどうなるの?

グラフは未来方向に、自分の気の済む先までタロットを当てはめていくことができる。過去の出来事とそこに現れているカードを手掛かりに、今後の人生にどのようなタイミングがあり得るのかを予測できる訳ですね。予測ていうか、なんか今後の行動に「あ、次にあのカードが出るの○○年か」という風に、行動のガイドリズムにする、てイメージかな。

例えばおれの場合、どうも「死」が現れる年が重要な節目となっているようなので、今後「死」が現れる年を貫く横線を引いてみた。すると18年、27年、36年、45年が「死」の年になることが一目瞭然となる。最後の「死」の年に死ねば享年72才、タロット72枚の旅が切りよく終る訳だが(※1)、先述のとおり、なんとなく75才くらいじゃね?と思っているのでその年、48年をみるとカードは「塔」。うん、これも確かに死にそうだ。

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しかし、ここまでの人生でまだ登場していない、つまり体験していないカードが幾つかある。77才まで生きれば、この人生ではじめて「月」のカードが現れるのだ。せっかくだから「月」も体験してみたいので、おれは自分の寿命イメージを2年延長し、「月」がもたらす「魂の暗い夜」「黄泉の旅路」の体験をもって人生の晩年を飾ろうではないか、と心がけるようにした。

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■■■イヤーカードグラフの意義

こうして人生の過去と未来にタロットの象徴性をマッピングしていくことは、単に占い的な楽しみにとどまらない意義を持っている。タロット1枚1枚の象徴性は、究極のところ個別のカードとの1対1の瞑想によって関係性(ラポール)を築いていく他ないのだが、イヤーカードグラフを作ってみることで、実際の人生での体験とカードが結びつき、瞑想の「お題かつ解答」として、ぽんと目の前に提示される訳だ。それは、自分にとって「皇帝」が、「司祭」が、「恋人」が「死」が、どのような意義を持っているのか、どんなメッセージを含んでいるのかを、自身の人生をガイドブックとして探求することに等しい。イヤーカードグラフをつくり、人生のイベントを書き込み、初恋の甘美や別離の痛みを再体験しながらカードのメッセージを読み取ろうとするプロセスは、そのまま非常に強力なタロット瞑想であると言えるだろう。

グリーア女史のタロット文化への貢献の最たるもののひとつが、このメソッドであるとおれは思う。78枚全部、瞑想してパスワークして、マスターしていきたいですよそりゃ。けどさー1日1枚とか、1枚1週間とか、そういうカリキュラムを自分に課してやるのって大変じゃん。やってらんないって。忙しいし。そこで「ほら、あんたの人生に大アルカナをマッピングしてみれ。あんたの体験とカードの関係、興味あるっしょ?」という導入は、教育法として極めてエレガントで強力だ。一枚一枚のカードを、自分ごととして、体験として、知らずのうちに内化していく。この大アルカナマスター法を思いついた時の、希代のタロット教師グリーア女史のにんまり笑顔は想像に難くない。

グリーア女史は、伝統やオカルティックな秘密教義よりも、まずリーダー(読者)自身のひらめきと、その人生のシンクロニシティを信頼し、委ねる。タロットについて、難しいことなんか何も知らなくていい、ただ人とカードが出会えば、そこには意味のある語らいが必然的に生まれるのだ、そのピュアな出会いこそが重要なのだ、という信念が本書を通底しているように思える。

興味を持たれた方は是非、ご自身のイヤーカードグラフをつくって見て欲しい。そこで得られた何らかの発見や、新たに生まれた謎など、ツイッターなどでシェアしていただければこれまた幸いの極みである。本書の他のエクセサイズについても、ご質問やご要望などがあればこのブログで実技解説の機会を持つ所存である。

※1
(9/4付記)「タロット78枚の旅」の誤記である。タロット72枚の旅?何書いてんだおれ、と思ったらソロモン72柱の悪魔ですねそれ。GD体系ではホロスコープの10度区分(decan)にエースを除く小アルカナ2-10の36枚を対応させ、そこに2柱ずつ悪魔を配置している。つまりタロット72枚の旅とは1年間昼と夜のGoetic Travelとなる訳だ。やだなーw
「タロット78枚の旅」の完遂を目指すならおれの寿命イメージも当然78才まで延長するべきだろう。翌年をみるとなんと!新たな10年周期の開始にあたり「運命の輪」が! というわけでボーナス10年を追加し、おれの寿命イメージは10年周期の最後87才まで延長されたのであった。そこには「太陽」が。うん、死にそうだ。




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2012年06月28日

「タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法」メアリーKグリーア著/鏡リュウジ監訳/現代タロット研究会訳


不肖Bangiが翻訳チームに参加、鏡リュウジ氏監訳で訳出されたMary K. Greer "Tarot for your self" 全訳「タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法」が朝日新聞出版より刊行されたのでここにお知らせ。

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 本書は80年代以降の欧米タロットシーンに起きたひとつの「革命」の発端となったベストセラーであり、長らく訳出が待ち望まれていた「現代タロットのモダン・クラシック」である。本書以降の欧米「現代タロット」シーンは、いまだ充分に日本の読者に紹介されているとは言い難い。2007年にはジョアン・バニング「ラーニング・ザ・タロット―タロット・マスターになるための18のレッスン」が伊泉龍一氏によって訳出されているが、ともかくもこの2著をもって、日本語圏での欧米最新タロットシーン紹介がいよいよ開始されたといっていいだろう。

 本書「タロットワークブック」において、タロットワークは単に「占い」のツールとしてではなく、ユング心理学、黄金の夜明け/クロウリー経由の西洋秘教伝統、そして70年代カウンターカルチャーからニューエイジへと連なるモダンスピリチュアリティを統合した「自己探求と自己変容」のツールとして位置づけられている。そして読者自身がタロットを手に取り、Q&Aとエクセサイズを体験し、ページに書き込みながら読み進むワークブック形式となっている。

 著者メアリー K.グリーア氏は豊富なタロット関連著作に加え、"Women of the Golden Dawn: Rebels and Priestesses: Maud Gonne, Moina Bergson Mathers, Annie Horniman, Florence Farr" (1996)や、ドナルド・マイケル・クレイグとの共著 "Tarot & Magic"(2002)などの著作があり、イシス友邦団Fellowship of Isisの高等女司祭を務めるなどバリバリ「その筋」の人だ。

 また同時にアロマテラピーやクリスタル、エナジーワークなど現代的スピリチュアルアイテムを柔軟にタロットワークに統合するなど、極めてモダンで女性的なスピ感性を体現する人でもある。そんなグリーア氏の記念碑的ベストセラーとなった本書の面白さと「使える度」はまさに超A級であり、現在も継続する欧米「タロット革命」の熱源足り得るのも納得の1冊。本書の訳出に関われたことはおれ自身大変光栄に思う。

 本書ではベーシックなHow Toに加え、ケルティッククロスのさらなる詳細解析、パーミュテーション(置き換え法)によるスプレッド拡張、生年月日から対応タロットを割当て自身のパーソナリティ解析を深める技法etc. 、タロットリーダーが現場で使える実践的知識、タロットワークを開始する前の「4元素による浄化」のアクティブイマジネーション、「タロットの中に入る」パスワーキングといった西洋近現代魔術から抽出された技法、そしてペンデュラムやクリスタルとタロットの併用、エナジーワーク的身体技法など70年代カリフォルニア文化からニューエイジへの流れを踏む現代スピリチュアリティのエッセンスが見事に統合されている。

 まさにこの1冊で60年代オカルトリバイバル、70年代カリフォルニア〜ネオペイガンムーブメント、80年代から現代に継続するスピリチュアルカルチャーをタロットによって横断する「至高の宝石箱」の読書体験が凝縮されているのだ。

 またタロットの起源に関する学術研究の最新成果も附録として収録されており、タロットリーダー、魔術師/魔女志願者、ヒーラーやモダンスピリチュアリストからアカデミックな書斎派までもを魅了する、奇跡的なまでにワイドレンジで包括的、実践的なテキストブックとなっている。この点からも、タロットを初めて学ぼうとするビギナーにこそ、この1冊から始めることを強くお薦めできる。本書には「あなたにとってタロットとは何であり得るか」という誠実な問いかけと、探求の旅路への最上のナビゲーションが用意されているからだ。

 本書は最初の一歩を踏み出す瞬間にあなたの背中にそっと手を触れ、また長い旅路を常に伴侶として寄り添い続けるだろう。占い師、オカルティスト、魔女っ子、ヒーラー、シャーマン、読書家蒐集家そして恋人達よ、2012年の「タロッティストの夜明け」に刮目せよ!

いやホント。

PS.
訳者あとがきも「現代タロット研究会」を代表して不肖Bangiが超エモいやつを書かせていただいたので、そちらもお楽しみあれ。

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書籍タイトルなどは透明フィルムカバーに印刷してあり、カバーを外すと目にチカチカくるブルーとピンクの「愚者」だけの悩ましげな表紙になります。フィルムカバーをつけてコーヒーもカレーも納豆も無敵にエクセサイズ、はたまたカバーを外して思わせぶりに無言な愚者をお洒落カフェのお伴に。イケてる感じにつくりました。ENJOY!





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2012年02月22日

時間憲法 Constitution Of Time


昨年から暖めているアイデアで、2013年にNPO法人設立と併せて進める予定のプロジェクトについて、さわりだけだがここに記しておこうと思う。

そのアイデアは昨年11月頃、東京から岡山への約10時間の(助手席での)ロングドライブの最中に、ふと閃いた。




■311、未来への想像力

原子力技術の問題点は様々なレベルで論じられるが、「未来に対する責任」を問う倫理的な問題としての批判は思いのほか少ないように思われる。当然そういった視点からの危機感は広く共有されてはいるだろうが、明瞭に言語化されてないのではないか。

それはひとえに、我々人類が10万年ものスパンの時間軸を扱うだけの想像力を持ち得てないことに依るのではないか。

手元に資料がないのでうろ覚えだが、フィンランドのオルキルオトに建設される放射性廃棄物保管施設は、10万年後の文明に対して「ここに危険な放射性廃棄物が保管されている」ことを伝えるための施設デザイン案を公募した(だったと思う。ヨーロッパのどこか他の施設かも知れない)。10万年後となると文明も言語もどうなっているかさっぱり予測できないので、鋭角でトゲトゲしく向き合う灰色の塔など、象徴的・元型的なレベルで「入るなキケン」というメッセージを伝える建築デザインのコンペティションとなり、数点みた応募作品の戦慄が走るような美しさに息を飲んだ記憶がある。これなどは、人類が10万年後の世界に対する想像力を獲得しようともがき、メッセージを伝達しようという意志を表した例だが、他にも同様のスケールの時間軸を扱うプロジェクトがあるとは寡黙にして聞かない。

現在の未熟な原子力技術の根本的な問題点は、未来に対する無責任だ。未来に対するViolationがかくも公然と行われる理由は、それが悪いことだと考えていないから、すなわち時間軸に広がる想像力と倫理を未だ人類が獲得していないからだ。しかし、311を経て我々は数千年、数万年単位での汚染という危機に直面し、それが今日明日の日常の危機と地続きであることを思い知った。

広島、長崎、福島と3度に渡る核汚染を経験した日本人の脳神経回路に、必然性に導かれて遂に発火するあるアイデア。それは空間座標のみならず時間軸座標に拡張される倫理の体系、すなわち時間憲法 Constitution of Timeだ。(※1)



■空間の倫理/時間の倫理

「人権」や「平和」といった、これまでどうにかこうにか人類が獲得してきた(いわゆる)「人類普遍の価値」と並び、次なる文明の成熟段階において必ずや到達するであろう、その到達なしには文明の終焉を覚悟するほかないであろう(進化をやめた生命が留まることはない。進化を放棄した瞬間、それは直ちに退化し始める)人類の新たな倫理、その表現形態が「時間憲法」だ。

「自由 Liberté」「平等 Égalité」という概念が示すように、人類の現時点での倫理的到達点は「空間的な」想像力に依拠している。万人は「地球上のどこにいても」すなわち「空間的」に等しく尊重され、幸福を追求し、相互理解と寛容をもって平和と繁栄を目指すという倫理的責任を、人類はどうにかこうにか獲得した。これだって割と最近のことだ。大航海時代を経て通信衛星と電子メディアによる「空間のフラット化」が、「空間的」人類普遍の価値というものをかろうじて生み出した。エチオピアの飢餓は救済されねばならず、中東の民衆は独裁政権から保護されねばならず、男女は同じオフィスと給料で労働できなければならない、という訳だ。

交通と通信の技術発展は、この惑星表面の有限性の認識に基づく「最大多数の幸福」を追求する必然として「球形の膨張=フラット界面の獲得」という結論を既に予感させている。次に起こるのは、情報技術の発展による「記録」と「記憶」とのフラット化と、「歴史」の変容、率直にいえば「時間の終わり」だ。



■単線時間軸の終焉

いうまでもなく「歴史」は常に解釈され、変奏され、改変され放棄されてきた。ボトムアップ式に生成と淘汰のメカニズムによって形成されてきたのが「神話」であり、国家をはじめマルチレベルなコミュニティにおけるコモンセンスによって定義・運用されてきたのが「歴史」である。しかしその両者は、現在の情報技術的状況において避け難い変容を迫られている。(※2)分散型ネットワーク上にあらゆる出来事が記録され、ハイパーリンク化された無限のコンテクストが一瞬一秒生成され続けるこの世界で、歴史の単一性、神話の権威、すなわち「単線の時間軸」はもはや不可能となる。全ての起こりえた過去と全ての起こりえる未来が融合・フラット化した時、人類は「異なる時間軸」間の交通を確保する基本ルールのグランドデザインを獲得しなければならなくなる。(※3)


■時間憲法 Constitution of Time

時間憲法は、大きくは上記二つの「時間軸上に拡張される倫理」と「異なる時間軸間の共有倫理」を規定する。我々は未来を略奪してはならない。我々は過去を搾取してはならない。我々は異なる時間軸を尊重し、相互理解と共存を目指さなければならない。異なる時間軸間の使節、また旅行者は、その安全と権利が保障されなければならない。



この新たな倫理の獲得と表明によって何が起きるか。

それは現在の原子力技術の何が問題でなぜ克服しなければならないのかという問題に、倫理的基盤を提供する。

それは異なる時間軸の共存を可能とするための倫理的基盤と実践のグランドデザインを提供する。

そしてもうひとつ。これは後述する。



目下のところ、時間憲法そのものについて語るのはここまでにしておこう。現在、憲法学者やアーティストなど様々な人たちとアイデアをシェアし、協力関係を築き、さらに深く掘り下げながら「憲法草案」というかたちに纏めあげ、しかるべきタイミングで公開する準備を進めている。

この憲法草案はオープンソースプロジェクトとして共有される。すなわち、ネットワーク化された集合知による人類最初の憲法をつくる、という実験でもある。





■余談

人類学者/化学者テレンス・マッケナの「タイムウェーブゼロ理論」では、火の獲得から車輪の発明、自動車や航空機に情報ネットワークへと至る人類の技術の進化は、累乗的な加速度を伴っているとする。すなわち、車輪から自動車までの進化に数万年を要したのに、自動車から航空機までは僅か200年程度で到達、飛行機から月面への人類着陸は僅か50年ほどしかかかっていない。この加速度曲線を基にマッケナはタイムマシンの発明を2012年と予測した。

しかし、2012年すなわち今年中に、人類はタイムマシンテクノロジーを獲得できそうかというと微妙なところである。これはどういうことだろう。

2012年を「タイムマシンテクノロジーの実現」ではなく、先述のような「時間概念の拡張」として捉えると、昨年末からおれの頭に飛来し今このブログ記事として公にされた時間憲法プロジェクトの持つ意味が見えてくる。

もうひとつ。
「時間憲法」は、「異なる時間軸間の使節・旅行者の安全と権利」を保障する。
人類の意識と文明の成熟度がこの時点に到達したことを見て取った瞬間、既に「異なる時間軸間の連合文明」を実現した知性は我々の時間軸に外交官を派遣するだろう。そして我々に、いわゆるタイムマシンテクノロジーを贈与するだろう。

タイムマシンテクノロジーとは、我々人類自身が、現在の科学技術の延長線上に発見・獲得しなければならないものではなく、またそんなことは不可能かも知れない。しかし、我々がその技術を所有するに値する、高い文明度と倫理哲学を獲得した高度な知的生態圏であることを証明できれば、それは突然我々の時空間に穿たれた穴を通じて、渡航の安全と真摯な対話の機会を憲法によって保障された時間外交官の公式訪問をもたらす合理的な理由となり得る。


このプロジェクトは2013年を目標として設立されるNPO法人「瀬戸内海文明デザイン&コミュニケーション」の最初のプロジェクトとして推進される予定である。書き足りないことも膨大にあるが、ひとまずは筆を置く。(※4)

2012年2月22日 常に新しい都にて
KAOTAOATOAK





※1
「憲法」と書くと大事に思えるが、英語では日本国憲法もWHO憲章も同じConstitutionである。時間に関する人類普遍の倫理を規定するConstitutionは、たとえばWHO憲章やユニセフ憲章などと同じレベルで実現可能なことに過ぎない。


※2
記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済 武邑 光裕 http://www.amazon.co.jp/dp/4130634526/ref=cm_sw_r_tw_dp_wRhrpb0HVXJV9


※3
黒人も白人もイエローモンキーもわたしたち人類皆兄弟。イルカもクジラも宇宙人もお友達。我々はみな「この」宇宙の「わたしたち」これに根本的な異論が唱えられることは現代ではそうそうにないだろう。翻って時間憲法が提示する新たな挑戦の地平とは、ご先祖様も未来人も、「全てのあり得た、あり得る宇宙」のみんなが「わたしたち」だという認識に我々が到達できるかどうか、ということである。放射性廃棄物の件をみても、現在の人類は未だこの認識に到達し得ていない。

※4
ついでに近況報告。今はこれやってます。
http://www.eugenius.jp/ichi311/index.html



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2011年06月12日

想像してごらん(池田信夫先生に捧げる)

Imagine 想像してごらん

Imagine there's no option 想像してごらん 選択肢なんてないんだと
It's easy if you try やってみれば簡単さ
No nuclides below us 地面に放射能なんかなくて
Above us only clouds 空には雲があるだけ
Imagine all the people 想像してごらん みんなが
Power on today 今日も電気を使ってるって

Imagine there's no community 想像してごらん コミュニティなんてないって
It's not hard to do そんなに難しくないさ
Nothing to cancer or leukemia 癌や白血病に原因はなく
And no dosimeter too 線量計もない
Imagine all the people 想像してごらんよ みんなが
Living in reference line 基準値内で暮らしてるって

You may say I'm a dreamer 僕のこと、夢想家だって思うだろ
But I'm not the only one でも僕一人じゃないんだ
I hope someday you'll join us いつか君もこちら側にきて
And the world will be as one 世界はひとつになるんじゃないかな

Imagine there's no monopoly 想像してごらん 独占はないって
I wonder if you can 君ならできると思うよ
No need to save or abolish 節約も廃止も必要ない
All-electric of man 人類のオール電化
Imagine all the people 想像してごらん みんなが
Sharing all the stocks 電力株を持ち合ってるって

You may say I'm a dreamer 僕のこと、夢想家だって思うだろ
But I'm not the only one でも僕一人じゃないんだ
I hope someday you'll join us いつか君もこちら側にきて
And the world will be as one 世界はひとつになるんじゃないかな

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611同時多発デモ@岡山

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岡山市内でのエネパレ611デモに参加してきた。
http://enepare.blog.fc2.com/

東京高円寺での大規模デモに共鳴するかたちで主催されたデモ行進で、勿論岡山ではいわゆる「ニューウェイブ系」デモとしては初とのこと。主催者発表500名が参加。

デモは終止穏やかな雰囲気に包まれていて、整理にあたる警察官も極僅か。都合3人くらいしか見なかったが、3人もいればなんとか仕切れそうな雰囲気だった。

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サウンドカーなどは登場せず、各自思い思いの鳴りもので自律的なリズムを楽しむフリーセッションのよう。
路行く人たちも好意的に見守る感じで、ショップの軒先から、カフェのテーブルから、デモ隊との間で笑顔とCheersが交わされる。

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高円寺でのデモは先導する杉並警察署の車輛上から終止杉並警察署長が警告を繰り返し、爆音PAを積んだサウンドカー上ではハードコアやフリージャズのバンド、絶叫と雄叫びのアジテーター、イカレ度高めのトリックスターたちという、一種の「殺気立った感じ」がデモのテンションをいい感じに高めていたの(*1)に比べると、岡山デモにはその「殺気」はない。

これはつまり、身体的な危機感の差からくるものであろう。東京では余震も継続し、放射能に対する身体的危機感も誰しもがリアルに感じており、つまり皆「ピリピリ」しているのであり、反原発デモはその身体感覚のテンション上に、「日常」への同調圧力に反抗する極めて政治的意味の強い場であった。

しかし岡山では相対的に身体的危機感は薄く、デモ行進の身体は「戦闘状態」ではなく「合同礼拝」のようなテンションに調律されていく。昔ながらの左翼運動家たちの「闘争的」ビラもまくにはまかれるが、打楽器と歩行リズムによるフリーダンスセッションの前で、その意味は漂白されていく。

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おそらく、関東以西の各地方でも同じような空気ではないだろうか。おれはこの点に、今起きている「うねり」の可能性を見る。
いま起きていることは、おそらく、既存の文脈でいう政治行動Political Actionに留まるものではなく、ある種の締念から精留された祈りと、閉塞した世界に穿たれた一点の風穴から吹き込む冷たく新鮮な気流の知覚への率直な歓喜、祭りの予感に溢れた、より混沌として力強く、明るいものであるように思える。

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誤解を恐れずいえば、今起きているこのうねりは、21世紀の「ええじゃないか」運動という側面を持っているのではないか。そしてそれはデモの持つ政治的メッセージの切実さとActionの価値を貶めることではなく、むしろ20世紀的なイデオロギー闘争のフレームワークを軽やかに飛び越えていくための、極めて重要な視点、支点となり得る。

反原発デモなんてのは、原発がある限りいつやってもいいのだから、毎月、あるいは隔月、季間と、ずっとやり続ければよい。
そうやって、いわば原発を口実に、集い、騒ぎ、怒りも喜びも身体と時空を介して表現することの「悦楽」を浸透させていけるのではないか。

例えば岡山城下には穏やかな旭川を取り込んだ美しく大きな公園があるのだが、ここが例えば東京代々木公園のような、誰がなにするでもなく、しかしある時には誰もがそこにいるような「場」とはなっていないとのこと。全国地方都市におそらくあるこうした「場」のポテンシャルを解放し、天気の良い日や夕日の奇麗な夕べには公園に集い、飲んだり喋ったり踊ってみたりすることの楽しさを知る人間の絶対数を増やしてしまう、その口実として、今後しばらくはずっと、いつでもやれる原発デモをオーガナイズしていく、という戦略。

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そのうちに、デモの「ご当地化」が予想される。オーガナイザーは経験を積み、アジテーターは洗練され、参加者は「どう楽しむか」のノウハウを蓄積していくだろう。最初は「スタイル」を模索しサウンドデモを記号として参照しつつの試行錯誤がペースにのると、おそらく、例えば徳島では阿波踊りの新興連が、高知ではよさこいチームが、青森では若手アーティストによる現代ねぶたが繰り出してくるだろう。反原発というコンセプトは、それを可能とするくらい強い説得力と集約力を持つ。レイブカルチャーが結局はなし得なかった「祝祭の爆散」が、「真面目なええじゃないか」が、もしかしたら、今、可能なのかも知れない。

踊ること、叫ぶことがそのまま祈りであり瞑想であり得るような、そんな精神性と身体感覚を体験的に知っている、ある世代ある層が提示できる反原発の姿勢Attitudeと行動Actionとは、原発そのものよりもむしろ原発利権構造の温存を可能とした現代社会の最も深層にある「なにか」を不可逆的に更新するものであり、その目的の下に、「うねり」はイデオロギーと言語的閉塞の罠に絡めとられることを回避し続ける。さらに誤解を恐れずにいえば、お題目としての「反原発」(*2)に拘る必要もなく、むしろ観念的な「反原発」に絡めとられそうになるその瞬間にいつも、「なにか」を察知する霊感と「なにか」に対峙する身体感覚を取り戻し、新たなる脱出速度に向けて加速しなければなるまい。この世代、この世界、「今」、可能かつ有効なPolitical Actionとはそのようなものでしかあり得ない筈だ。(*3)

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(*1)
その模様はバイノーラルマイクで収録し、以下のURLにて公開している。
カナルタイプヘッドフォンで立体音場を体験して欲しい。
http://www.youtube.com/user/KAOTAOATOAK
http://soundcloud.com/bangi23
また、「殺気立っている」というのは一種の心象風景の描写であり、実際のデモは何ら暴力的な要素はなく極めて穏便なものであったことを誤解なきよう追記しておく。さらに加えると、個人的には何が起こるかわからない創造的な「殺気」に溢れた場のほうはむしろ好みである。デモンストレーション、即ちお洒落のしがいもある。

(*2)
「反原発」とは根源において「永遠とはなにか」もっと当世風にいえば「持続性Sustainabilityの作法や如何に」という問いであり、その問いを抜いてしまえば「反原発」はコストとリスクの勘定書のもと「もっと安全な原発を」求める運動にスライド可能である。それはそれで結構なのだが、おれの興味はそこにはない。

(*3)
アレイスター・クロウリー「法の書Liber AL ver Legis」

2:27 わが内には重大なる危険がある。何故なら、これらのルーン文字,北欧古代文字を理解せぬ者は重大なる失敗を犯すであろうからだ。彼は、「だからBecause」と呼ばれる奈落へと落ち、そしてそこで彼は「理由Reason」の犬どもと共に滅びるであろう。
2:28 今こそ「だから」とその同類に呪いをかけよ!
2:29 願わくは「だから」が永遠に呪われんことを!
2:30 もし「意志」が立ち止まり、「だから」を召喚しつつ「何故」と叫ぶならば、「意志」は停止し何をも為さぬ。
2:31 もし「力」が何故と問うならば、「力」は「弱き者」となる。
2:33 「だから」にはうんざりだ!犬故に呪われよ!

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2010年09月11日

仏教伝来2010


これは伝導しなければと思いました。



ニコニコ動画では意訳テロップがついてこれがまた成仏なのでアカウントある方は是非。
ない方もアカウントつくって是非。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm11998050

今何かが起こっている。素晴らしいかも知れない、そうじゃないかも知れないなにかが。

心配すんな、大丈夫だ。
posted by bangi at 02:09| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

今年の正月、夢日記

もうたいがい忘れたが、今年は小刻みにこじんまりとしたいい正月だった。

千駄ヶ谷オフィスで最後の忘年会をかたづけ水戸へ。
食って寝て起きたら大洗磯前神社に初詣。
http://oarai-isosakijinja.or.jp/

一寸法師伝説に繋がる少彦名命と、その国づくりパートナーである大己貴命が祀られている。おれはかつて夢で大国主命を名乗る男に会ったことがある。

ぼーと立っていると地平線の向こうから小さい人が歩いてきて、大国主命のエージェントと称する。ここでぐいっと明晰夢状態に誘導し、ほんとに?何の用?とやや訝しがってみせる(お約束というか、作法というかそういうものなのだ。)が、面白いし他にすることもないのでついていく。

案内されたオフィスは白木づくりで神社ぽくはあるがやはり清楚なオフィス空間で、しばらく座ってると福々しくも若々しさと才気に溢れたやり手風中年男性が登場、大国主らしい。常世の国でなんらかのコンサルタント業務を担当しているらしく、シンクタンク風のオフィス空間でなんらかのプロジェクトを打診された気がする。

おれはなんとなくよくわからないのと関心がもてなかったのとで前向きに検討しますごにょ、くらいの社交辞令的返事を返した。幸い時間はたっぷりあるらしく、大国主は別段気にしてないようだった。面談は10分程度で終わった感じ。目が覚めた後、大国主が同世代くらいでいい感じなビジネスマインドをもった感じに好印象。大した話でもない風なのも、別にあっちのほうでは国難とかそんな深刻な感じじゃないっぽくて一安心だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大国主

まーそんな夢を過去に見たことや、長らく大黒ビルに住んでいたこともあってなんとなく大国主てのは身近に感じていたのだが、今回の初詣旅の主軸は少彦名命に置かれていた気がする。義理の甥(3歳)の愛読書であるオムニバス絵本ではふと一寸法師のお話を読みふけってしまったし、海を渡って異界からやってくる小さい神、それを精子、遺伝子のメタファーとして読めば、次の10年のおおざっぱなビジョンとも合致する。今年は小さい感じがいい。小さくいくぜ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/スクナビコナ

水戸から帰って寝てみた夢、つまり初夢は、これまたいい感じに鮮明な半明晰夢だった。なにやら悪の魔術師が首のない巨人の遺体をつかって邪心スサノオ(夢の中での設定である)を召喚しようとしているらしい。古書店に集まっているインディペンデント系の魔術師が「あれはどうかねー」などとやや批判気味にそれを論じている。おれはインディ系古書店組合の連中とあれこれ話しながら(昔ちょっと顔見知りだったような、くらいの親密感)書架に並ぶ魅力的な背表紙に魅入られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/スサノオ
http://www.haizara.net/~shimirin/kt/y-yoshida/sun3.html

しばらくして、スサノオ召喚儀式が佳境に入ったらしく、辻でやな感じのつむじ風が起こる。なんとなく腕試し的なノリで邪心召喚を妨害すべく辻にでると、黒魔術師と対面。即座にお互いのイメージを上書きしあう抽象度対決に突入したのだが、夢を見ている状態でさらに能動的に夢をみるような、非常に不思議な感覚。そんなこともできるんだなーと感心した。対決はまーやや優勢気味くらいでうやむやに終了。古書店の仲間連中の前で対面を保てた程度の満足感で夢見終了。

初夢としてはどうなんだ、という感じだが、明晰夢独特の鮮明さでみた頭無し巨人の青緑色の体の不気味な美しさ、スサノオ召喚を目論む黒魔術師とそれを警戒するインディ系魔術師たち双方のクールなセンス、そして「明晰夢のなかで明晰夢をみる」イメージ操作体験の、どれもがここ最近の夢見ベスト3ランクインのクオリティだった。満足。

2日は皇居に出向き、東京駅でカツカレーを食い(正月の人のいない東京でおれはなぜか無性にカツカレーを食いたくなる)新居にいとこ連中を迎えてお年始のご挨拶。由緒正しいお茶の水の自然育児幼稚園にひょんなことからご子息を通わせることになったいとこ嫁の及び腰な困惑、テレビをみるようになった母(いや前からみていたかも知れない)など、おれが長らく注目してこなかった身近なリアリティに改めて感じ入る。

3日から4日にかけては地元の新しい氏神様にお参り、片付けついでに恵比寿神社にお参りし、鎌倉知人宅でこたつ夜会、横浜中華街で知人のジャムセッション観戦。昨年程大移動はしなかったが、コンパクトにフットワーク軽く過ごせて今は鋭気充分。満足。
http://www.myspace.com/nozenoise

さて2010年、新たなDecade初年に突入した訳だが、
じゃーんここで唐突に昨年&今年の発見&抱負。

2009年の発見
・苫米地英人の冴え
「抽象度」はなにげにマイブーム。「苫米地英人宇宙を語る」が彼のPost Modern Illuminismの目下のところエッセンスか。
トリックスターという属性も丁寧におさえつつしれっと時代のデプログラムを目論む彼には今後しばらく注目しようと思う。


・宮崎アニメvsアバターにみる東西物語の制空権争い
中華の記憶へのまどろみvs異星の恋人のAstral Projection
Neuro warsは始まっている。

・抽象度が高くなると時間は減速する

ういーひっく。では2010年の抱負は、、、

・コンパクトに、小さく効率的に、素早く
うん、一寸法師だね。極小CPUの絶え間ないクロック加速のような。それと苫米地用語を援用すれば抽象度をより高めていくこと。Time wave zero祭りに向けて、明晰なニューロダンディズムを極めていきたいと思います。

・語り、舞いへの回帰
ことば、からだ、ひかり。そういうものの直接操作、すなわちアウトプットにまい進します。

・圧縮
こどもをつくり、そだてます。

積み上げタスク:
HIKARI、GORUGOTH、KISS AND CRY、Misa Joey、ジャム、あっちのドキュメンテーション、こっちのローカライゼーション、請負任務の完遂、離陸。

各方面今年もなにとぞひとつ。










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2009年12月11日

REALITY

2009年12月7日
鳩山首相 「『トラスト・ミー』というのは、『おー、私を信じて下さい』の意味。具体的な移設先を言ったわけではない」
http://www.asahi.com/politics/update/1207/TKY200912070335_01.html



9日
日米首脳会談、米側が事実上の拒否
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091210-00000448-yom-pol

仙谷・行政刷新担当相「文化大革命が起こってますよ」
http://news.livedoor.com/article/detail/4494734/
2回目の「文革」発言。わかってていってる。
一度目はこちら
http://23youbi.seesaa.net/article/132764803.html



10日
民主・小沢幹事長が中国に向け出発 議員ら626人同行
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091210-00000523-san-pol
626人同行。遣隋使かつーのw



小沢氏「私は人民解放軍の野戦軍司令官」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091210-00000620-san-pol
仙谷「文革」に続いて小沢「人民解放軍」宣言。



11日
中国・習近平副主席が来日時に天皇陛下と会見…香港で速報
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1211&f=politics_1211_009.shtml

「副主席」が手続き無視の「特例」で「天皇陛下」と会見。

習近平副主席はウルムチ地区ウイグル族暴動鎮圧の責任者。
ウルムチ・ウイグル族自治区暴動
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/uyghur/

天皇陛下と中国副主席の突然の面会設定に宮内庁困惑
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/index4.html?now=20091211191051
宮内庁、異例の苦言とネタばらし「政府から再三の要望でやむを得ず」


中国内権力抗争への肩入れに天皇を政治利用。
右も左も度肝抜かれる歴史的大ニュース。
君のTVでは、報道してるか?

Welcome to the REALITY, ha,ha,ha




その他のニュース

宇宙の「暗黒物質」検出? 本当ならノーベル賞級の発見
http://www.asahi.com/science/update/1211/TKY200912110276.html

ノルウェー上空に謎の渦巻き出現 ムービーは必見
http://www.dailymail.co.uk/news/worldnews/article-1234430/Mystery-spiral-blue-light-display-hovers-Norway.html


posted by bangi at 21:10| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

文化大革命

各方面仕事遅れているしフェイズとしてもまだ微妙な時期だしでほんともうちょっと黙ってようと思ったのだが、なんだよこれw

民主党仙谷由人行政刷新担当相「政治の文化大革命が始まった」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091113k0000m040079000c.html

文化大革命


いずれにせよ黙ってようと思ったおれがやっぱり書いとこうと思った理由は、この議員のプロフィールに現れたエリスティックな遊戯、シンクロニシティだ。

このニュースをみて、今日のPhase of realityはある段階に突然に、周到に移行し終わっていることを、その馬鹿馬鹿しさを、おれは渋々ながら認めざるを得ない。

NOW HEREのアドバンテージは、EXTENDED NEUROBRAIN CIRCUITとTAZだ。そこが彼らの間抜けな誤算であることを楽観しつつ、つまりネットワークの軽やかな解放系に確信をもって投企しつつ、右左のイデオロギーゲームの表層の下にある、ある事態の認識に基づき、愚かさの過小評価や朦朧とした容認の拒絶、いかなる終末論にも与しないことを宣言しつつ、山積みのタスク処理に戻ってみる。

自身の楽観を、未来への意志を、魔術的なまでの強度へと高めること。
それこそが、Survival Actionと呼ぶに値する。

Sign of Harpocrates(^b^)

posted by bangi at 04:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月15日

種子島、結婚式、HIKARI CLINICK、DIP IN THE POOL

ようやっと一息。今日は7時前に帰ってきた。近況報告。

■種子島

H2B打ち上げを目撃せんと、種子島初上陸。
鹿児島までいったものの、なんだっつータイミングで流木到来&高速船欠航。
鹿児島で待ち合わせた知人夫婦と、コーヒーをすすりながら「どうしようかねー」なんてぼんやり検討。

まー結局、レンタカーで鹿児島最南端の佐田岬まで3時間のドライブ。うまいもんも別段喰わず、ひたすらロケット目指して桜島の灰くぐり。

深夜2:00の打ち上げ2時間前に到着。方角を見定め、ちょっとした儀式。
カウントダウンにむけて集中。

80km向こうの水平線に見たその光景は、まぁいえば「風の谷のナウシカ」でクシャナが「なぎはらえ!」とやったあれ(の小規模な感じ)。あるいは線香花火の最後の火種が落ちる瞬間の、逆再生。

プロメテウスの火が、静かに天に射返されるのを、おれはみた。

次は勿論種子島本土で。


来年はケネディ宇宙センターで最後のシャトル打ち上げだ。
各方面、現地にて。
http://www.nasa.gov/centers/kennedy/home/index.html

翌日はビリヤードの師匠夫妻と合流。温泉では青ツナギのJAXA職員さんたちとゆるゆるし、夜は切り身なのにピクピク動く島の魚に舌鼓。民宿ひばりのご主人から種子島の深い話をたくさんきく。

更に翌日はシュノーケリング&サーフィン講習。ロングボード初体験。
夜はアンドロギュノスの居酒屋に迷い込む。

種子島は、楽しんだよ。ほんとは人に教えたくないくらい、いいところ。
若干17歳の種子島藩主が、今日の2億円ほどのコストをかけて鉄砲国産化を推進。日の丸は種子島がルーツ。いまJAXA。この島には、この国の戦後、いや近代、いやそれより前から脈々とある、ある魔術的ともいえるFuturismの流れが息づいている。内緒だが。



■結婚式

知人結婚式で、人生発の主賓体験。やや緊張したスピーチ。
昼と夜の永さが等しくなる秋分の日に結婚式とは、にくい。無意識なれど、確かに通じている「そのノリ」に、時間というものの莫大なエネルギーを感じる。妻のフラは「君といつまでも」。


■HIKARI CLINIC

岡山では知人が心療内科を開業。国内初のアイソレーションタンク併設クリニック。ピンときた人はいくように。そこもまた、Partyだ。ロゴやサインなど手がけさせてもらう。光、LVX。
http://hikariclin.exblog.jp/

岡山もまたちょっとした知的ガラパゴス、Invisible habであることは知っている人は知ってる既成事実。この美しく明るいクリニックが新たなSpiritual Centreになることは間違いない。

■DIP IN THE POOL
新宿LOFTにてDIP IN THE POOL。甲田益也子にダンスの訓練をつけたのは誰か、を推測中。おれの勘では笠井叡、あるいはその弟子筋である木佐貫邦子、山田せつ子。妻は「いや普通に天児牛大でしょ資生堂つながりで」となるほど。



http://www.myspace.com/dipinthepooltat
http://www.miyakokoda.com/

この人はこれから大変重要な役割を果たす気がする。
日本でプラウト経済の胎動がはじまるとすれば、そこには彼女の声と踊りがあるはずだ。と踏んでいる。岡山で会いたい。

群馬榛名湖で久々にキャンプ。思いのほか最高だったオーガニックインセンスの紫煙に包まれ、森へ。そして知人夫婦と榛名の田んぼ共同運営スタート。出席できなかった西のCrowleymasに、祝辞を夕日メール。

さて、次は山登りだよ。かもよ。
LET'S JOIN TO THE PARTY!


posted by bangi at 23:48| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月01日

GOLDEN PALOMINOS

ところでNPSPVさん、GOLDEN PALOMINOSはどうなんすか?!

GOLDEN PALOMINOSというバンドが昔いて、今は全部廃盤だ。
Youtubeにもほとんど上がっていない。つまり全然人気がないということだ。
しかしそれはいい曲、いいレコードをたくさんつくっていた、職人気質なバンドなのだ。
全部廃盤って凄いよね。

そこで一時ボーカルだったLori Carsonが、GOLDEN PALOMINOS時代の名曲Little Suicidesをセルフカバー。



こういう誰もしらない、けど最高な音楽、アート、というのがひょいと発掘され得る状態、としてのネット、というのが埋蔵教典モデルメディア環境のイメージれす。



posted by bangi at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月06日

JILLカッコいいヒウィッヒヒー



自分が高校生だった頃は気にとめなかったが、周りではよく聴かれていた気がする。
いい曲だしJILL姉さんカッコいい。太れば太るほどカッコいい。いやそんな乱暴なことじゃなくてなんていうか、とにかくその瞬間、JIllはカッコいい。
最近再結成しているようだが、それはこの瞬間のPersonz、Jillとはまた違うものであろう。それはそれとして頑張って欲しい。

いやまぁそれだけ。

広瀬香美がtwitterのテーマソング「ビバ☆ヒウィッヒヒー」をリリースとのニュースが気になるが、2chのニューススレッドもtwitterもサーバ落ちてる。イラン民主化デモ時にも落ちなかったtwitterが、まさかこのニュースのせいで、、、。気になる。

2ch該当ニューススレッド
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1249563205/-100
posted by bangi at 23:41| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする